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不可解事件(ミステリーケース)


 いつの間にか眠りこけてしまったソフィー。

 気づくと、雨はすっかり止み、窓からは清清しい朝日が差し込んできてい

た。


「もう朝……水、汲んでこなきゃ」


 今日は、安息日明けの仕事日。

 ソフィーは、まだ寝ぼけまなこだったが、日ごろの習慣から、体は自然と

動き出していた。

 ベッドから出て、廊下を渡り、リビングを抜け、玄関へと向かう。

 その間にも、ソフィーの顔は、みるみる歪んでいった。

 天井、柱、壁 床。

 きっと家の何処に目をやっても、亡き弟と過ごした思い出の日々が思い起

こされてしまうのだろう。

 そもそもこの家は、四人家族で住むためのもの。

 独りで住むには広すぎた。

 彼女が、寂寥感を強く感じてしまうのも仕方ない。

 玄関までやってきたソフィー。

 でもその手は、ドアをわずかに開けたところで止まった。


「そうよね。もうひとりぼっちなんだから、無理に家事なんてする必要ない

のに……フフフ、何やってんだろあたし……」


 ソフィーは、伏目がちに、自嘲めいた笑いを漏らした。

 心が砂漠のように成り果てた少女の乾いた笑いは、大声で泣き叫ぶよりも

痛々しく感じられた。

 しかし、その笑いが突然止んだ。


「何か……いる……?」


 ドアの隙間から覗く外の様子に、違和感を覚えたせいだ。

 それが何なのか、ソフィーにも判らない。

 けれども、ドアの隙間からチラリと目に入っただけでも、違和感を覚える

ほどの巨大な何かが、玄関を出たところにいるのは間違いないようだ。

 ソフィーは、緊張で体を強張らせながら、恐る恐るドアを開けていった。

 すると外は、辺り一面の雪化粧。

 彼女が寝ていたうちに、雨は雪へと変わっていたらしい。

 その雪も現在は止んでいた。


「ふぅーっ、冷えるはずだわ」


 吐いた息が、白く曇る。

 ソフィーが、外の光景に違和感を覚えたのは、もちろん雪のせいなどでは

ない。

 夜になると気温が零下まで下がる火星では、雪などさして珍しくないから

だ。

 違和感の正体は、玄関を五メートルほど出たところに、ドカンと立ってい

た。

 ソフィーは、ひと目見て、すぐにそれが何なのか理解した。

 当然だ。

 それは、火星アーモンドを運ぶために、ソフィーが日頃から使っている巨

大な搬送用トレイだったのだから。

 トレイのなかには、収穫途中だったはずの火星アーモンドが、ぎっしりと

山積みになっていた。

 こんもりと積み上げられたアーモンドの山は、優にソフィーの背丈以上も

ある。


「なによこれ……」


 ソフィーは、アーモンドの山に近付き、実のひとつを手にとってみた。

 ズシリと重い。

 しっかりと実の詰まった、良質の火星アーモンドである証拠だ。

 アーモンド表面は、よく乾燥しており、皮もキレイに剥かれていた。


「どーなっているの? 昨日までは何も置かれていなかったはずなのに」


 ソフィーは、周囲をキョロキョロと見回したが、辺りには誰の姿も見あた

らなかった。


「アーモンドが雪を被っていないところを見ると、これが置かれたのは、雪

が止んでからってことよね」


 ソフィーは、いったん家の中へ取って返すと、ニコルの遺体の傍らの椅子

の上に、放っぽりぱなしにしてあったマウンテンパーカーを引っ掴む。

 ところが、そこでまたいったんソフィーの動きが停止した。


「あれ? あたしいつの間に、ベッドに戻って寝たんだろ……」


 小首を傾げながら、再び玄関先まで戻ってきたソフィーは、前庭に駐機し

てあったペンタポッドの腹部コクピットに飛び乗った。

 彼女は、アーモンドが湿気ってしまわないように、ペンタポッドでトレイ

をガレージ内まで引っ張っていったあと、雪道を飛ばして自分のアーモンド

園へと急いだ。


「よく分からないけど、何か変だわ。いったい何が起こってているの?」


 アーモンド園にやって来たソフィーは、地面に大量に雪が積もっているの

もお構いなしに、ペンタポッドを乱暴にドリフト停車させる。

 こんな無茶な芸当ができるのも、多脚・多輪車輌のペンタポッドだからで

ある。

 ペンタポッドから降りてきたソフィーは、自分のアーモンド園を見て棒立

ちになった。

 しばらくすると、ポポフもペンタポッドに乗ってやって来た。


「やあ、おはようソフィー」

「……おはようございます……」


 ソフィーは、ポポフに挨拶を返したものの、心ここにあらずといった様子。


「今日は随分早いのう。まだ心の整理もついとらんじゃろうに。収穫作業な

らば、できるだけワシがやっておくから。ニコルの出棺が済むまで、もうし

ばらくは休んどってもいいぞ」

「えっ? ああ、いえ。ほとんどやって貰っちゃいましたから」


 ソフィーの妙な言い回しが引っ掛かったのか。

 ポポフは、ソフィーの見つめる視線の先を目で追った。


「おろ? これはいったいどうしたことじゃ? アーモンドがきれいになく

なっとる」


 ポポフの言ったとおり、ソフィーのアーモンドの木だけが、ひとつ残ら

ず実を収穫されていた。

 雪に覆われていてはっきりとは判らなかったが、地面に落ちたままにな

っていた実までなくなっているようだ。

 玄関先に積まれていたアーモンドの量を考えてみても、地面に落ちた物

も含め、すべての実を回収したと見るのが妥当だろう。


「こりゃあ、もしかして、アーモンド泥棒の仕業か?!」


 素っ頓狂な声をあげるポポフ。


「いえ、そういうわけじゃ……多分……ないと思います。収穫されたアー

モンドの実は、全部うちの搬送用トレイに積まれて家の前に置かれていま

したから」


 ソフィーにも事態が呑み込めていなかったので、言葉を切りながら慎重

な言い方をした。


「なんと、そりゃ本当かい?!」

「ええ。それも全部乾燥していて、殻も、果皮も、キレイに剥かれて置か

れていたんです。実も選別してあって、すぐにでも出荷できる状態みたい

でした。やっぱりあれは、ウチのアーモンドだったんだわ」


 心ここにあらずといった様子で、ソフィーは呟いた。


「しかし、こんな手の込んだ悪戯を、いったいどこのどいつがやったとい

うんじゃ」

「てっきりあたしは、おじさんがやってくれたものとばかり……」

「いやあ、収穫作業を手伝ってやろうと考えとったのは本当じゃが、ワシ

はまだ、なーんもやっとらんよ」

 ソフィーとポポフは顔を見合わせ、それから二人して首を傾げた。

「一昨日ワシらが引き上げてから、今日の朝まで、えーと……だいたい四

十時間ほどか」


 指折り数えるポポフ。


「おおよそ一日と半じゃな。その間に収穫作業を全部終えたということに

なるのう」

「あたしの持っているアーモンドの木は、アーモンド農家のなかでは少な

いほうですけど、それでもたった二日足らずで、実の振るい落としから収

穫、殻剥きまでやるなんて、とてもひとりでできる芸当じゃないですよ」


 ソフィーの言ったとおり、火星アーモンドの収穫は、大変手間暇の掛か

る作業なのだ。


「うむ。それにここのところは、秋の長雨だったしのう。荒れた天気のな

か、それだけ多くの作業工程をこなすとなると、犯人は複数犯と考えるの

が妥当じゃろう。ソフィー、お前さんは、このドッキリを仕掛けた悪戯好

きに心あたりはないのかね?」

「さあ。こっちが聞きたいくらい。見当もつきません」


 ソフィーは、ポポフの問いに、首をすくめて見せる。


「ソフィーは、べっぴんさんじゃからのう。案外、お前さんが落ち込んで

いるのを聞きつけて、隠れファンがやっといてくれたのかもしれんぞ」


 揶揄するように、ポポフが言った。


「もう、からかうのよしてくださいよ。あっ、でも、もしかしてアイツな

ら、大勢の人を雇って収穫させることくらいできるかも……」


 誰の顔を思い出したのか。

 ソフィーは、口元を覆うように右手をあてがい、思案顔になった。


「ふむ。どうやら心あたりがないでもなさそうじゃな」


 ポポフは、ニヤニヤしながらソフィーを見ている。

「あ、誤解しないでくださいね。そんなんじゃないですから。でもアイツが、

そんな気の利いたことするかしら?」


 ソフィーの表情が曇る。

 表情から察するに、どうやら彼女が頭に思い浮かべた相手は、あまり良い

印象を持っていない人物のようだ。

 ソフィーとポポフが、推理に夢中になっているとき。

 彼らの背後に駐機してあるソフィーのペンタポッドのマニュピュレーター

から、アーモンドの殻の欠片がポトリと落ちた。


 ◇


 アーモンドの収穫作業が残っているポポフと別れ、ひとり自宅へと戻って

きたソフィー。

 帰って来てみると、家の前には、マゼンダ色をしたスポーツタイプのトラ

イポッドが止まっていた。


「噂をすればだわ」


 バルコニーに置かれた白いベンチに、我がもの顔でふんぞり返っている人

物を見るなり、ソフィーの眉間にみるみる皺が寄っていく。

 彼女を待っていたのは、彼女の最も歓迎すべからざる客だったからだ。


「なんだ。俺のことを噂してたのかよ」


 声は、ちょっとしゃがれた感じのダミ声。

 男性。年のころは、二十代半ばくらい。

 頭をポマードでベタベタに撫で付けている。

 全体的に顔は整っており、まあハンサムといえないこともない。

 だが爬虫類を思わせる三白眼と、目つきの悪さが、すべてを台無しにして

いた。

 口は、不機嫌そうにへの字に曲げ、紙煙草を咥えている。

 宇宙開拓時代には、紙煙草の代わりになる嗜好品なんていくらでもある。

 わざわざ値の張る草なんかを、紙に巻いて吸う必要はないのだが。

 単なる嗜好品というより、金持ちアピールのための小道具なのかもしれな

い。

 服装は、ノータンクパンツに、家の前に止めてあったトライポッドと同じ

色の、赤いシルクのシャツ。

 その上に、ネイビーストライプのスーツを着ている。

 両手は、パンツのポケットに突っ込んいた。

 でも、いくら仕立ての良い服を着て、伊達男を気取っていても、滲み出る

品性の悪さは隠せていない。

 伊達男というより、チンピラ風と表現したほうがふさわしそうだ。


「ゴロツキーさん、何の御用ですか?」


 ソフィーの声のトーンはいつもよりも低く、とてもよそよそしかった。

 それどころか彼女は、男の顔を見ようともしない。

 ソフィーが、自分から人と目線を合わせようとしないのは、自分の眼力の

強さを慮ってするいつもの行動ではある。

 けれども、相手に顔すら向けようとしないのは、明らかに相手を避けてい

る証拠だ。


「他人行儀だな。俺とお前の仲だろう。ドムと呼んでくれよ」


 反対に男のほうは、やけにソフィーに対してやけに慣れ慣れしい。


「以前、あたしにも、あたしの家にも、金輪際近付かないって約束して、念

書まで交わしましたよね?」

「そうだっけ? 昔のことなんで忘れちまったなぁ」


 ポケットに手を突っ込んだままベンチから立ち上がった男は、いけしゃあ

しゃあと言った。


 彼の名前は、ドミトリアス=ゴロツキー。

 地元の名士のドラ息子で、以前からソフィーにしつこく付きまとっている

男だった。

 火星は、地球より美男美女が多いと言われている。

 それでも、ソフィーほど整った容姿の持ち主は稀。

 密かに、彼女に想いを寄せている男性も多かった。

 ポポフがアーモンド園でソフィーを揶揄したのも、何人か彼女に熱視線を

向けている男性に心あたりがあったからだろう。

 でも積極的に彼女に言い寄ってくる男といえば、女性への最低限の礼儀も

わきまえないクズばかり。

 普通の男性は、彼女の眼力に気圧されて、近寄りたくても近寄れないのに

対し、女性のことを自分を着飾るための道具とか、美術品程度にしか考えて

いない傲岸不遜なタイプの男は、彼女の大きな眼も蝶の翅の模様程度にしか

認識しなかったため、臆せず近付いていけたのである。

 しかし、そういう手合いでさえも、ソフィーの眼力がまったく通じないと

いうわけではなかった。

 だからソフィーは、あんまりしつこくつきまとってくる相手は、キッと

睨みつけて追い返していた。

 ドミトリアスも、ソフィーにしつこく言い寄ってくる、そんな礼儀知らず

な男のひとりだった。

 もちろんドミトリアスにも、ソフィーの人をたじろがせるほどの眼力は、

いくらか効果はあった。

 けれども二人の間には過去に色々あって、ソフィーのほうがドミトリアス

のことを顔を見るのも耐えられないなくらい嫌っていた。

 せっかく人避けの眼力があっても、ソフィーのほうから顔を背けてしまっ

ては用をなさない。

 結果ドミトリアスは、未だにソフィーのことをしつこくストーキングし続

けているというわけ。

 いわばソフィーにとってドミトリアスは、天敵と言っても過言ではない存

在だった。

 最愛の弟を失くしたばかりで落ち込んでいるというのに、こんなときにド

ミトリアスなんかの相手をしなくてはならないなんて。

 ソフィーは、心底勘弁して欲しい気分だったろう。


「へへ、聞いたぜ。ずっと伏せってたお前の弟、ついにくたばったんだって

な」


 ニヤニヤしながらドミトリアスが言った。

 どこから聞きつけたものか。

 ドミトリアスは、ニコルの死を既に知っていた。

 デリカシーの欠片もないドミトリアスの言葉に、ムッとしたソフィーは、

ツンとそっぽを向く。

   

「もう手の掛かる弟もいないんだからよぉ。オレの誘いを断る理由もないよ

な?」


 軟派男のドミトリアスは、弟のニコルがいなくなったことをこれ幸いと、

ソフィーを口説きにやって来たらしい。


「なあ、俺と付き合えば、キレイなベベ着せて、社交界デビューだってさせ

てやれるんだぜ。お前にとっても悪い話じゃないだろ?」


 でもソフィーは、ドミトリアスを徹底して無視。


「興味ありません」


 素っ気なくひとこと言って、家の中へ入ろうとした。

 しかしドミトリアスが、玄関ポーチの前で立ち塞がる。


「そこ、どいてくれませんか?」


 ソフィーは、露骨にイヤそうな顔をしている。


「おいおい、そんなにつれなくするなよ」


 ドミトリアスは、煙草を咥えたまま、片方の口角を吊り上げてニヤリと笑

った。

 顔の半分が引き攣ったような、下品でブサイクな笑みだった。

 どう見ても他人に与える心証は良くなさそうなのだが。

 どうやらドミトリアス自身は、その斜に構えたブサイクな笑い方を、魅力

的だと思い込んでいるらしい。


「あのねえ。ちょっと収穫作業を手伝ったくらいで、いい気にならないでく

れる?」

「ああん、収穫作業? なんのことだ?」


 ドミトリアスのこの反応。

 彼は、アーモンド収穫事件に、身に覚えがないようだった。

 ドミトリアスは、ノックスの町の有力者で、名家ゴロツキー家の跡取り息

子。

 たくさんの労働者を雇えるくらいの潤沢な資金を持っている。

 だからソフィーは、アーモンドを収穫したのは彼の仕業ではないかと疑っ

ていたのだが、どうやら違ったようだ。


「そう。あなたじゃなかったんだ。でも、じゃあいったい誰が……」

「あーっ? なにゴチャゴチャ言ってんだ」


 ドミトリアスは、ソフィーが何の話をしているのかさっぱり分からず、イ

ライラしているようだ。

 まだ火が燻っている煙草を、プッと吐き捨てる。


「気にしないで。あなたとは関係ない話だから」


 自ら話を振っておきながら、ソフィーの返答は愛想の欠片もない。

 それだけドミトリアスを嫌っているということなのだろう。


「何だ、その言い草はよぉ。随分と恩知らずな物言いじゃねえか。可愛い弟

がBMI手術を受けられたのは、いったい誰のおかげだと思ってんだよ」


 腹を立てたドミトリアスは、ソフィーの思い出したくもない過去を持ち出

してきた。


「あれは、もう済んだ話でしょ! 話はついているはずよ。何をいまさら…

…」


 ソフィーもすぐ言い返す。

 ドミトリアス家のコネと金銭的援助がなければ、ニコルのBMI手術は行

えなかったのは紛れもない事実だったが、ソフィーは既にその対価を払い終

えていた。

 いまさらBMI手術のことで、ドミトリアスに恩着せがましく言われる筋

合いはない。


「バカ言え、お前の弟の手術をするのに、どれだけカネがかかったと思って

んだ」


 でもドミトリアスのほうは全然納得していない様子。


「一度相手してもらったくらいじゃ、全然帳尻りが合わねえんだよ。それに

風俗でも延長の二回戦くらいは付き合ってくれるもんだぜ」

「あたしはそーいう女じゃありません! それにあの時は、あなたが無理や

り……」

「でも結局お前は、交換条件を受け入れて訴え出なかったよな? つまり納

得ずくってことだ。金で体を売ったも同じだろうが!」


 ドミトリアスは、ソフィーの反論を遮るようにまくしたてる。


「どういう理屈よ。言っていることが無茶苦茶だわ」


 ソフィーは、額に手をあてがって首を振る。

 付き合っていられないというジェスチャーだ。


「気取るなよ。お互い知らねえ仲じゃあるめえし」


 ドミトリアスは、手を伸ばし、ソフィーの肩に触れてきた。


「触らないで!」


 でもソフィーは、ドミトリアスを拒み、彼の手を払いのけると、そのまま

階段状になっている玄関ポーチを駆け上がって家の中へ逃げ込もうとした。

 だが、したたかなドミトリアスは、ドアが閉まる直前、ドアの間に素早く

足を差し込んでいた。


「痛ぇっ、なにしやがんだゴラァ! さっさとドアを開けやがれ!」


 凄んで見せて、ソフィーが怯んだところで、ドミトリアスは強引にドアを

こじ開け、屋内に入ってきた。


「あ痛たたたたっ。足の骨が折れちまったみてえだわ。こりゃあ今度は、こ

っちが慰謝料払って貰わなきゃいけねえみてえだなあ」


 ドミトリアスは爪先を抱え、わざとらしく痛がる振りをする。

 自らドアに足を挟んでおいて、とんだ言い掛りだ。

 もっとも、ドミトリアスがわざとらしく痛がるポーズをしていたのは最初

だけ。

 ソフィーが、家のなかへ、なかへと、後退って行くと、ドミトリアスは平

然とした足取りで追って来た。


「来ないで! 人を呼ぶわよ!」

「呼びたきゃ呼べよ。こんな郊外の一軒家じゃ、どんなに叫んだところで誰

も来てくれねえだろうがな」


 どんどん後退っているうちに、ソフィーの背中は、とうとう壁にぶつかっ

てしまった。

 壁際まで追い詰められた少女に、もはや逃げ場はない。

 ソフィーは為す術なく、ドミトリアスに体を押さえつけられた。


「つーかまーえた。さあて、それじゃあソフィーちゃんには、寝室のほうで

たっぷり看病して貰おっかなー」


 寝室と聞いて、ソフィーの顔色がサッと蒼ざめる。

 彼女の脳裏には、きっと寝室に寝かされているニコルの死に顔が浮かんだ

のだろう。


「ダメッ、あそこにはニコルが!」


 強張った表情で、ソフィーは、思わず口走っていた。


「くくく。弟の死体の前で、組んず解れつ格闘するってのも面白そうだな。

考えただけでゾクゾクするぜ」


 ドミトリアスは、下卑た笑いを浮かべる。

 弟の遺体を肴に、姉を抱こうとするとは。

 この男、なんたる下劣な精神の持ち主なのか。


「死んじゃえ、このクズ野郎!」


 ソフィーの目は、怒りに燃えていた。

 体をジタバタさせて、ドミトリアスに必死の抵抗を試みる。

 しかしドミトリアスは、腐っていても男。

 少女とでは、体格も、筋肉量も違う。

 農作業で多少鍛えられているといっても、ソフィーの腕力では、ドミトリ

アスに抗するのは難しかった。

 揉み合ううちに押し倒され、床に組み敷かれた。

 さらに手首を掴まれ、体全体で圧しかかられては、ソフィーはもう身動き

もままならない。


「クズ野郎で上等だ。だが覚えとけよ。お前はこれから、そのクズ野郎の女

になるんだからな!」


 そう言うとドミトリアスは、ヘビみたいに突き出した舌をチロチロさせて、

ソフィーに顔を近付けてきた。


「いやっ、放して!」


 顔を背け、必死でもがくソフィー。

 ところが、急にソフィーの抵抗が止んだ。


「ん? なんか臭う……」


 ソフィーは、鼻をクンクンさせながら言った。


「フッ、そんな古典的な手に引っ掛かるかよ。どうせ隙を突いて逃げ出すつ

もりだろう」


 ドミトリアスは、ソフィーの言葉を注意を逸らすための嘘と断じて、取り

合おうとはしなかった。


「やっぱり臭う。焦げ臭いわ」


 それでもまだソフィーは異臭にこだわっている。


「無駄だって言ってんだよ! 往生際の悪い女だな」


 ドミトリアスは、ソフィーの顎を掴み、無理矢理自分のほうに向かせると、

唇で口を塞ごうとする。

 しかし、大嫌いな男と鼻がくっつきそうになってもまだ、ソフィーは口を

閉じようとはしなかった。


「あっ、煙が出てる」

「だから、そんな手には引っ掛からねえって、何度言ったら……」


 あんまりしつこいので、ドミトリアスの声は完全に裏返り、キレ気味にな

っていた。

 ところが、次の彼女のひとことが、ドミトリアスの表情を一変させる。


「あんたのお尻からだわ」

「な、なにぃ?!」


 まさかの発火点を聞いて、ドミトリアスの顔がギョッとなる。

 ドミトリアスが首を捻って見ると、確かに彼の背後で、モクモクと白い煙

が上がっているではないか。

 ブスブスと、何かが焦げる音までする。


「おわわっ、あちっ」


 とうとう皮膚にまで熱が伝わって来たか。

 ようやくドミトリアスも、自分の尻が火事になっていることを認めざるを

えなくなった。

 ドミトリアスは、すぐさま起き上がると、尻をはたいて沈火を図る。

 だが、火はいっこうに消えてくれない。

 もうソフィーに構っているどころではなかった。

 彼女を放っぽりだして、近くのキッチンへ飛んで行くと、水道の蛇口を捻

る。

 ところが、蛇口をいくら捻っても、水は一滴も出てこない。


「水、水、水! おいコラ、どうなってんだよ! 水が全然出ねえぞ!」

「ここらへんは、よく水道管が凍るから。今日はサボって、井戸水も汲んで

こなかったし。外の雪にお尻をつけてきたほうが早いんじゃないかしら」

「ち、ち、畜生めーっ!」


 あれだけ執着していたソフィーを置いて、一目散に外へと飛び出すドミト

リアス。

 わずかに遅れて、ソフィーも家の前庭へ出た。

 庭ではドミトリアスが、火を消そうと必死になって雪の上を転げ回ってい

た。

 ドミトリアスの転げまわる様子がよほど可笑しかったらしく、ソフィーは、

ドミトリアスを見てコロコロと笑っている。

 なんとかお尻の火事は鎮火したものの、格好悪い姿を惚れた女に見られ、

ドミトリアスのプライドをズタボロにされていた。

 恥ずかしさから、やり場のない怒りが込み上げてきたのだろう。

 ドミトリアスは立ち上がると、ソフィーに向かって、拳を振り上げた。


「この尼っ、笑うんじゃねえ!」


 でも立ち上がったドミトリアスのお尻は、パンツを焼かれ丸出しの状態。

 そのお尻も、火傷で炎症を起こしていて、お猿さんみたいに真っ赤になっ

ている。

 そんな格好で怒って見せたって、ちっとも恐くなんかない。

 むしろ滑稽だった。

 ソフィーは、ドミトリアスに怒鳴られて一旦笑いを堪えようとしたものの、

彼のその格好を見て、またプッと吹きだしてしまった。


「残念。焼けたのは、お尻だけだったみたいね。前に付いてる粗末なモノも

一緒に焼けちゃえば良かったのに」


 よほど腹に据えかねていたのだろう。

 ソフィーの言葉は、とても辛辣だった。

 彼女が、臆面もなくお腹を抱えて笑っているのを見て、ドミトリアスも、

自分がいま、どんなにみっともない姿になっているか自覚したようだ。

 振り上げた拳をそろそろと下ろすと、その手で丸見えのお尻を隠した。


 「くそーっ、覚えてろよ!」


 ドミトリアスは、捨てゼリフを残し、家の前庭からすごすごと退散して

いく。

 でも、どうにも腹の虫の納まらなかったらしく、自分のトライポッドに

乗り込む前に、近くに駐機してあったソフィーのペンタポッドに、おもい

きり蹴りを見舞っていった。

 もっとも、ペンタポッドの装甲は、ドミトリアスが考えていたよりも剛

性が高かったようで、ダメージを負ったのはドミトリアスのほうだった。

 蹴った足を抱え、片足でピョンピョン飛び跳ねながら、自分のトライポ

ッドに戻っていく。

 今度は芝居ではなく、本当に痛かったようだ。

 ソフィーは、ドミトリアスのトライポッドの機影が完全に見えなくなる

まで見送ってから、

ようやくホッと胸を撫で下ろした。


「はあ、やっと帰ってくれた。これに懲りて、二度と来ないでくれると嬉

しいんだけど」


 ソフィーは、溜め息混じりに呟いた。

 結局今回辱められた側は、ソフィーではなく、ドミトリアスのほうだった

わけだ。

 あのしつこい男が、このままおとなしく引き下がるとも思えなかったけれ

ども、臀部に負った火傷は軽くない。

 しばらくは、女性を口説くどころではないだろう。

 少なくともニコルを送り終えるくらいまでは、ドミトリアスに心をかき乱

されずに済みそうだった。

 こうしてソフィーは、最悪の訪問者を、とりあえずはやり過ごした。


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