覚醒(アウェイク)
何も見えない。
何も聞こえない。
静寂が支配する無明の闇の中を、ニコルは、自分が誰であったかも忘れ、
まどろんでいた。
遠い日の残像が、脳裏に浮かんでは消えていく。
いったい、どれほどこうしていたのだろうか。
時間の感覚が消失していて、判然としない。
ほんの一瞬のようにも、永劫の時間のようにも思える。
すると突然、鼓膜をくすぐる感覚がした。
はたと、闇の中で眼を開くニコル。
空耳だろうか。
それともまた、過去の記憶の残響だろうか。
身じろぎするのも億劫だった彼は、耳だけをそばだててみた。
しかしそれは、空耳でも、記憶の残響でもなかった。
確かに何か、音が聞こえる。
(何の音だろう?)
ニコルは、音の正体がどうにも気になりだして、意識を耳に集中させた。
すると、周囲の凝っていた闇が、急速に色褪せていくではないか。
黒い闇が灰色、そして白色へと。
刻々と周囲の色が変化していく。
そうか、とニコルは悟った。
海底深く沈んだ船が、いつかは海上へ浮かび上がるように、自分もいま、
深い眠りの底から目醒めつつあるのだと。
はっきりしてきたのは周囲の色だけではない。
覚醒のときが近付くにつれ、遠くで聞こえていた音も、徐々にはっきりと
してきた。
(この規則正しく繰り返される音は……サイレン?)
遂には、最後まで視界を覆っていたモヤも消え去り、ピントの合っていな
かった世界が焦点を結び始める。
そしてニコルの目の前に現出したのは、幅一メートル、奥行き二メートル
五十センチ、高さ一メートル六十センチほどの狭い空間だった。
すぐ背後は壁。
彼は、その空間の端っこにうずくまっていた。
辺りには、ビービーやかましいビープ音が木霊している。
どうやらこの音が、例のモーニングコールだったらしい。
(でも、ここはいったい、どこなんだろうか?)
空間内は薄暗く、そこがどういう場所なのか、把握するのは容易でなかっ
た。
しかし状況が分からないことには、次の行動も取りようがない。
警戒心を抱いたニコルは、その場から軽々には動かず、首だけをめぐらし
て周囲の状況を観察し始める。
風の流れは感じない。
彼がいるのは、完全に密閉された空間のようだ。
周囲を明るく照らす照明の類も見当たらない。
にもかかわらず空間が真っ暗闇でないのは、透明素材の天蓋が明り取りに
なって、外からの光が差し込んでいたからだった。
もっとも、天井から顔を覗かせているのは、どんよりした鉛色の雲。
そのうえ天蓋のガラスには、スモークが掛かっていて、この空間内まで達
する光の量は、ほんのわずかしかない。
この程度の光量では、空間の大体の大きさや、近くの様子を掴むのがせい
ぜい。
部屋の細かいディティールや、空間の隅々まで見通すのは難しい。
(せめて、もう少し空が晴れていてくれればなあ)
ニコルは、曇り空を呪った。
それでも、空が見えているというだけで、閉塞感はかなり違う。
狭い空間に閉じ込められていながら、ニコルがさほど息苦しさを感じずに
済んでいるのは、紛れもなく天窓から鉛色の空が見えているおかげだった。
「はあーっ。ここはまるで、棺おけの中みたいだな」
ニコルは、溜め息混じりにこぼした。
すぐ傍らの薄いベージュ色をした合成ビニール張りの壁など、いかにも柩
の内装に使われそうな素材だったからだ。
もっともニコルは、ここが柩の中ではないと、おおよその察しがついてい
た。
理由は二つ。
まず第一に、柩の中にしては広すぎること。
ニコルのいる空間は、小さな納骨堂くらいの広さがあった。
天井も、子供ならば立っても頭がつかえないくらい高い。
柩には、出棺用に仕立てられた大きくて立派なものもあるけれど、それで
もここまでは大きくはない。
それこそ、フランケンシュタインの怪物を埋葬するのでもなければ、こん
な大きな柩は必要ないだろう。
第二の理由は、彼のすぐ前方に設置されているビープ音の発信源らしき小
さなデスクのような機械の存在。
デスクの上部面が、仄かに光っているように見える。
どうやらコンソールモニターらしい。
首を伸ばして覗き込んでみると、デスクのモニター画面には、グラフ形と
コンピューターの処理中を示すクルクル回転する風車型カーソルが映しださ
れていた。
グラフは、途中まで波型波形を描いていたが、現在はツーッと横に一本、
線が走るだけになっている。
そしてクルクル回っていた風車型カーソルも、覗いたそばから停止した。
これらが何を示しているのか、ニコルには分からない。
けれども普通に考えれば、柩にこんなハイテク機材が積まれているのは、
如何にも不自然。
やはり、ここが柩の中とは考えづらかった。
(んん? あれれ? どうしたんだろう)
周囲の状況の把握に追われていて気づかなかったが、ようやくいまごろに
なってニコルは、自身の身に起こった変化に気がついた。
以前にあった胸の圧迫感が、キレイに消え去っていたのである。
まとわりついて離れなかった倦怠感も、嘘みたいになくなっていた。
(痛みがないとは、こんなにも楽なことなのか!)
ニコルは、嬉しさのあまり、大声を上げてそこら中を跳ね回りたくなった。
しかし実際にはニコルは、跳ね回りはしなかった。
コンソールモニターのさらに向こう側。
ニコルがいるのとは反対側の部屋の隅。
一層暗い影に隠れるようにして、誰かが佇んでいるのに気づいたからであ
る。
ニコルは、喉元まで出かかった歓喜の叫びを、再び喉奥へと呑み込んだ。
警戒感を抱いたニコルは、コンソールから離れ、そろそろと後退る。
(誰?)
ニコルは、じっと目を凝らし、影に潜む者の正体を見定めようとした。
目が闇に慣れてくるにつれ、徐々にその人物の輪郭が浮かび上がってきた。
その人物は、備え付けのシートにぐったりともたれかかっていた。
前方に首をガクリと折っているので、容貌までは分からない。
体格は、随分と小柄だ。
座席に腰掛けているにしても、小さすぎる。
幼い子供か。
あるいは老人だろうか。
身に着けているのは飾り気のない検査衣のような服。
袖から覗く腕に眼をやると、老人の枯れ枝のような手ではなく、節くれだ
っていない子供の手だった。
ニコルはその手から、ロースクールに上がるか、上がらないかくらいの年
齢の幼子だと推測した。
幼子の腰から下には、冷えないように毛布が掛けられている。
どこか体の具合が悪いらしく、口許には塩化ビニール製の透明な酸素マス
クを装着していた。
酸素マスクには、コンソールモニターの仄かな光が薄っすら反射して、微
かに光っている。
髪はハニーブロンド。
うなじの辺りで切り揃えられた金糸が、汗で頬にべったりと張り付いてい
る。
金髪は、幼子を特徴付けている大きな特徴のひとつだったが、もっと目を
引くのが背中から生えている無数の管だ。
首の後ろから背中にかけて、ヤマアラシのように生えた管は、後ろで束ね
られてシート後部のコネクターにつながれているようだった。
無数の管はまるで、もつれた操り糸のよう。
まるで幼子をマリオネット人形のように見せている。
でも幼子が人形のように見えたのは、無数の管のせいばかりではなかった。
幼子は、さっきから脱力したまま。
身じろぎひとつしようとしなかったのだ。
最初ニコルは、幼子が眠っているのかと思った。
が、すぐにその見立てが誤りだと気がついた。
幼子が口許に付けた透明な酸素マスクが、透けたまま、いっこうに曇らな
かったからである。
そう。
幼子は、既に息をするのをやめていたのだ。
幼子が死んでいることを裏付ける状況証拠は、他にもある。
コンソールモニターに映し出されていたグラフと、そして現在も鳴り止む
気配のないこのビープ音だ。
コンソールモニターに映し出されていたグラフは、幼子の心臓の状態を表
わす心電図。
ビープ音が、幼子の心停止を知らせるサイン。
そう考えれば、すべての辻褄が合う。
状況証拠は、幼子が死んでいると明示していた。
でもその結論は、閉鎖空間にニコルが死体と二人きりで閉じ込められてい
ることをも意味していた。
ニコルは、いまごろになって有り得べからざる非現実的なシチュエーショ
ンの只中にいるのを、ひしひしと感じ始めた。
さっきまでの、名探偵ばりの冷静さはどこへやら。
ニコルは、いまの状況が、とても恐ろしくなる。
(僕は本当に、死体と一緒に埋葬されちゃったんじゃないのか?)
そんな疑念が、頭をもたげてくる。
天井の明り取りまでも、遺体の死に顔を見るための小窓のように思えてき
た。
ニコルは、ここが柩の中でないと理詰めで結論を出していたのに、嫌な妄
想は広がるばかり。
打ち消しても、打ち消しても、際限なく湧いてくる。
閉鎖された空間。
暗い室内。
規則正しく繰り返される耳障りなビープ音。
それらが相まって、彼に一種の催眠効果をもたらしていたのかもしれない。
ニコルは、いつのまにか、生きたまま埋葬された妄想に取り憑かれていた。
得体の知れない恐怖がニコルを襲う。
「あわわわっ……」
恐怖で体が震え、視点が定まらず、呂律も上手く回らなくなる。
もうパニック寸前。
ニコルが恐怖に我を忘れ、大声で叫びぼうとしたそのとき。
「ニコル!」
どこからともなく聞こえてきた声が、彼の妄想を打ち破った。
聞きなれたメゾソプラノの声。
(ソフィーだ! ソフィー姉さんが来てくれた!)
「どうしたのニコル? 答えなさい!」
声は、真下から聞こえて来ている。
「ソフィー、ここだよ。ここにいるよ!」
すぐさまニコルは、大声で応えたが、いつまで待っても返事がない。
(おかしいな。僕の声が聞こえなかったのかな?)
ニコルが焦れていると、突然空間全体が揺れだし、体が沈み込む感覚を覚
えた。
揺れが納まると天蓋が上方に開き、若い女性が顔を覗かせた。
「ソフィー!」
ニコルは、自分に一番近しい人間の顔を認め、ホッと胸を撫で下ろした。
彼女の名前は、ソフィア=ベススメルトヌフ。
愛称はソフィー。
ニコルの姉だった。
年齢は、ニコルより三歳年上の十九歳。
白系ロシアの火星移民三世である。
本来ロシア人ならば、苗字は『ベススメルトヌヴァ』と女性格に変化する
ところだが、姉弟はロシア系であってもロシア人ではない。
火星生まれの火星人だ。
だから、性別で苗字が変化したりはしない。
面長の顔に、すっきり通った鼻筋。
キメの細かい、透き通るような白い肌。
後ろで結って終端をシュシュで留めてある長い髪は、幼子と同じ色合いの
ハニーブロンド。
まるで陽光で黄金色に照り光る大河を想わさせた。
しかし、所詮それらの要素も、彼女の大きな瞳をひきたてるトッピングに
すぎない。
火星環境の影響からか、彼女の瞳は、三原色の赤を火星の大地に吸われで
もしたかのように真っ青だったのである。
碧眼など、白人には珍しくもなさそうだが、彼女のそれは、地球人のもの
とは趣がまったく異なっていた。
色は海の青よりもなお青い純粋な青『ウルトラマリン』。
瞳の内部には、外からの光が反射して、無数の光が瞬いている。
まるでオーバルカットされたおおぶりのサファイアが、瞳に嵌め込まれて
いるかのようだった。
ただ、眼が美しすぎるがゆえに、困ったことも多々あったようだ。
眼の印象が勝ちすぎるあまり、顔の他の造作の印象さえも殺されてしまう
のだ。
前述どおり、彼女の眼以外のパーツも、けっして他人に見劣りするもので
はない。
でも彼女と初対面の人は、決まって彼女の眼しか覚えていなかった。
目を隠してしまえば、彼女だと判らなくなるほどだ。
美点について悩むなど、贅沢と思われるかもしれない。
でも彼女にとってこの悩みは、贅沢で済まされないほど切実な問題だった。
この大きくて青い眼のおかげで、他人は誰も彼女と視線を合わせようとし
なかったからである。
彼女に見つめられた者は、深い青を湛えた瞳の銀河に吸い込まれるような
錯覚に陥り、ついつい眼を逸らしてしまうのだ。
おかげで己の眼力に気づくまでソフィーは、他人から避けられているもの
と思い込み、強い疎外感を味わってきた。
もっとも、弟のニコルだけは例外。
ニコルは、幼いころより姉の眼を見慣れていたので、ソフィーの眼以外の
造作もしっかり覚えていたし、見つめ合っても不自然に視線を逸らしたりは
しなかった。
そのため、ソフィーにとってニコルは、いつしか単なる弟以上の特別な存
在になっていた。
ところが今は、彼女のほうから目線を合わせようとしない。
何故か、シートに座っている幼子の遺体のほうにばかり視線を送っている。
上から覗いているのだから、彼女の位置からニコルが見えていないはずは
ないのだが……。
「ニコル、どうしたの!?」
天蓋のへりから身を乗り出して、なおも弟の名前を呼び続けるソフィー。
「ソフィー、だから僕は、ここだってば!」
だが、いくら訴えかけても、ソフィーは素知らぬ振り。
ニコルのほうには、見向きもしてくれない。
ついに彼女は、強張った表情で、空間内部まで入ってきた。
服装は、上にマウンテンパーカー。
下はスキーパンツのように裾拡がりになった伸縮素材の黒いスラックスを
穿いていた。
彼女が農作業をするときのお決まりのスタイルである。
ソフィーは、ニコルに一瞥もくれないで、シートにうずくまる幼子の許へ
寄って行った。
そして幼子の亡骸の肩を掴み、揺さぶりながら叫んだ。
「ニコル! ニコライ=ベススメルトヌフ! 起きなさいってば!お姉ちゃ
んのいうことが聞けないの!?」
「なに言ってるの。僕ならここにいるじゃないか」
だけど姉は、依然として弟の存在を完全無視。
当然ながら、既に息絶えている幼子は、ソフィーの呼びかけに答えない。
けれども揺さぶられた拍子に、前屈気味だった幼子の上体が起き、顔が仰
向けになった。
姉の背中越しではあったが、ニコルにもその顔がチラと見えた。
(うん? あの顔、どこかで見た覚えがあるような……)
ニコルにとって、とてもよく見知った人物のような気がするのだが。
思い出せそうで、思い出せない。
顔を直視できれば思い出すかもと、その場でピョコピョコとジャンプして
みる。
でも、姉の背中が邪魔で確認できなかった。
そうこうしているうち、ソフィーがニコルの方にキッと向き直った。
彼女は、眉間に皺を寄せ、怖い顔でニコルのほうを睨んでいた。
「ああ。やっと気づいてもらえたか。脅かさないでよ、もう」
安堵の溜め息をつくニコル。
だが、すぐ安堵は失望へと変わった。
ソフィーの目は、ニコルではなく、ニコルの目の前に置かれたコンソール
モニターに注がれていたからだ。
コンソールに近付き、モニター画面に目を落とすソフィー。
ソフィーは、依然としてニコルがそこにいないかのように振る舞い続けて
いる。
見知らぬ場所に閉じ込められていたことだけでも異常事態だが、現在の状
況は輪をかけて異常。
ニコルもようやく、いま起きていることが、尋常でないと気づき始めた。
(まさか、僕の声がソフィーには届いていない? いや、そもそも彼女には
僕の姿すら見えていないのじゃないか?)
恐ろしい疑問が頭をよぎり、慄然とするニコル。
「ねえってば、僕の声が聞こえないの?!」
しかしソフィーは、コンソールパネルと格闘するのに夢中で、相変わらず
取り合ってくれない。
(ううん。そんな馬鹿なことがあるものか!)
ニコルは必死で、頭に浮かんだ嫌な考えを否定しようとした。
「ねえソフィー。本当は僕のこと見えているんでしょ? もうこんな悪い冗
談やめにしてよ!」
そう言ってニコルは、ソフィーの肩に手を伸ばす。
ところが。
伸ばしたニコルの手は、姉の体を突き抜け、むなしく空を掴んでいた。
ニコルは、驚いてすり抜けた自分の手を凝視した。
目の前で起きた、現実ではありえない現象。
現実ではありえない現象が、自分の身に起きたということはつまり……自
分のいま見えている世界が現実ではないか。
あるいは、自分こそが非実在の存在なのか。
そのどちらかということになる。
でも導き出された結論は、ニコルには俄かに受け入れ難いものだった。
ニコルは、思考を停止。
自分の手を凝視したまま凍りついてしまった。
ニコルが固まっている間にも、ソフィーはコンソールパネルをいじくり回
し、AEDと表記されたボタンを呼び出していた。
どうやら幼子の背中から伸びた管のうち何本かは、除細動用に仕込まれて
いた通電ケーブルだったようだ。
おそらく、幼子が危篤状態になることは、あらかじめ予見されていたこと
だったのだろう。
ソフィーがボタンを押すと、幼子の体が小さく跳ね上がる。
彼女は、電気ショックを与えるたびに幼子のもとへ戻っては、その小さな
胸に耳を押し当てて、鼓動が戻っていないか確認していた。
そんなことを延々と三十分程も繰り返しただろうか。
結局、心電図形には変化が表れることはなく、ソフィーの努力は徒労に終
わった。
「そんなのやだよ。あたしを独りにしないでよ……」
ソフィーは震える声で言うと、幼子の亡骸の胸に顔を埋め、突っ伏した。
やがて、ひきつるような嗚咽が漏れ聞こえてきた。
ソフィーが、シートとコンソールの間でバタバタ動き回るのを止めてくれ
たので、もはやニコルと幼子の間を遮るものはなくなった。
天蓋も開きっぱなしで、空間内の光量も充分。
今では、ニコルのいる位置からでも幼子の顔が、しっかりと確認できる。
幼子の顔は、どことなくソフィーに似ていた。
髪の色が同じだから、という理由だけではない。
顔のバランスや、パーツの配置が似ているのだ。
ただしソフィーと違って、顔枠からひとつひとつのパーツに至るまで、子
供独特の柔らかい稜線で形作られている。
そのため、キレイとか、ハンサムとかいうよりも、可愛いらしさが勝って
しまっている。
まだ外見に、性差が現れていないのだ。
パッと見ただけでは、男か女かの判別も難しい。
(成長不良気味のこの貧相な体。それにソフィーに似たこの子供っぽい顔。
確かにどこかで…………ああそうか。そういうことか。そりゃあ見覚えがあ
るはずだよ)
ニコルは、ようやく気づいた。
(だって、鏡を見るたびに向き合ってきた顔だものな。そうか、やっぱり僕
は死んでいたんだ)
ニコルは、今までの経緯と、自分の置かれている現状をすべて思い出した。
そのうちに、ポツリポツリと天空から雨粒が落ちてきた。
時間が経つにつれ、雨のスジはどんどん太くなっていく。
かつてニコルだった肉体は、冷たい雨に打たれ、急速に温度を失っていく。
それでもまだソフィーは、ニコルの抜け殻にすがって泣き続けていた。
「ソフィー、もういいよ。このままじゃキミが風邪をひいちゃうよ」
でも、死人であるニコルの声は、姉の耳には届かない。
ニコルは立ち尽くしたまま、ただジッと姉の背中を見守り続けるしかなか
った。




