虚像
二話目です。今回は一話より少し長く、三千字とちょっとになりました。
陰が去った後、俺は世界の中心へ向かった。道中は電柱と鳥居が続くだけだったが、だんだん鳥居のほうが多くなり、遂に開けた場所に出た。やはり何もない。だが空気は重く、訳もなくプレッシャーを感じた。
「九尾さんはいらっしゃいますか?」
陰に教えられた通り、情報の管理を任されている九尾の狐を呼んでみる。本当にこんなので現れるのか?
「我こそが九尾である。」
軽トラックくらいの巨大な妖狐が姿を現した。鈍色の体毛を纏って闇に溶け込み、動脈血のように赤い両眼だけを目立たせている。
「三毛様!ささ、こちらへ」
誤解されているようなので事情を話すと、九尾は何やら呪文を唱え、瞬きの瞬間を狙って書物庫に化けた。あまりに短い時間の出来事だったので暫く呆気に取られていたが、すぐに正気を取り戻し、書物庫の中へ入った。書物庫は地上こそ三畳ほどしかないが、地下は人間の尺度では測れない大きさで、巻物が詰め込まれた書棚がこれでもかというくらい続いている。
九尾の誘導で何百もの角を曲がり、何千もの隠し通路を通り、帰り道が分からなくなったころ、ようやく目的の場所にたどり着いたのだろうか、九尾が話し始めた。
「ここにはこの世界の歴史について書かれた書物が揃っています。霊界のことを知りたいなら、まずはこの本がいいでしょう。」
とても分厚い巻物が宙に浮き、目の前の文机にドスッと着地した。バームクーヘンのような巻物は極めて重厚で、持っただけで腕が痺れるような代物だ。中身はミミズが這った跡のような字がびっしりと書かれていて読めない。だが、内容は九尾の解説もあって大体理解できた。
九尾が言うには、霊界は俺のように半分人間・半分妖になってしまった者が創ったもので、その時の妖の部分は「蜃」というらしい。蜃とは大きな二枚貝の姿をした、蜃気楼を作り出す能力を持つ妖で、人間部分が深い闇を溜め込んでいたために負の力をもつ蜃気楼を吐き出し続けたそうだ。そして、蜃気楼はいつの間にか、新しくできた世界を覆うほどに膨れ上がり、偶然時間界の一部と繋がって今の霊界となった。そのため、境界となる魂門の周辺は霊界の部分の鳥居と、時間界の部分の電柱が混在しているのだ。
「魂門は防衛線でもあります。陰陽師が霊界へ攻めてきたときには、鳥居に結界を張って応戦したものですよ。」
今から千年以上前に時間界の陰陽道を習得した者との戦いがあったみたいだ。結果は九尾の言い方から大方想像できるが。
「話が変わるようだが、その蜃という妖はまだここにいるのか?」
これはぜひ聞いておきたい。この世界の創造主なら、俺を妖の体から引き離し、元の世界へ戻す方法を知っているかもしれないからだ。
「いえ、蜃様は三回目の陰陽師との戦いの際に敗れて消えてしまわれました。」
駄目か...。更に帰還が難しくなるな。今のところ希望は陰の報告だけだが、今頃あいつは何をしているのだろう。
「陰は今、東京という時間界の都市で過去に霊界へ来てしまった者の観察をしているようです。」
こいつも心が読めるのか...。迂闊なことは思い浮かべられないな。それに、陰が東京にいるなら、友人への伝言を頼んでもよかったかもしれない。
3時間ほど巻物の挿し絵を眺めて満足感を覚えると、書物庫に化けた九尾は
「では。」
と一言言ってこれまた瞬きの間に消え去った。一瞬にして景色が変わったので九尾が書物庫に化けたときと同じく思考が止まってしまったが、冷静になると一つの疑問が頭に浮かんだ。なぜ眠くならないのかということだ。ゲームアプリを開こうとしたときにスマホに表示されていた時刻は確か22時32分だった。現在の時刻を時間界に当てはめるともう4時か5時だ。いつもならこんな時間まで起きていると眠たくてたまらないはずなのに、眠たくない。霊界に人間の感じる時間の概念はないとはいえ、今の三毛様の中身は人間である俺だ。体内時計もしっかり働いている。なのに眠たくないということは、妖には脳と呼べるものがないか、それとも...。
「あっ!」
理屈をこね回している最中、景色がもやもやと歪んだのを視界の端で捉えた。見間違いなどではない。確実に、一瞬だけ世界が歪んだのだ。九尾は霊界に実体はなく、全て蜃が生みだした蜃気楼だと言っていた。霊界に人間の感じられる時間の概念はないのだから、伝達されるエネルギーが本質の熱も存在しないはずだ。なのに蜃気楼が発生し、今変化が起きたということは、何者かがこの世界をいじっているということだ。この世界を動かせるのは蜃だけだから、蜃がまだ存在する可能性は高い。
九尾は嘘をついている。まだ確信はできないが、九尾の方からすればメリットは大きいため、信憑性はある。考えられるメリットは、この世界の中核を人間に知られないということだ。蜃がまだ居るということが人間に知られれば、怪奇現象を止めるために多くの僧や悪魔祓いがこの世界へ乗り込んで来るだろう。それを止めるために九尾は情報の漏洩を嘘という形で防いだと考えられる。
「よし...九尾の気配はないな。」
「件さん、いらっしゃいますか?」
俺は九尾に悟られないようにその場を離れると、助言をもらうために巻物の記述にあった「件」の名を呼んだ。件とは、部分的に未来を予知できる妖らしいのだが、特に災厄の予言に長けているのだそうだ。
「はい...。」
地面からぬっと出てきた子牛はその名の通り、牛の体に人間の女性の顔をもっていた。この世界はなんでもありか。
件は至って寡黙で何も喋ろうとしない。そのため、場の空気は澱み続ける一方で、非常に話しかけ辛い。俺が意を決して口を開こうとしたそのとき、件が先に喋った。
「一度、元の世界に戻られたほうが。」
そう言って件はスーッと消えていった。助言は短すぎて深い意味はよく分からなかったが、とりあえず元の世界へ戻ったほうが良さそうだ。方法は検討もつかないが、魂門に関係があることは確かか。
そう思った俺は、魂門裏へと全力で走った。化け猫の体は思っていたよりスタミナがなく、すぐにバテて休憩しては走るということを何回も繰り返してやっとの思いで魂門裏にたどり着いた。
「ふんっ!」
「せいっ!」
肉球のついた手で陰を真似て虚空を切るも、時空の裂け目のようなものは一つも出てこない。ついに躍起になって疲れてしまった。
休んでいると、背後から声がした。
「貴様、何をしている。」
「俺は三毛だぞ。総大将にそんな口を利いていいのか?」
振り向かず、とりあえず三毛様として振る舞ってみる。こいつが総大将より実力が上で、力に絶対的な自信をもっているヤツだったとすれば、反旗を翻したときに鎮圧できないからだ。
「お前は三毛様じゃない。人間の臭いがする。」
なるほど、バレているのか。なら仕方ない。
「中身は人間だ。ところで名前はなんというんだ?」
振り向いてみると、牛や馬より遥かに大きい犬がいた。青く光る目に、黒い体。体の周りには緑色の雲のようなものが浮かんでいる。どっしりと構え、妖の中に人間が入っていることにも一切動揺していない。コイツ...強い。
「やはりな。俺の名は黒眚という。田で使われる牛に恐れられる妖だ。貴様、時空を裂く方法もわからないのか?」
そう言って黒眚は呆れたような顔をして、名にもない所を噛み千切った。
どうやら時間界へと飛ぶための穴を作る方法は人型なら手刀で切る、獣型なら食らい付くなど、妖の種族によって異なるようだ。
「ガブッ」
随分マヌケに思えたが、真似をして大空を噛んでみた。すると以前見たものと同じ、真っ暗な空間が姿を現したではないか。
黒眚が早く行けと言わんばかりに顎をしゃくったので、俺はでっぷりとしたお腹を気にしながら、おそるおそるその穴へ頭を突っ込んだ。
二話目にしてついに広く知られている九尾が登場しました。不明なところが多く、敵か味方かがはっきりしない策士タイプをイメージしたのですが、どうでしたか。私は九尾の性格を考えるのに大変苦労しました。次回は時間界へ戻る話を書きたいと思います。また、今後の作品は全て、私が力尽きてしまうという理由から三千字前後になる予定です。