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星の航海術

作者: エイミカ。

 なにかに迷った時、目印にあるものやホッと出来るものがあるとうれしいですけど、比例してなくなる時ほど悲しいものもないですよね。

 そういうお話。

 星を見に行こうと思った。行先は、学校の裏にある山だ。


 日の暮れ時が早まっているこの時期に山に入るのは、あまりいいことではなかったけれど、この裏山から見る星が島で一番きれいに見えることを私は知っていた。そう、教えてくれた人が、私にはいたからだ。


 放課後、制服のままに山へ向かった。乗っていた自転車を山のふもとに停めて山中に踏み入れる。鞄は邪魔だったので、かごの中に置いていくことにした。どうせ、こんな島田舎の村じゃ盗る人は誰もいない。中身だってどうせ、教科書しか入っていない。


 顔にぶつかりそうになる小枝達をかきわけ、地面の枯れ葉を踏み荒らす。ガサガサと、植物たちがこすりあう音が私の耳に届いた。


 空を見上げてみた。視界を遮るように伸びる枝たちの間から、うっすらと空が見えた。少しずつ紺色に飲みこまれて行ってる空は、今朝方の雨の天候の悪さが未だに残っており、どこか普段以上に薄暗い。星が出ているかどうかは確認が出来なかった。


『なにかあった時は空を見上げてみるといい。星がそこにはいるから』


 ふと、頭の中に彼の言葉が出てきた。それは、彼の口癖だった。


『その昔、人々は世界を知る為に海に出た。その際、使われていたものが星だった。『星の航海術』と呼ばれたそれは、時間、季節、方角と、星さえあればなんでも知ることが出来た』


 そう言葉を続ける彼は、星に詳しい人間だった。この山について教えてくれたのだって、彼だった。彼が言うには、星を見るときは出来る限り星以外の光がない空間で見るのがいいとのこと。そういう意味では、この裏山は確かに最高の場所だった。


 想像してごらんよ、と彼が続ける。


『航海というのは、スゴイものだ。まだ見ぬ世界の姿を、頼れる地図もなしに探しに行くんだ。しかも、絶対にあるというわけじゃない。それをあると思うその意思だけで動くんだ。

しかし、待っているのは、ただ無限に空と水だけがある海の上をずっと進み続けるだけの日々。毎日、変化することなどない風景。目的地も自分がいる位置も簡単に見失ってしまう。特に夜。自分自身の姿すらよく見えない中で突き進む航海は、簡単に行き先を間違えてしまう。けれど、いつ日が明けるかもわからない。世界の姿を暴こうとしている筈なのに、逆に世界に取り残されているような、そんな孤独と恐怖だけが、その空間には広がっている』


 僕ならきっと、途中で気がくるってしまうよ、と彼が笑いながら目の前のピアノを彼が撫でた。それは彼の家のものだった。


 この楽器屋すらもない小さな島において、家庭用のピアノを持っているというのはある種の奇跡に相当するものだ。聞いた話では、彼の亡くなった父親が世界的に有名なピアニストだったのだそう。

その血筋を継いでいるおかげか、彼もピアノを弾くのがうまかった。私が彼の家によく遊びに行っていたのだって、そのピアノを聴く為だった。けれど、私が彼のピアノをほめると、いつだって彼は首を横に振って、まだまだだよ、と言った。


 世界にはもっとうまい人がいる。僕のなんて、ただの自我流で一人よがりなピアノだよ――……そう言って、困ったように笑う。


 でも、彼のピアノ以外知らない私にとっては、そんなことを言われてもわからなかった。大体に、世界にどんだけ上手い人がいたとしても、私には彼のピアノがあればよかった。彼のピアノは、私にとって安らぎだった。彼のピアノを聴いていると、日々の嫌なことすべてが忘れられた。数少ない同年代とすらも仲良くできない自分の情けなさを忘れられるような気がした。


 黒光りするピアノに、彼の顔が映し出された。さきほど見た時と同じほほえみが映し出された。


 けれど、黒いそこに映し出される彼の笑みは、なんだかいつもよりも影があるように見えた。いつもは優し気な光を携えている彼の瞳が、底なしの暗闇を携える。光を失った黒い瞳だけが、そこに映し出される。


 けれど、それも短い時間のことだった。だが、と彼が言葉を続けながら顔をあげた。


『だからこそ、彼らは空を見上げた』


 彼の目が教室の天井をとらえる。私も追いかけて、その先の景色を見上げる。奇妙な木目の天井だけが広がっていた。


『孤独を感じた時、取り残されたようなそんな虚無感を覚えた時、目的を見失いかけた時、どんな時でも顔をあげれば星はいた。明かりはなかったが、光は確かにあった。星は彼らにとってきっと、彼らと世界を繋ぐ道しるべだったんだ』



 だから、君も迷った時は星を見なさい。大丈夫。星は逃げない。君の行くべき道を光り輝き教えてくれるだろう――……。



 そう言って、彼は優し気に目を細めた。なにか、眩しいものでも見るように。


「もう、少し……っ」


 ぽつりと、自然と口から言葉が出た。道なき道を無理やり突っ切ってきたからか、服も髪もボロボロだった。額から汗が落ちて目に入った。染みて痛かった。


 遮る木々がなくなったのは、突然だった。瞬間、同時に視界が開けた。山の頂上だった。


 顔をあげる。空を見上げる。けれど、広がる空に星はなかった。日の光を失いつつある空。そしてそれを覆う灰色の分厚い雲――ただ、それだけ。


 でも、それでよかった。暗いところであればあるほど、星の光は映えるのだから。

フラつきつつ、目的地へと歩いた。垂れる前髪が視界を遮る。目の前を覆う影に、あの日見た彼の陰を思い出した。


 たどり着いたのは、岬のような場所だった。目の前を見れば、この島を覆う海が見えた。暗くじっとりと重たい色をまとうその姿は、夜の闇をそのまま落としたような風景だった。


 その中を、小さな光が進んでいるのが見えた。船の明かりだ。この島から本州へと渡る唯一の交通手段。あと数年。大学に通う時期が来れば、私もあれに乗ることになるだろう。


 彼のように。

 島から出ることになる。


(あぁ、行ってしまう……)


 遠ざかる光を見ながら、なんとも言えない気持ちにかられる。別れは言えていなかった。なぜなら、彼がいなくなることを知ったのは、数刻前のことだった。その時にはもう、彼はすでに旅たちの用意を終え、船乗り場へと向かっている最中とのことだった。


 島から出て行った人間は、島にはなかなか戻らないのが、ここでの常識だ。なにかをするには、この世界は狭すぎるのだ。何かを手に入れる為にはこの海の向こうへ進むしかない。

 だから彼は出て行った。自分のしたいことをする為に。


 広大な世界へと、その足を踏み入れた。


 自分にはきっと無理だと言っていたことを、彼は進み始めたのだ。



『迷った時は空を見上げてみるといい。星がそこにはいるから』



「……さようなら」

 ポツリと言えなかった別れの言葉が、口から落ちた。


 さようなら、私のお星さま。

 さようなら、私の道しるべ。

 さようなら、私の光――……。


(出来るだろうか、私にも)


 ここよりも、広い世界へ旅立たなければいけなくなったその時。この狭い世界ですらも、頭を悩ませている私に、彼のようにこの海へ旅立つことが出来るだろうか。


(わからない)


 でもせめて、せめて祈らせて。

 あの星の光が行く道の先に、確かなものがあるのだということを。


 光が遠ざかっていく。真っ暗な海を突き進む光は、まるで暗い夜の闇の先を示す星のようだった。

                                           ――END


最後まで、こんなお話をお読みいただきありがとうございます。

一人でもいいから読んでもらえる空間があるって、それだけで結構うれしいものですよねって、思いました。

お付き合い頂き、ありがとうございました。

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