大きな蜜柑の樹の上で
エディアン王国シトラス地方南方の街、そこには代々外交官を務めるシトラス公爵家が屋敷を構えている。
王族からも一目置かれ、領民からも慕われるシトラス公爵家の当主、カルバン・シトラスには妻と二人の息子に娘が一人いた。
優しく美しい妻メイリーナに、利発で賢い息子カルディとロスティア。
そして明るくて朗らかな末娘はメイプリル
「もう飽きたわ!!樹に登りたい!自転車に乗りたい!動き回りたい!」
・・・朗らかでヤンチャでお転婆で、公爵令嬢らしからぬ末娘はメイプリルと言った。
「お嬢様、もう少しで終わりますからご辛抱下さい。あと終わっても樹には登らせません。」
プーアルにたしなめられると、メイプリルはぷぅ、と頬を膨らませる。採寸と試着をかれこれ4時間ぐらい続けてウンザリしているメイプリルは愚痴をこぼした。
「いいじゃない、ドレスなんてついこの間も仕立てたばかりじゃないの。どれ着たって一緒よ。」
一ヵ月後に控えた婚約パーティに来て行くドレスを仕立てているのだが、本人にやる気がないためなかなか進展しない。フリフリだろうが、ヒラヒラだろうが、メイプリルの希望はただ1つ、動きやすい(脱走しやすい)格好であること。
「ダメですよ、流石にお相手がお相手ですし。」
実はこの度、エディアン王国第二王子クオーツ・エディアンとの婚約が決まった。
メイプリルよりも3歳年上の青年だ。
実際に結婚するのはクオーツがエム学を卒業してからになるので、まだまだ先になる。
父の仕事の関係で幼い頃から何度も会った事があり、感覚としては親戚のカッコイイお兄ちゃん。
自分には釣り合わない様な気もするが、美男美女の両親の遺伝子をしっかりと受け継ぎ外見だけは控えめに言ってもかなり可愛いからまあいっか。
「シトラス公爵家の令嬢たる者、外面は勿論のこと内面にも気を使っていただきたい。」
「ハイハイワカリマシタ。」
問題は家での性格や所作などだろう。
外では完璧な令嬢を演じているが、家だとこのザマだ。
それに昔の記憶をはっきり思い出して以来、お金持ちの文化に慣れずにいる。
だって毎回高額なドレスを作るとか、意味わかんなくない?
同じでよくない?
気に入ったのを大事に着まわせばよくない?
そう言ったら両親にはどこか具合が悪いのかと心配され、プーアルには「良家には誇りと気品が必要なんです。」と言われたので仕方なくこうやってされるがままにしている。
「採寸は済んだのだから、デザインはプーアルが決めてよ。私に何が似合うのかは、貴方が一番よくわかってるんだもの。早く外へ行きたい。」
「全く、貴方と言うお人は・・・」
本音が漏れる私に「仕方がない」とプーアルが眉間を押さえると、馴染みの仕立て屋たちは苦笑を浮かべながら慣れた手つきで元の服を着せ付けていく。
「確かにお嬢様の仰るとおり、プーアルさんはセンスがよろしいですものねぇ。」
「メイプリル様がお任せしたくなるお気持ちも解りますわ。」
「あら?私はプーアルだけじゃなくって貴方達も信頼しているのよ?」
元通り丈の短い動きやすい服に着替えさせてもらって、私はスカートを翻しながらさっさと庭へと駆け出した。
「あのお転婆娘は・・・申し訳ありませんみなさん。」
「いいんですのよ。それにああ言って頂けるなんて、仕事冥利に尽きますわ。」
「参考までに今回はお嬢様にどんなものをお仕立てしましょうか?」
デザインを纏めてからもう一度家に来ると言った仕立て屋たちに、プーアルは頭を下げながら言った。
「お嬢様は柑橘系のお色がよくお似合いです。あとお転婆が出来ないようにレースやフリルをふんだんに使って重くしてください。愛らしくて尚且つ、動きを制限できる様なデザインを。」
後半は随分な注文だったが、もっと小さな頃の彼女を知っている面々は「承知いたしました」と言って楽しそうに笑った。
仕立て屋たちを見送り、庭を覗くとメイプリルの姿がない。
「お嬢様」
宣言通り樹に登っているのだろうと呼びかければ、一番太いミカンの樹から楽しそうな返事が返ってきた。
「ここよ、プーアル!プーアルもきて!」
ふう、とひとつため息をつく。しかし主命とあらば従うほかあるまい。
「仰せのままに。」
ひらりと脚をかけ、腕の力でひょいひょいと上っていけば彼女は一番高い枝に腰掛けていた。
「怒らないの?」
ニコニコと笑みを浮かべる少女より、少し低い枝に腰掛けて答える。
「地上へ戻ったら怒りましょう。」
「共犯のクセに。」
「共犯なんて言葉、どこで覚えてきたんだこのガキは。」
ああ、不味い。
思わず口から考えていた事が漏れた。
チラリと目線をやると、さらりと暴言を吐かれたのに自分の主人は随分とご機嫌だ。
目が合い、思わず二人してケラケラと笑えば、メイプリルが言った。
「貴方、いつもその口調でいいのに。堅苦しいのよりその方がよっぽど似合って面白いわ。」
「そんなことしたら解雇どころが、不敬罪で首飛ばされますよ。」
「大丈夫よ、だってアナタはずっと私と一緒にいてくれるんでしょ?」
昼下がりののんびりとした時間、樹の葉の間をさらさらと風が流れて心地よい。
「ねぇプーアル、この間話したこと覚えてる?」
「・・・国外追放がどうの、って話ですか?」
「ええ。」
半信半疑で聞いていた話は、彼女の中ではかなり本気の設定らしい。
まあ確かにあの日以来、考え事をする時間が増えたように感じるし、妙に大人びたような気もする。
気のせいと言われればそれまでだが、この世で一番彼女の近くで彼女の一挙一動を見守っているのは自分だ。
その自分が言うのだから、何かが変わったのは間違いない。
「あのことについて、思い出して私なりに考えてみたの。死ぬ前に会った魔導師や、『メイプリル・シトラス』という人物の物語での位置づけ、そして私が『メイプリル・シトラス』に生まれ変わった意味。」
そう語る彼女の横顔はとても12歳のものではなく、『メイプリル・シトラス』になった彼女の表情が、ぼんやりと見えた様な気がした。
「貴方が主人公に攻略されるか、主人公が双子の姉を救うことができたら私の命はとりあえず助かり、悪くても国外追放くらいで済むの。」
だからプーアル、あなたにお願いがある。
「・・・なんなりと。」
『命令』と言わずに、『お願い』と言う辺りがいじらしい。
主従関係がはっきりとしているのだから、お願いだなんて曖昧なもので縛らなければいいのに。
こういうところが彼女を『メイプリル・シトラス』たらしめるのだろう。
「絶対に攻略されないで、ずっと私の元にいて。私は必ず主人公のお姉さんを救う。知恵も権力も魔力も沢山つける、だから。」
プーアルは、そっと目を見開いた。
「私は今度こそ、長生きしたい。どれも諦めたくない。メイプリルを幸せにしたい。」
真っ直ぐと先を見据える少女が妙に大人びて見えて、そこでやっと、メイプリルがメイプリルであって、メイプリルではないと確信が持てた。
「承知いたしました。貴方の骨は必ずや私が拾いましょう、私は生涯貴方にだけ仕えます。」
そう口にすれば、主人は嬉しそうに笑い「約束ね。」と小指を立てた。
諦めたくないものの中にどうか自分も入れて欲しいと、地上に降りるまでは思っていても良いだろうか?
「よおし、そうと決まったらバリバリ勉強するわよ~!待ってろエム学!目指せ医療魔導師!」
きっとこの公爵令嬢らしからぬ優しいお嬢様は、許してくれるだろうな。
「あ、そういえば、魔法学園って、基本的には15歳から入学許可が下りるらしいですよ。」
そうだったっけ!?というメイプリルの叫び声が庭に響き渡った。
登場人物紹介
カルバン・シトラス
厳格だが妻とメイプリルにはクッソ甘いお父さん。エディアン王国外交官。
メイリーナ・シトラス
優しいが切れると手をつけられないお母さん。「お淑やか」を絵に描いたような人。