灰煙のレヴィスト
「昨日は忙しかったみたいだな」
月曜日、教室で席に着くと、すぐに町田の方から話しかけてきた。町田は本を読んでおらず、足を組んで椅子に座り、机の上に頬杖をついていた。あきらかに気取った格好で、それが何を意味しているかクラスの皆は知っていて、町田の事は見て見ぬ振りをしていた。
「もう、話は伝わってるみたいだね」
「かしこがリザリィから、大切な事を話しているから来るな、と言われたそうだ」
「リザリィ、戻ってきたよ」
「みたいだな。今、どうなってるんだ? こちらはこちらで、色々と調べていたんだが、そちらとの連絡は絶たれていたんで、全体像が見えないんだ」
「ややこしい事になってるよ、昼休みにでも、まとめて話すよ」
「そう、楽しみにしてるよ」
「おはよう、今日の町田君はヒーローモードなんだね」
「おはよう、頬白」
「俺も町田みたいにヒーローになれたらいいんだけど」
「ひろくんは真結のヒーローだから、それでいいよ」
「ありがとう。俺も、真結が居てくれて本当に助かってる。もし一人だったら、心が潰れてしまいそうだ」
「辛いよね、いろんな事が一杯あると」
「ああ……」
出会った時、真結は自分が魔女である事を隠すのが辛い、奇跡を起こした事を心の中に秘めておくのが重い、と言った事がある。彼女は普段はのほほんとしているが、皆が言う通り芯は強い。強いからこそ、その心には無数の傷がついているだろう。
俺は真結ほど強くない。そういう自分の無力感にいつも苛まれていて、自分で自分の心を押し潰してしまいそうになる。でも、真結のおかげでそうならずに済んでいた。そして町田という信頼出来る強い味方を得て、なんとか立っている事が出来る。誰でもそうなのだろうか?
昼休みまでの間は平凡な時間が続いていた。その間、俺は自分が平凡である事を気にする必要は無かった。普通の人間が普通に生活をしているだけだ。しかし、昼休みが過ぎれば、また、ただの人間である自分との戦いに戻る事になった。
「ケルベロスという地獄の番犬を手なずけている地獄の男爵が出てくる物語がある。その物語に出てくる犬は、正確には犬じゃないんだが、炎に身を包んでいる種類もある。この悪魔は単純に地獄男爵と呼ばれていて固有名がなかった」
「この物語を原作とした映画では、色々な脚色がされていて、ケルベロスは燃える犬になっていて、首も一つしか無かった。古い特撮技術では、それが精一杯だったらしい」
「この映画の中では地獄男爵はレビスト男爵という名前を持っているんだが、あくまで他の人達からそう呼ばれているという設定に過ぎない」
「ではそのレビストという名前の由来は何なのか、と調べた所、地獄のデビルの一人に、灰煙のレヴィストという者がいて、爵位は男爵だそうだ」
「灰煙のレヴィスト……」
「あくまで想像上の存在で、君達が知る本物の魔界に存在するかどうかは分からないが、俺達が調べる事が出来たのは、そこまでだ」
「灰煙のレヴィストは狡猾で、地獄の居城から出る事は殆ど無く、現世に手を出す事も無いらしい。全ては手下の悪魔にやらせて、その結果を見て愉しむだけだそうだ。彼にとっては地獄界が大切な場所であり、爵位が重要な意味を持ち、そして、成り上がる機会を常に伺っている」
「彼が動く時は、他の悪魔が失脚する時だけだそうだ。つまり、裏で手を引いてあれこれと策を弄し、そして敵対する目上の悪魔が失脚するのを狙っている。だから彼が舞台の上に出てくる事は殆ど無いが、目標となった相手の周りでは大変な争いが起こり、時にはその争いで命を落とす」
「敵にすれば一番厄介な相手だね。しかし、彼が狙うのは常に目上の悪魔だから、頬白が狙われる事は無いと思うけどね」
「ありがとう。心にとどめておくよ。こちらは、リザリィが戻ってきたんだけど、それが頬白家の三階に無理矢理建て増しをして引っ越してきたんだ」
「……さて、どうだったかな。弓塚の隣の家の事はよく覚えてないよ。これ、また記憶を操作されてるみたいだな。俺としては不愉快だから、あまり記憶を弄って欲しくないんだが」
「大きな変化を隠す為に、硯ちゃんが魔法で色々と記憶をねつ造しているんだと思う。まぁまた今度頬白の家に行った時にどんな風になってるかは分かるよ」
「うん。それで、リザリィはまた弓塚を誘惑するために戻ってきたのか?」
「今度はコイルさんの代わりに新しい護衛と一緒に戻ってきたんだ。テラヴィスって魔女から俺達を守る為に」
「テラヴィス?」
「300年前に白竜の心臓を食べて強い魔力を得たんだって。その後地獄界に逃げて身を潜めていたんだけど、それが人間界に出てきたらしいんだ。そうですよね、里詩亜さん?」
「んんっ!?」
昼休み、屋上の端の壁の陰になる所で、俺達は昼食をとっていた。その壁際に里詩亜さんは立っていて、俺達の事を監視、というべきか見守ってくれていた。
「あ、そんな所にいたんですね」
「この女性が、今、話に出た新しい護衛か?」
「ど、どうして分かった? 私は隠蔽魔法で隠れていた筈だが……」
「意識して見つけてしまうと、魔法を無効化してしまうんです。コイルさんや縫香さんにもやってしまって、気まずくなった事があります」
「魔法を無効化……それが弓塚殿の能力なのか」
「うん、そうだよ、ひろくんには魔法が効かないの」
「魔法耐性か……見守るにしても、魔法に頼ってはいけないんだな」
「或いは、俺があえて無視するか、です」
「リザリィから、弓塚殿の様子を見てくるように言われて来たのだが……今の話、あくまで人間の世界での想像上の物語として、という所で止めておいてくれないか」
「……そういう事なら、そうしますよ」
「君が町田殿……来島かしこの相方か。人間が想像上の事として話している限りには、災いが訪れる事は無いが、事実をつきとめたというのなら、相手も黙ってはいない」
「俺とかしこの調べた事は、あくまでオカルトの領域、という事で」
「うむ。頬白殿と弓塚殿も、そういう話があったんだ、という知識だけに止めておいた方が良い……でなければ……」
とそこまで里詩亜さんが言った時だった。
彼女は壁から離れて瞬時に真結の前に立つと、その喉元を掴みかけていた長い爪を持った禍々しい手にクナイを突き刺していた。
「こういう事になる」