日常になった非日常
「それで、隣の真結ちゃんとは仲良くやってるの?」
登校前の朝食の一時。母さんが少し含みのある笑いをしながらそう尋ねてきた。
「弘則と努君と真結ちゃんは、小さい頃から仲良しだったな。最近、努君にも彼女が出来たみたいだが、『お前達』はどうなんだ?」
隣に引っ越してきた魔女四姉妹の末っ子、頬白硯ちゃんの幻術魔法によって、両親の記憶は改ざんされ、隣人の頬白家とは長い付き合いだという事になっていた。
父と母がここにマイホームを建て、それから数年後に俺が産まれ、その数年後に頬白姉妹が引っ越しをしてきた。俺と真結と町田は同い年で、幼稚園も小学校も中学も一緒の学校に通っていた。という事になっている。
全て嘘だが、家族でそれを知っているのは魔法に対して高い耐性を持つ俺だけだった。
「真結は、鹿島神社で巫女さんのバイトをするらしいよ」
直接、真結と俺との関係を話すのは恥ずかしかったので、そんな風に話題を反らして答えた。
「あらあら、真結ちゃんが巫女さんなんて可愛らしいわねぇ、来年の初詣には鹿島神社へ行きましょうよ、ね? お父さん」
「ああ、そうだな。鹿島神社は因幡の白兎に関係のある、由緒ある神社だったかな。たまには天照大神に由緒のある神社にも行ってみようか」
「きっと天使の様な笑顔で挨拶してくれるわよ、楽しみねぇ」
(今は、本物の天使なんだけど……)
幸いにもと言うべきか、そうなるように仕組まれているというべきか、父も母も頬白姉妹に対して最大限の好感を持ち、疑いなど微塵も感じていない。
実際に十年近くお隣さんとして仲良くしていた老夫婦の事を忘れた訳ではないみたいだが、記憶の改ざんによって、隣ではなく近所に住む老人という事になっていた。
この街一つ丸ごと、ほぼ全域に幻術魔法がかかっていた。それだけの広範囲に強力な魔法をかけられるという事は、硯ちゃんが並みの魔法使いではないという証だった。
その姉である頬白真結は、存在しない人間一人を産み出すという、更に奇跡を越えた魔法を使っていたのだが。
「そろそろ、時間だから行ってくるよ」
「遅れると襟亜さんに怒られちゃうものね、行ってらっしゃい」
「そう言えば母さん、町内会で襟亜さんが料理の教室をするとか言ってなかったか?」
「そうなの、襟亜さんって、安い食材で美味しい料理を作る天才だから。私もよく一緒に買い物についていってるわ」
「……いいお嫁さんになりそうなのに、相手は居ないのかな?」
「あら、お父さんが興味があるのは、縫香さんの方じゃないの?」
「いや、縫香さんは……怖いよ。風水とか占いとかしてるんだろ? 俺は、そういうのはちょっと……」
「そうねぇ、お父さんってオカルトは苦手だものね」
「どうもねぇ、真結ちゃんも硯ちゃんもいい子だし、襟亜さんもいい女性だと思うんだけど、縫香さんだけは怖いんだよ。悪い人じゃないってのは分かるけど」
という記憶操作も、勿論、妙な事にならない為の『設定』だった。
スレンダーな体つき、真っ白な肌、流れる様な金髪のツインテールは腰まで届き、そして青白い瞳は日本人ではなく、ロシアかどこかからきた来訪者に見えた。そんな美女が、下着一枚もつけずに、素肌に薄い絹のチャイナドレスだけを着て街を歩いている。
男ならだれでも振り向きそうな存在だが、存在そのものを魔法で希釈させていた。
街ゆく人は、そこに縫香さんが歩いている事を全く気にしない。通りすがりのどこかの
OL程度にしか感じていない。
いつだったか、コイルさんが似た様な事を言っていた。存在を消す結界を張っていたのに、俺の魔法耐性のおかげで、その結界が無力化されたと。
その俺のせいだろう。努と共に歩いていた時、彼は縫香さんに気付き、恋い焦がれる様な視線を送っていた。それを見た真結は最強の魔法――運命を操作する魔法――を使い、『来島かしこ』という、縫香さんの双子の妹の様な美女が『努の望む異性として、この世に存在する』事にしたのだった。
魔女は皆、彼女達の様に強い力を持っているのだろうか? その強さ故に俺達普通の人間は魔法使いの存在を知る事無く、生きているのだろうか?
自宅の玄関を出て、右隣にある頬白家の方へ向かうと、既に頬白真結が自分の家の玄関先で、俺が来るのを待っていた。
「おはよう、ひろくん」
「お早う、真結」
「今日はギリギリよ。二人とも急がないと、町田君まで遅刻させちゃうわよ」
四姉妹の次女、毒舌の剣士、襟亜さんが地獄の笑みを浮かべながら俺達を見送る。彼女の使う剣技もまた魔法なのだろうか? 天使と互角に渡り合い、白銀の日本刀を自在に操っていたが、その刀は時として白蛇の姿になり、単なる武器では無いみたいだった。
「はぁい、いってきます、襟亜おねーちゃん」
「いってきます」
襟亜さんから何かキツイ一言を貰う前に、真結が俺の右手をとって、走り出した。その小さな優しい手の膨らみと温かさが俺の手をしっかりと掴んでいるのを感じだだけで、俺はとても幸せだった。
(女の子の手って、柔らかいんだぁ……)
などと鼻の下を伸ばしている俺の背中に、冷たい視線が突き刺さる。
「……あらやだ。あの二人、手を繋いで走ってる。本当の幼なじみみたい」




