アブドギャッボルール
これはとある日に、意味不明な言葉を言い合うという無駄な時間を過ごした時のことなんだが。
ああ、私は参加していないぞ。周りの楽しそうな女子達がかわるがわるそれを言っているのを私はグループの中にいながら冷めた目で見ていたよ。まあ、みんなもそういう私との付き合いを大切にしてくれているからそれでいいんだ。
それはともかく、みんなが言う物はごく普通のものだった。例えばカタカナだけのアニメタイトルだとか、強い毒薬の名前や長い名前の世界史の人物など、とにかく長いカタカナなら何でもいい空気だったよ。
所詮は高校生の集い、私も高校生だが知っているものばかりできゃっきゃと騒ぐみんなを見て少し気怠かったよ。
だが一つ気になる名前が出てきてね……君、アブドギャッボルールというものを知っているか?
知らない? まあそうだろうね。彼女、相沢日登美というのだが、それは相沢家の家族ルールを明文化したものらしい。
家族ルールは分かるな? まあ門限だとか、一番風呂は父親のものだとか、そういった他愛もないものさ。
そんなの知るわけないって? ふふ、そうだな。その時も周りの女子はみんな分かるわけないじゃん、なんて言ってみんなで笑っていたよ。
だが私は分かるわけないで済ませたくなくてな。日登美からその後も詳しく話を聞いたんだ。
気にすることは全て気にした。例えば明文化したのだからその文章、内容、破った時の罰則、いつくらいに決めていたルールなのか、などなど。
彼女は最初ムッとしたように怒っていたよ。自分が適当を言ったと疑われていると思っていたんだろうね。けれど私は日登美が嘘を吐く人じゃないと分かっていたから純粋な好奇心だと伝えて、快く話を聞かせてもらった。
ルールの内容は特には触れないが、そうだね、罰則が結構厳しいくらいは伝えておこう。
晩御飯抜きだとか、家から閉め出すみたいな昔の漫画みたいなことがあったよ。今なら児童虐待だが……今は使っていないからいいだろう。
それで何故そんなに気になったかというと、やはり名前だ。
アブドギャッボルール、ルールは英語だがアブドギャッボとは何か。発音からして英語圏ではなさそうだし、検索してもヒットしない。一体どういう意味なのか、それが気になる。
ほら君も気になってきただろう? アブドギャッボ、語感もよくないし、何度か口に出さないと忘れてしまいそうだ。
それで日登美の家に行って私はお母様に尋ねてみたのだ。アブドギャッボルールはどういう名前の由来があるのか、をね。
するとどうだ、お母様は茫然とした後に言ったんだ『それってなあに?』とね。
知らなかったわけだ。そのルールは日登美曰く三人姉妹が幼い頃に施行していたルールだから、彼女たちが覚えていないのは仕方ないにせよ、既に成人もしていただろうお母様が全く分からないというのは不自然じゃないか?
不自然ついでにその時私は日登美に疑いの目を向けたが、彼女は絶対にアブドギャッボルールが存在していると言って、わざわざ都会で仕事しているお姉様に電話をしたのだ。
するとどうだ、お姉様も知らないという。
日登美は困惑していたよ。絶対に子供の頃にやっていたのに、どうして誰も憶えていないのか、とね。
日登美がわざわざ存在しないものをあたかも存在しているかのように振る舞っているんじゃないか、と一度疑ったよ。元々はほら、変な遊びのために言ったわけだから。
けれど今は二人きり、実は適当に言っただけなの、としおらしく言えば私は笑って許すさ。
なのに日登美はわざわざ日記を捲ったり、家の中のものを総動員してどこかに書いていないかを探し出したんだ。
三十分くらい探して少し悲しそうな日登美を見て私も間違いなく存在していたんだろうと思ったが、後から帰ってきたお父様も全く知らない反応を示したんだ。
家に帰って私も不思議に思ったよ。彼女はそのルールに従っていたのに、そのルールを彼女以外の誰もが知らないという。
ああかくも不思議なアブドギャッボルール、考えてみれば子供が適当に考えるような名前かもしれない。もしかしたら彼女一人で作って、彼女一人が守っていたルールなのかもしれない、と私も適当な答えを見つけたつもりだった。
だがおかしな話があってね、数日経って日登美にアブドギャッボルールについて少し尋ねてみると、彼女までお母様のように茫然としたんだ。
そして「それなあに」と全く知らない様子をしたんだ。
こればっかりは少し詰問したよ、けれど彼女は全く知らないしむしろ私を怖がるような反応を示したんだ。
結局は彼女の悪ふざけなのかもしれない、けれどもしかしたら何か異常なことが起こっているのかもしれない……。
その奇妙な遊びをしていた時の数人にその名前を再び出してみると、やはり初めて聞いたという反応をした。
これはいよいよおかしいだろう? 一度だけとはいえつい最近聞いた名前を誰も知らないというんだからな。
まるでその存在を知られないように見えざる力が働いているようで、少しの背徳感のような、胸の高鳴りが止まらなくなる話だろう?
それで今……この名前を知っている人は私一人になってしまった。
いや君がいたね。名前を忘れないようにしないとね……。
アブドギャッボ、アブドギャッボ、はっはっは、大丈夫、覚えているさ。
それでえっと……。
えっと……。
ああそうだ。確か君に不思議な話をする約束だったね。
しかし、何の話だったかな……。