銃王
ふと、和樹が休憩中のフレアに尋ねたことがあった。
「なぁフレア。そういや、八王ってあらゆる異界から落ちてきた奴とか、超兵器とか、巨大ロボットとか、そんなのが蔓延していた大戦を平定させたんだろ? 具体的にはどれっくらい強いんだ? 拳で海を割れるくらい?」
「…………んー、そうですねー」
美少年姿のフレアは、自分の容姿などまったく省みていないように、だらん、とツナギを着くずしてソファーに沈んだまま、和樹に説明する。
「この世界にギルドっている組織が存在することは知っているですよね?」
「ああ、試しに近場の施設に行ってみたらリアル猫耳メイドがじゃんけん大会やってた……何度看板を確認してもメイド喫茶じゃなかったことだけが印象に残ったぜ」
「冒険者って基本、頭のネジが数本飛んだ奴ばっかりですから、その、そいつらを相手にするギルドの人も…………うん、それは置いていてですね。そのギルドが成り立ての冒険者のために強さの位階を決めているんですよ」
「へぇ」
「あくまでも基準なんですけど、冒険者のランクも一応それに沿って付けられていてですね。全部で十段階まであって、こんな感じです」
何気無くフレアが指を振ると、お茶を啜りながら椅子にもたれ掛かっていた和樹の前へ、簡単なイラストやカラフルな文字で分かりやすく説明が書かれたメモ用紙が出現した。
これはフレアが得意とする芸術系魔術の初歩であり、一瞬で頭に描いたイメージを紙に貼り付ける物だ。加えて、転移魔術の初歩も同時に行使しており、フレアが魔術を行使する者の中でも、なかなか熟練した者であることが分かる。初歩の魔術でも、全く系統の違う者を組み合わせて同時展開させるのは、どちらの魔術も会得した者が少なくとも、OASISの魔術学院で五年修行しなければいけないだろう。
「おお、さすが芸術家。芸が細かいな」
「えへへへー」
だが和樹は、魔術関係はさっぱりなので、行使された魔術よりも、渡されたメモの出来に目を輝かせていた。
そして、渡されたメモには可愛らしい天使のミニキャラがちょこまか動く様子と、十段階の強さについて記されていた。
十階位:駆け出し 一般人クラス
九階位:訓練された者 軍隊とか、その手の職業の人クラス。一番死に易いので注意。
八階位:熟練者。一般人がこつこつ成長して、達成できる限界値。
七階位:天才。ちょっとおかしい者達が到達できるクラス。
六階位:超人。人としての色々を超えなければ、到達できないクラス。
五階位:魔人。人として定義されなくなるクラス。
四階位:神性。この域に達した人間は最早神に近い。
三階位:最強。大抵の存在には負けない。生涯無敵が多い。チート。
二階位:王。八王クラスの強さ。チートすら下す、チート。もはや道理なんて通用しない。
一階位:概念。もはや、生物と定義していいのか分からないクラス。存在自体が一つの概念。
「…………なにこの、超インフレ」
「ジパングですから。ちなみに、これは一応人間向けに作られた一番簡単な十段階での分け方なので、実際には千くらいに細かく分割してもおかしくないぐらい階位と階位には差があるのですよ」
「うわぁ、人間ってここまで強くなれたんだな」
「元々、人間自体が結構強いですから。第五階位の説明に人間を辞めているとか書いていますけど、人間じゃない者達が必ず五階位以上というわけではないのです。知性の無い魔物たちは大体七階位以下ですし、大戦を経験した私だって、六階位から七階位を行ったり来たりという感じですから」
和樹は改めて、このジパングという世界の果てしなさを思い知った。
「後、カズキが最近通っているラーメン屋のおかみさんは第三階位です」
「意外と身近にいるなぁ、最強クラス!」
「彼女が本気を出したら、OASISは火の海ですよ?」
「傍から見たら、ただの人間のおばちゃんにしか見えねぇのに」
「銃王だって、傍から見たらただのおっさんにしか見えませんです。戦場で見たら、絶望以外の何者にも見えませんが…………」
大戦時の恐怖を思い出したのか、ソファーの上で、顔を青くしてカタカタ震えるフレア。
和樹は改めて、この国がどれだけ混沌としているのかを思い知った。
というか、混沌としすぎだろ、ツッコミを入れたいぐらいである。
もっとも、最強クラスが普通にラーメン屋のおかみさんをやっていたり、どう見ても人間なんて一瞬で細切れに出来る爪を持った竜族の男が、中年のおっさんに仕事で説教されて、縮こまっていたりするからこそ、この混沌国家OASISはジパング一、安全な国なのかもしれないが。
「争いは同じレベルの者でしか発生しない、か」
「まさしくそれですね。近しいレベルが存在せず、かき混ぜられて混沌としているから、暴力に偏る者が少ないのですよ」
よいしょ、と可愛らしい掛け声と共にフレアが体を起こし、和樹へ告げた。
珍しく、真剣な顔つきで。
「――――そして、それら全ての上に存在し、混沌を管理するのが、我らが銃王――加藤 武なのです。拳で海を割るどころか、指先で星を撃ち落とすような『人間』ですよ」
「なにそのおっさん、超怖い」
「あー、敵対しなければただの優しいおっさんですからー」
絶対に敵対するものかと、心に誓った和樹だった。
「それで、何故急に八王の強さを聞いたのですか? まぁ、ジパングに住む者は誰でも一度は気にする話題ですが」
「いやまぁ、大したことじゃねーと思うんだけどよ」
一拍置き、若干引きつった笑顔で和樹はフレアに言う。
「本日正午に、『一緒にご飯食べませんか』ってその銃王さんから誘われてんだよね、俺」
「…………生きて、帰ってきてね?」
「わかったから、静かに涙を流しながら抱きついてくるな」
そんなわけで、和樹は大戦時のトラウマが蘇ったフレアをなだめた後に、混沌国家OASISのトップにして、ジパングの秩序を保つ最高戦力、【八王】が一人、【銃王】加藤武に会いに行く。
ひたすら自分に「首筋が痛くないから大丈夫、死の危険は無い、絶対無いって。大丈夫だって。超余裕だって」と言い聞かせながら。
●●●
そもそもの発端は、和樹の元に福祉施設の担当から電話が掛かってきたことだった。内容は、経過観察も充分に過ぎたので、少しこちらの責任者と直接会って話がしたいということらしい。
別段、特に警戒することも無いはずだった。
その責任者とやらが、一国の王でなければ。
「やぁ、初めまして、保延和樹君。私は混沌国家OASISの防衛軍総統兼、召喚被害者保護施設の局長、加藤武という者だ。よろしく」
「……よろしくお願いします」
『食事』にと指定されたのは、和樹が行き着けのラーメン屋。
そこで待っていたのは、何処からどう見ても、ちょっとお腹が出て、髪が薄くなってきている中年のサラリーマンにしか見えない、おっさんだった。朗らかに笑う優しげな目元は、ちょっと運動不足でうだつが上がらないけど、なんだかんだで家族に愛されているいい親父さんという印象しか感じられない。
――そのことが何より、和樹には恐ろしかった。
「あー、そんなに固くならなくてもいいよ。私なんて、妙に肩書きがあるだけのただのおっさだからねぇ。いやぁ、最近なんかは部下なんか突き上げが酷くて」
「ははは、すんません。善処します」
「ごめんねぇ、いきなり呼び出しちゃってさ。和樹君にも色々予定があっただろうに」
「いや、全然暇でしたんで! やることといったら、同居人の家事程度なんで! ぶっちゃけ、ヒモ暮らしなんで!」
「福祉施設を卒業した子がヒモをやっているといわれると、施設の責任者としては、結構複雑だなぁ、あははは」
和樹の目の前に居るのは、紛れもない銃王――加藤武だ。
事前に図書館の資料で確認した姿と、瓜二つであり、間違いない。普通に考えれば、こんなフットワークが軽い王様なんて存在しないはずなのだが、八王にはそれが許されるだけの戦力がある。ぶっちゃけ、八王を暗殺できるような存在が居るとすれば、同じ第二階位に存在する、限りなく少ない実力者だけだ。それも、ほとんど八王ぐらいしか存在しない。故に、王達は自由気ままに、自らが法であることを証明するかのごとく闊歩するのだ。
『王』という位を付けられているから勘違する者が多いかもしれないが、八王達のほとんどは、王国における『王』の役割を果たしていない。儀礼的な役割さえも、果たしているのは狩猟王だけで、そのほかの王達は、自由気ままに、好きな仕事をやっているだけ。
なぜならば、八王とは、八王として存在してるだけで……いや、それこそが、このジパングにとって何より重大な役割なのだから。
さて、長々と説明してしまったが、結論として、和樹の目の前に居るのは紛れもない銃王。
この国のトップであり、神や最強すら下す混沌の王である。
そんな規格外の存在が目の前に居るというのに、一般人に過ぎない和樹が、何の圧力も受けていないのが問題だ。
道行く竜族の主夫の方が、下手をすればプレッシャーや貫禄を感じるほど、和樹は加藤に何も感じられない。
――――つまり、天上すら越えて、はるか宇宙の彼方ほどに彼我の差がある相手に、完全に気配を合わせられるほど、己の力をコントロールしているのである。
「えっとですね。それで俺にご用件とは?」
和樹は加藤と、フレアとの同居話や、元居た世界の話題、憎たらしい幼馴染の話題など、他愛ない雑談を経て、質問を切り出す。
「おっとすみません。おっさんは若者とのおしゃべりが好きでねぇ……うん、それで、今日君を呼んだ理由なんだけど」
僅かに、ちくりと和樹の首筋が痛む。
「和樹君。岸辺遊水という名に心当たりは無いかな?」
「………………あり、ま、せん」
ほんの一瞬。刹那にも満たない時間だったかもしれないが、加藤の目に剣呑な光が宿ったのを、和樹は感じてしまった。臆病さゆえに、その特化した感知能力ゆえに、知らなくていい恐怖を知ってしまった。
その恐怖を例えるのなら、銃口を突きつけられた感覚が近い。
ただし、口径は果てが見えないほど巨大に、銃身は底が見えない闇を内包している。
「うん、嘘じゃないね」
「アンタ相手に嘘を吐ける野郎が居るのか?」
「おや、敬語が崩れたね? ちょっとはおっさんに心を開いてくれたのかな?」
「勘弁してくれ。見ればわかるだろ? 外面を気にして装える余裕が無くなっただけだ」
ため息混じりに竦める肩は小刻みに揺れ、顔は血の気が引いている。
そんな時でも軽口を叩くのは、もはや和樹の特技と言ってもいいかもしれない。
「あははは、気付かれないつもりだったんだけどなぁ。私もまだまだ未熟者だねぇ」
「アンタみたいに恐ろしい未熟者が居てたまるか」
震える声で抗議する和樹に、穏やかに笑って応える加藤。
傍から見れば親子の和やかな会話にしか見えないかもしれないが、和樹当人からすれば、生きた心地が全くしない。たとえ安全と分かっていても、核爆弾の隣で安らかに眠れる凡人なぞ存在するはずがないのだから。
「さて、私から聞きたいことはこれだけだよ。悪かったね、急に呼び出して。後は一つ、連絡事項があるだけだから、もうちょっと辛抱して欲しい」
「りょーかいっす。あー、ちなみにさっきの質問に関しては余計な勘繰りはしないんで」
「ほほう、なかなか賢いね」
「アンタと違って、俺は臆病なだけだっつーの」
加藤はどこか楽しげに苦笑してから、和樹に連絡事項を伝える。
「そろそろ君を元の世界に戻す準備が整ったから、お世話になった人に挨拶してください」
この世界に来てから、和樹の至上目的であったことを、あっさりと、なんでもないように加藤は告げてきた。
「え……あ、た、確かに? 元の世界に戻せないと言われてなかったけど、普通に生活補助されていたからてっきり?」
あまりにもあっさりと言われてしまったので、さすがの和樹も、口が半口になったまま、唖然としている。無理はないだろう、いきなり放り込まれた異世界で、必死になって生活基盤を築いたと思ったら、いきなり『帰れるよ』と告げられたのだ。逆に、ここで「あ、了解っす」なんてあっさり返せる者が居たとしたら、それこそ異常だ。
「確証が無かったから言わなかったけど、うちの優秀な技術者たちが君の存在情報と空間歪曲反応から、元居た世界の位相を割り出せたんだ。ぶっちゃけ、国民が不安がるから情報隠しているけど、結構このジパングにはどこかの馬鹿から面白半分に能力を与えて放り込まれた『勇者』が居るからね。こういう事態には慣れているんだよ」
「…………だから、刑事さんとフレアの反応が微妙に違っていたんだな」
「そういうこと。国民を悪戯に不安にさせるわけにはいかないけど、当事者に説明なしもどうかと思うでしょ?」
肩の荷が降りたと言うよりは、肩透かしを食らったかのような感覚。
決して悪いことではなく、むしろ涙を流しながら喜ぶべき出来事なのに、素直に喜べないのは、事態が余りにも急なことと、やはり、結局のところ――
「流されっぱなしか。だせぇな、俺」
「いいや、途中で転覆しなかっただけでも大勲章だよ。君と同じような境遇で無事に帰れた人は結構少ないからねぇ。まったく、余計な力を持つから、溺れるのさ」
和樹のように大人しく、和樹のように無力な異世界召喚者はほとんどありえない。大抵が、どこかの誰かにそそのかされ、反則級の能力を玩具のように扱い、破滅する。
無知は罪ではないが、力には責任が伴う。
ただ、与えられるがままに能力を享受していた者は、その責任が果たせなかった。
「俺の境遇がよかったのって、ひょっとして、前例があんまりにもアレだった反動だったりするかい?」
「少なくとも、人の話をちゃんと聞いて、努力して、善処する者には、それ相応の対価が与えられるべきだからね」
「人間、チートに頼らず真面目に生きるべきだよな、まったく」
やっと実感が追いついてきたのか、和樹は皮肉げな笑みを貼り付けて、外面を装える程度には復活したらしい。
人生万事塞翁が馬。
凡人の異世界譚の結末なんてこんなものである。
そうそう大層なイベントなんてありゃしない。
「…………フレアに別れと、お礼を言わなくちゃな」
小さく呟かれた言葉には、紛れもない哀愁が漂っていた。
大層なイベントなんて無い。
でも、大切なイベントは凡人にだって存在する。
友達との別れは、異世界ファンタジーのどんな大層なイベントよりもきっと、和樹にとって大切なイベントだ。
たった一ヶ月程度の友人でも、別れを告げるときに笑顔を作るのは、難しいことなのだから。
●●●
「ああ、うん。大丈夫、問題なかったよ。『勇者』ではない、本当に偶然巻き込まれただけの人間みたいだ。監視のレベルを一段階下げてもいいよ。後、ゲートの準備を急いで。遊水が何かを仕込んでいる可能性もゼロじゃないから……そう、不確定要素は出来るだけ排除しないとね。なにせ、『リンク』の主犯が相手だ。警戒しすぎる位でもまだ足りない」
和樹との対面の後、加藤は誰も居ない道を歩いていた。
現在時刻は午後三時。
加藤が歩いている道は、決して人通りが少ない裏路地ではなく、むしろ、人気が溢れる表どおりだったはずだ。
だというのに、まるで人気が無い。
「狩猟王の下に表れた『勇者』との関係? あるかもしれないが、大したことではないだろう。彼は何処までも凡庸だ。良くも悪くも、物語の大局には関われない人種だ」
加藤は携帯電話で何者かと会話しつつ、無人の道を躊躇うことく歩を進める。
『――――』
その道の先には、影があった。
人型の巨大な影。
実体は無く、平面だけでそり立っている幻想存在。
『彼』は異界との交わりにより現実と幻想の境界が薄れた国――幻想国家IMAGINEに生まれた『踏み潰す』という存在だった。幻想国家では、全てが幻であり、実体を持った存在は居ない。故に、全てが第一位――『概念』に準しているのだ。
いくら王とは言えど、彼らを止めることが出来るのは、虚空王だけ。
まさしく、王を暗殺するに適した存在だろう。
だが、本来彼らは虚空王によって定められた国境から出ることが出来ない不自由な存在のはずなのだが、一体、誰がどんな方法によって、それを成したのだろうか?
「ん? 緊急? 秘密結社からの暗殺者? ああ、目の前に居るね。なるほど、しかも第一位か。これは随分大層な者を用意してきたね」
『――――』
どちらにせよ、実体は無い故に攻撃が通らず、概念であるが故に、捉えきれず、滅することが出来ない相手に、肉を持った現実存在は実に無力だ。
それが例え王であろうとも、変わりない。
『踏み潰す』概念に出会った者は、『踏み潰される』だけ。
なぜなら、彼はそういう存在だから。そういう風に世界に設定されているから。
だから、ここで――――――――
「BANG!!」
指鉄砲だった。
子供のごっご遊びのように、加藤が自分よりも遥かに巨大な影に対して、指を向けて、冗談交じりにそう言った瞬間、影は一瞬で消し飛ばされた。
存在を撃ち抜かれたのである。
理屈も、原理も、まったくを以て不明。
ギルドの格付けで第一位であるはずの存在を、第二位であるはずの加藤は冗談交じりに笑って、削除した。
「うん……終わったよ。いつもどおり。いや、そうそう。いつも思うんだけどね、どうしてこうもギルドが勝手に作っただけのランク付けを皆、信じているんだろうね? というか、強さなんてランク付けできるものじゃないのに、まったく、ギルド長の悪趣味にも困ったもんだ。ほんの少しばかり世界のルールを操れるようになった馬鹿が、我々八王に挑戦して無残に散るのを見るのが趣味だなんて、性格悪すぎる。大体、第一位の『概念』が適用されるのは、たった一人だけだっていうのに」
加藤はそのまま携帯電話で会話しながら、人気が戻ってきた表通りを歩いてく。
その姿は何処からどう見ても、普通の中年サラリーマンにしか見えず。そのまま人ごみの中に消えていった。
※2.11 誤字修正しました。