土蜘蛛
自由国家ROGIAの夜は致命的だ。
まず、昼に動く生物より、夜に動く生物の方が性質が悪い。昼、ただでさえ強力な魔物や邪龍などがうろついているというのに、夜はそれに拍車をかけて、凶悪な魔物たちがうろついているからだ。
闇にじっと身を潜み、獲物の脳を啜る、ブレインイーターのミミズク。
足場の悪い森林地帯に生息する、水溜りのような黒いゲートで地表を移動し、獲物の足を引き、己の領域に引きずり込んでから喰らう蟻地獄。
その泣き声を聞いただけで、人の精神を破壊する冒涜的な鳥たち。
そんな化物たちが、夜は我らの世界だといわんばかりに闊歩しているのだ。ROGIAに住まう屈強な農民たちでさえ、夜は滅多に出歩かない。
次に、夜にはかの狩猟王と争った『土蜘蛛』と呼ばれる、まつろわぬ者達が狩猟王に復讐すべく、王の軍勢に戦いを仕掛けているからだ。
「我らが国を奪い返せっ!」
「暴力を持って君臨する王を玉座から引きずり落とせ!」
「我らの痛みを思い知れ!」
土蜘蛛たちは、怨嗟の声を響かせながら、王が住まう堅牢な王城へと走る。
風より早く。
影の如く。
――――人間と呼ばれる存在と、全く変わらぬ容姿をしていながら、『土蜘蛛』たちはそれを軽々と凌駕する身体能力で駆けていた。
「王に痛みを!」
「王に苦しみを!」
足の長さも、腕の長さも、人間と変わらない。ただ一つだけ、その瞳が夜でも爛々と輝く赤色ということ以外は。
そんな彼らが、このジパングではもはや古代的とも呼べる青銅の槍や、弓、剣を携えて、王に立ち向かわんとしているのだ。
土蜘蛛と呼ばれる彼らは、彼らがあがめる龍と、小さな国ごとこのジパングに落ちてきた不幸な住人たちだった。彼らはただ、『リンク』という理不尽な事態に巻き込まれようと、ただ自分の国を守ってだけだったのである。
けれど、世界はその小さな国すら許さない。
強力な王達八人が納める、八つの王国。
その法によって治められた、八つの秩序がジパングという世界を安定させているのだ。そこに、小さな例外も許されない。土蜘蛛たちの必死の抵抗も空しく、狩猟王の絶大な力により、国は奪われ、王の民として土蜘蛛たちは下された。
土蜘蛛たちの境遇は決して悪くは無かった。
しかし、土蜘蛛たちは国を奪われたことが許せなかった。ささやかな国さえ守ることができない理不尽を、受け入れることができなかった。だから、土蜘蛛たちは度々反乱を繰り返し、結果として、王から『太陽の下で歩く権利』を剥奪され、夜の間しか世界を歩くことが出来ない、ナイトウォーカーとなってしまったのである。
狩猟王の統治は、力による絶対支配だ。
従う者は受け入れ、恩恵を与えよう。
ただし、敵には容赦しない。討伐し、平定し、己の足下に這いつくばらせて従わせる。
実にシンプルで、けれど強固な王政だった。
故に、土蜘蛛たちのように反発の多い国でもある。
そして、
「広域制圧魔術二式――鳴神」
その反発を、日常茶飯事に収める実力を持った国でもある。
「来たぞっ!」
「ちくしょう! 戦略級の魔術だ! レジストを――がぁっ!?」
ファンタジー世界の、魔王の城の如く、不吉な雰囲気を漂わせる漆黒の城壁へ辿り着こうとしていた土蜘蛛達を、天から落ちた無数の雷が貫いてく。
土蜘蛛たちがいかに風より速くとも、音の440倍にも及ぶ速度を持つ雷を避けることなどできはしない。どれだけ武芸を極めようとも、魔道の域に到らなければ、抵抗することは叶わない。土蜘蛛たちは糸の切れた人形のように、ばたばたと倒れていく。
「ん……これで最後だな」
土蜘蛛たちが全て倒れ付したその大地の上空、ぽつりと白いローブを身に纏った若草色の少女が宙に浮いていた。外見は十代半ば程度の人間族の少女。少々垂れ目がちなのが特徴的な、可愛らしい容姿をしている。
だが、そんな容姿に惑わされてはいけない。
この少女は数十人にも渡る、土蜘蛛の戦士を、誰一人としても死なせず手加減した上で、制圧できるほどの魔術師なのだから。
「ふぁあ……まったく、この人たちは面倒だなぁ。王様が本気になったら一瞬で皆殺しにされるくせに、それを承知で反乱してるんだから。王様も面白がって「よし、その志が折れるまで何度でも捕縛して離してやる」とか言うんだもん。別に圧制とか弾圧はしてないのに、誇りってすげーめんどうだよねぇ」
魔術師の少女にとって、土蜘蛛たちの命をかけた進軍は、気だるい夜勤に過ぎない。さっさと終わらせて、愛しい布団の中に入る過程にある、面倒な仕事でしかない。
これが、力の差だ。
この国では力こそが、全て。
力を持たない者が、力を持たない者たちに届く言葉はない。
故に――
「……ん?」
力を持った者の言葉はどんな物であれ、強制的に届いてしまう。
「なに、あれ?」
例えそれが、
「おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱいッ!!」
「なに、あれぇええええええっ!?」
目を血走らせながら、意味不明なことを喚きたてる変態の言葉であっても。
それは月が満ちる夜の空を、赤き飛竜の背に乗ってやってきた。
ざっくばらんに切られた天然茶髪のショートヘアに、勝気な瞳。朱に彩られた唇から除く、白い犬歯。口元に浮ぶば、野獣の笑み。身に纏っているのは、彼女が通っていた高校の制服であるブレザー。
その手に携えているのは、異形殺しの刀。月光が注がれ、美しく光を零す刀身は、新たな獲物を求めて舌なめずりしているかの様。
天衣無縫にして、破天荒。
冬月神奈が、全てのシリアスを叩き潰して登場した。
「おっぱい! おっぱい! おっぱい!」
「くっ、この変態め! 来るな! こっち来るなぁっ!」
いきなり登場した神奈に混乱しつつも、魔術師の少女は無詠唱で魔術を行使。対人レベルに規模を押さえ多分、高速で連発が可能な雷撃を無数に放つ。
不可視かつ、回避不可の連撃。
「――おっぱい(甘ぇぜ)」
神奈はそれを、一刀の元に全てを切り伏せた。
音よりも速き雷を、音も無き一刀が掻き消せし、切り伏せたのである。
雷切。
かつて古き武人が成した異形を、神奈はここに再現して見せた。
「んな、ばかなっ!」
常識的に考えれば、雷を切るなんて不可能だ。
そもそも、雷に切るという動詞を適用させていいのか、疑問に思うほどである。
しかし、実際にそれは起きたし、神奈は服の端一つ焦げ付かせずに、それを成した。ならば、それは紛れも無く現実に起きた現象だろう。
たかが物理現象を超越した程度である、この程度、ジパングでは珍しくもない。
「おっぱい! おっぱい!」
「ひぇえええっ!」
その事実はもちろん、ジパングに召喚されてから一ヶ月程度の神奈よりも、魔術師の少女の方が心得ているはずだ。実際、少女はそれを成せる、自分よりも強大な存在をいくつも知っている。自分より格上の敵に対する戦い方だって、教えられていた。
けれど、「おっぱい!」を連呼しながら人の胸に顔をうずめて、下着を奪い取ろうとする変態との戦い方は教えられていない。
いくら逃げようとも、強靭な翼で空を駆る飛竜を乗りこなし、高速で追尾。迎撃の魔術は全て切り伏せられる。そして、一度捕まったら、恐ろしいほどの力で抱きついてきて、少女の胸に顔を埋め、下着を噛み取ろうとしてくる神奈。
まさしく、変態と言うしかないど変態の有様だった。
「くんかくんかくんかくんかくんかくんかくんか」
「や、やめっ!」
「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろ」
「そんなとこ、舐めちゃ、あ――」
数分後。
魔術師の少女は泣きながら胸を押さえ、漆黒の城壁の中へ逃げ帰っていく。
「青と白のストライプのブラジャー…………推定D! 獲ったどー!」
神奈は奪い取った下着を頭上に掲げ、夜風になびかせていた。
「…………そして、聞け! 誇り高きまつろわぬ民よ!」
勝者の笑みが浮ぶ口元は、大地に倒れ付す土蜘蛛たちへの言葉を紡ぐ。
「貴様らが王に向けた、一矢! この私が代行した! 【荒野の処刑人】冬月神奈が、土蜘蛛の少女の依頼により、王の配下を下したのである!」
倒れ付していた土蜘蛛たちは意識を取り戻していき、頭上で高々と、夜の帳を裂くように叫ぶ神奈へ視線を向ける。
「故に、これは貴様たちが成した偉業だ! 誇っていい!」
事情を良く分かっていない者は、神奈の手に持っている下着はあえて見ないようにして、感涙し、神奈が登場してからの一部始終知ってしまった者は、別の意味で涙を流していた。
「だがしかぁし! 私がその少女に要求した報酬は――処女である! ちょっと鈍感だけど、イケメンな幼馴染に恋する可愛らしい美少女の処女を、私はこれから奪いに行く予定である!」
『えぇええええええええええええっ!?』
土蜘蛛一同、一糸乱れぬ驚愕だった。
「きゅっと唇を噛み、軽く涙目になりながら『どうぞ……好きにしてください。覚悟はできていますから……』とか言われちゃう萌えシュチエーションをたっぷり堪能する予定である!」
ざわめきが土蜘蛛たちの中で生まれた。
頭上で叫ぶ神奈は間違いなく、土蜘蛛たちが成せなかったことを代行した英雄。その英雄が要求するのなら、少女が身を捧げるのはむしろ当然であり、土蜘蛛たちが居た世界では珍しくもない出来事だった。
しかし、神奈の妙な語り口調と、夜空に高々と響く凛々しい声が、土蜘蛛たちの心をざわめかせるのである。
「だから、私はそれを込みで貴様らに問うぜ」
ざわめく土蜘蛛たちを見下すように、試すように、問いかける。
「――――貴様らそれでいいのか?」
鋭き眼光は、本当に人間のものだったのだろうか?
小山ほどある屈強な肉体と、軽々と岩を切り裂く赤き飛竜で夜空を駆り、美しき銀の刀身を携える少女はまるで、荒々しい戦乙女の様であった。
「理不尽に抗うために、新たな理不尽に屈して! それで貴様らは満足なのか! 貴様らの誇りは満たされるのか!? たった一人の少女を犠牲にして! 自分達は大地に這いつくばっていて! それで本当にいいのか!?」
頭上から振る言葉は、土蜘蛛たちにとって、雷よりも激しく、彼らの体を貫く。
「考えろ! 貴様らが何をしたかったのか!? 思いだせ! 貴様らの信念を! 今まで、何度打ちのめされても王に挑み続けたのは、こんな程度のためだったのか!?」
始めに、土蜘蛛たちの誰かが歯噛みする音が聞こえた。
次に、その音を聞いた土蜘蛛の誰かが、「否」と確かに呟いた。
「答えろよ、まつろわぬ民! 国を奪われ、昼を奪われた敗残者ども! 貴様らは本当にこんな結末を許容するのか? こんなつまんねぇ結末のために戦ってきたのかよ!?」
『――――否! 我らは誇り高き【EZO】の民! 我らが戦いは王の傲慢を正すため。われらの誇りを示すための物である!』
『守るべき民を犠牲にして、誇りを得る戦いではない!』
『我らの誇りが納得するまで、王に問いかける戦いなり!』
土蜘蛛たちは立ち上がり、神奈に答えた。
始まりの信念を思い出し、震えるように叫んだ。
これは復讐ではなく、問うための戦いだと。
自分たちでも忘れていた『始まり』を、土蜘蛛たちは己の力の限り叫ぶ。
「やりゃあできるじゃねーか、貴様ら!」
大気が震え、地鳴りさえ響きそうな叫びを受け、神奈は笑う。
「なら、私から貴様らに対する要求する報酬は『貴様ら自身』の信念を貫くことだ。二度と間違えるなよ。お前らがやることはこんな小競り合いじゃねぇ! 王に本当に問いかけたかったら、考えろ! 力が足りないなんて泣き言は言うな! どんな状況だろうと、考えて考えて考えて、納得のいく答えを引き出してみろ!」
かんらかんらと大口に、どこかの誰かを誇るように。
「少なくとも、私の平凡極まりない幼馴染はそれが出来る奴だったぜ」
神楽の小さな呟きは、土蜘蛛たちの歓声に埋もれるように消え去った。