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異世界ジパング ~凡人は混沌と~  作者: 六助
第一章 足掻けよ、凡人
5/11

首筋の針

 保延和樹には一つだけ、特化した能力がある。

 それは、自身に危害が及ぶ何かに対して、直感が働くということだ。さながら、船が沈む前に脱走する子鼠の如く。大平原で肉食獣の気配を感じ取る草食獣の如く。

 便利な能力を所有していると思われるかもしれないが、その精度は神奈のそれと比べるほどでもない。精々、首筋をちくりと針が刺すような幻痛が走る程度で、具体的にどのような危険があるのか、回避するにはどう行動すればいいのかを示してくれる物ではないのだ。

 危険の度合いは首筋を差す痛みが増せば増すほど、上がっていく。

 神奈の隣に居ると、常にこの幻痛が和樹を襲っているので、和樹は非常に機嫌が悪くなる。加えて、厄介ごとに巻き込まれると、常に死を知らせる痛みを与えてくるので、神奈に関してはもう殺意しかないという状態になるようだ。

 元々、こんな能力を和樹は所有していなかったのだが、幼い頃、神奈の厄介事に巻き込まれて死に掛けて以来、生存本能が鋭敏化されたのか、首筋に幻の針が備わった。

 この針がある限り、和樹に生半可な不幸は通用しない。

 偶然、飲酒運転していた車が突っ込んできたとしても、そのときにはすでに回避行動を取った後だ。偶然、工場現場から鉄骨が落ちてきたとしても、目をやることなく軽くステップを踏むだけで避けてみせて。偶然、鬼神族のヤンキーに絡まれそうになったとしても、あまりの凡庸さに相手の毒気を抜いて。

 ――偶然、【デイブレイク】と名乗る秘密結社と警察の激しい銃撃戦に巻き込まれたとしても、こそこそするりと、誰に注目されることなく逃げ延びて見せた。

 偶然では、和樹を殺すことは出来ない。

 なぜなら、和樹の日常とは、危機感知能力を除いて平々凡々な性質しかない和樹の暮らしていた日常とは、こんなものとは比べ物にならない地獄だったのだから。

 和樹の日常を題材にしてノンフィクション小説を書く物が居たとしたら、ネタに困らない程度にはトラブルに溢れていて、ライトノベルと勘違いされる程度には、波乱万丈に満ちているのだ。

 だから、ありとあらゆる種族がかき混ぜられた混沌国家に放り込まれても、いきなり異世界に放り投げられても、なんとか対応できたのだろう。少なくとも、現状で神奈が隣に居ないという幸運に恵まれているのだから、まだどうにか生き延びることができると、心の中で必死に自分を励ましながら。

 もっとも、そんな様子も傍から見たら、目つきの悪い三白眼の少年が機嫌悪そうにしているだけにしか見えないのだが。

「…………」

 さて、異世界召喚されてから一ヶ月。

 福祉施設以外の住居も決まり、職業も決まって生活保護から抜け出し、ビジネスライクな友達兼、気のいい同居人も手に入れ、意外とタフに適応していた和樹だったが、ここで一つ、真剣に悩ましい出来事がある。

 それは――――

「……今日は『女の子の日』かよ、ちくしょう」

 朝、生活が不規則でだらしない同居人――フレアが珍しく起きてきたと思ったら、上半身裸で、下にショートパンツを履いているだけという有様だった。

 当然・・、陶磁の如く滑らかな白い肌と、下着一つも付けていない、なだらかな二つの膨らみが晒されている。

「まったく、健全な男子にとって美少女・・・の半裸は目に毒なんだよ。さっさと服を着やがれ」

 和樹は手馴れた動作で、部屋のタンスからフレアの肌着を掴むと、その上半身を隠すように投げつけた。

「ふあ…………あふ、ごめんごめん。でも、人間って性別によってリビドーが左右されて面倒ですねー」

「そりゃ、人間は天使みたいに男と女、二つの体なんて持ち合わせて居ないからな」

 もそもそとフレアが肌着を着ている間に、エプロン姿の和樹は、朝食の準備を手早く済ませていく。同居生活が始まってから、本格的に料理を始めた和樹だったが、最近では、味噌汁を手早く三分以内に作ることも可能なまでにその主夫度を上げていた。

 というより、この世の者とは思えない、美少女――実際にこの世の者ではないのだが――のだらしなさに呆れながら、味噌汁の味見をしている姿は主夫にしか見えない。

「あー、ドライヤーどこですー?」

「洗面所の下の扉」

「んー、あんがとー。あ、ツナギツナギー」

「ほれ、卸したての奴だ」

「えへへー、新品だー。汚しがいがあるですよー」

「出来る限り汚すな」

 さらに、生活感溢れる会話をしている二人はもはや、新婚夫婦にしか見えない。

 ――そうにしか見えないのだが、フラグは立っていないのだ。というか、二人の間に恋愛感情はさっぱり存在しないのである。

 なぜかと問われれば、理由は大きく二つある。

 まず、和樹とフレアは利害関係によって結ばれた、打算的な友人だ。和樹がフレアの身の回りの世話する代わりに、住居と給料を与える。仲良く見えていても、実際に二人の間に友情があったとしても、お互いにこの利害関係がある限り、お互いを乾いた視点で見続けることができるのだ。だから、そういう関係になりづらい。

 次に、天使という種族の特性がある。

 天使は一つの精神に、男と女、二つの体が存在する『両性』だ。二つの体は一日ごとに、ほぼランダムに性別をシフトさせ、残った性別の体は魂の内部に収納し、凍結する。どうしてこんな生態をしているのかは『神のみぞ知る』なのだが、雌雄同一、陰陽の両立は古くから完全なる存在の証明として存在する諸説だ。『完全なる神の使い』である、天使が雌雄同一であっても、おかしくないのかもしれない。

 要するに、美少女でもあるが、美少年でもあるフレアとそういう関係になるのは、ノーマルな和樹にとっては、煩悩を押さえつけるのに充分なブレーキになっているのだ。

 と言っても、和樹のように『超絶な美少女』が幼い頃から隣に居て、ある程度耐性が付いていなければ、ほとんどの者はブレーキを壊して突っ切ってしまうだろうが。

「いただきまーす」

「いただきます」

 フレアの身支度が済むと、和樹はフレアと向かい合わせに席に着き、テーブルの上に並べられた和風仕立ての朝食に手を合わせた。和樹は幼い頃から、割と命がけの日常を送っていたので、毎日の食事を感謝しながら頂く習性がある。なにしろ、いつ何時、最後の晩餐になるかわからなかった日々が続いたこともあるので、こうやって普通に食事を取れることに対しての感謝を欠かさないようにしているのだ。

 どれだけ礼儀正しく、日々善行を積んでも自分の悪運が改善されないことは、とうの昔に知っているのだけれど。

「フレア、今日の仕事は?」

「んー、二点外宇宙系の作品が注文受けてるから、しばらくは部屋に閉じこもりです。あ、製作中はあまり作業部屋に来ないでくださいね。正気度削られてしまいますから」

「前に軽い持ちでフレアの作品を眺めていたら、いつの間にか丸一日経ってたことがあったからなぁ。芸術関係に疎い凡人でも、あそこまで人を惹きつけるとか……さすがR神族指定の芸術家だよな」

「えへへ、照れちゃいますよぅ」

 少し恥ずかしそうに頬を染めて照れるフレアだったが、本来だったら、フレアはその程度の賞賛は聞き飽きてしまうほどの芸術家である。

 大戦後、フレアは魔女から受けた呪いにより、人と顔を合わせる仕事……つまり、ほとんどの仕事を失ってしまったのだが、ふと、趣味でやっていたジャンクアートを賞に出してみたところ、主に神族とか、邪神族とか、そこら辺から恐ろしいほど評価されて、結果として賞には届かなかったものの、そこから芸術家としての仕事を貰うツテで出来たのだ。販売相手も、ちょっとやそっとの不幸なんて小波の如く気にしない者達ばかりだったからか、フレアも調子に乗って意欲的に制作していった結果、一つの作品に億単位の値段が付く国宝クラスの芸術家になってしまったのだ。

 とはいえ、初めて出来た人間の友達からの賞賛は、フレアにとっては万雷の拍手よりも価値があったようで、フレアは機嫌良くしたのか、朝食後、鼻歌混じりに歯磨きをしている。メロディーに合わせて、わざわざ顕現させた翼を動かしている。かなり上機嫌らしい。

 一緒に一ヶ月ほど暮らしていて和樹が気付いたことだが、どうやらフレアは、機嫌が良くなると、わざわざ普段は「重くて邪魔」と顕現させていない翼を無意識に出して、ゆらゆらと動かす癖があるようだ。フレア本人はその癖を恥ずかしがっているようだが、同居人の和樹としては、機嫌が分かりやすくて重宝している。

「ふふふー、ふふふーん♪」

「あ、フレア。俺ちょっと、今日出かけてくるから」

「ふぁい。はんなりとおふにいっふぁはめへふほ」

「何言ってるか、わかんねーよ」

 こうして、今日も和樹の一日が始まる。

 気の良い同居人の世話係件友達として、ある意味、元の世界に居た時よりも平穏で幸せに満ちた日々を。



●●●



「あ、お兄さん、元気か?」

『おう、元気やで、ヒーロー』

「やめてくれよ、その呼び方。柄じゃない上に、分不相応だ」

『ええやんか。実際、やっとることはヒーローやで』

「だからあれは俺に利益があるからやった行動だって……と、いつも通りの軽口を叩くのもいいんだが、ちょっと今日は聞きたいことがあってな」

『何やろうか?』

「今日、浪花の街を観光しようと思うんだけど、ここだけは近寄るなって場所教えてくれない? 出来る限り、休日を安全に満喫したいんだよな」

『ええ心がけやね。それなら西区画の裏路地には近づかないほうがええよ。西区画はただでさえ治安が悪いっちゅーのに、あそこは一等やばいで。あそこは薬から兵器まで、なんでも売っとるから。売ってへんもんゆーたら、奴隷ぐらいや。銃王のおっちゃんが、そういうは絶対許さへんからな』

「そっか……あんがと、参考になった」

『どういたしまして。気ぃつけて遊びぃや』

「もちろん。わざわざ好んで藪を突く趣味は無いんでね」

 和樹はRAIKA製の、『ロボットにも変形できる多機能携帯電話』の通話を切った。文字通り、掌サイズで千以上の昨日を発揮するケータイなのだが、多機能すぎて、説明書が辞書の如く分厚いのが難点である。

「んじゃ、行くか」

 ケータイの道案内機能を使用しながら、和樹は飄々とした足取りで歩き出す。

 道案内機能の、目的地のスペースには『浪花 西区画』と記入されていた。



 浪花西区画。

 雑多で粗野に人が溢れ返る地域だ。

 其処では当たり前に人や、人でない者がのたれ死んでいる。外見上はまだ子供に者達が、路上で花を売っている。黒いスーツを着たいかつい男達――鬼神族のヤクザたちが、周りを威圧しながら道を歩いている。

 怒声。

 悲鳴。

 嬌声。

 様々な種族の住民たちが繰り広げる喧騒曲ハーモニーを聞きながら、和樹は足を止めることなく目的地へと向かう。

 和樹の服装は灰色のパーカーに、藍色のジーンズという、地味な物。しかし、この西区画では逆にそれが違和感となり、返って目立っていた。人目見れば分かる、こいつはよそ者であり、不運にもこの西区画に迷い込んでしまった、可愛そうなカモなのだと。

 だがしかし、そうだと分かっているのに、西区画の住人達は、手を出さない。本来ならば、スラムに迷い込んでしまった平和ボケした旅行者のような末路を和樹は辿るはずなのに。

「…………おい、兄ちゃん。どうしたんだ? その年になって、迷子か?」

 現に、ヤクザ集団の下っ端と思わしい、派手な髪色をし、頭に一本の角が生えた鬼神族の青年が和樹に絡もうと声を掛けたのだが、

「黙れ」

 だがんっ、と豪快な音を立てて隣に居た兄貴分の強面の中年が、青年の頭を殴り飛ばした。青年はそのまま路地の壁まで吹き飛び、無様に衝突して、気を失う。

「悪かったな、ガキ。うちのもんが失礼した……だから、俺達は見なかったことにしてくれ」

 強面の中年も含めた、鬼神族のヤクザ達は、下っ端の青年を回収すると、これ以上和樹に関わってたまるものかと、そさくさとその場から去っていった。

 面子を何よりも重視するヤクザ達が、なぜ、凡庸な少年から逃げるように立ち去らなければならないのか?

 その答えは、西区画の住人たちにとっては、明白だった。

 赤信号の時に横断歩道を渡ってはいけない、と幼い頃に習うのと同じように――この区画の裏路地には絶対に入るな、と西区画の住人たちはまず、その絶対原則を体に叩き込む。生き残りたいのなら、いや、『死んだ方がマシ』という目に遭いたくなかったら、それが一番だからだ。

 だから、例え無知であれ、西区画の裏路地へ、躊躇い無く歩を進めるような人間には関わってはいけない。

 なぜなら、裏路地の住人とは、見るからにカモだった者に絡んだ結果、実は龍だったなんて……その程度だったら、全知全能の神だって信じられる幸運なレベルで、やばい者ぞろいなのだから。

 どこをどう見ても、一般人。

 どこをどう見ても、凡庸な少年。

 だからこそ、西区画の住人たちにとっては、和樹が不気味でしょうがないのだ。

「…………まったく、心臓に悪い。首が痛い。泣きそうだぜ、ちくしょう」

 もちろん、和樹もそのことは重々承知だ。

 西区画に入っただけで、首筋の針が度々警告している上に、裏路地へと足を踏み入れようとすると、思わず足を止めたくなるほどの幻痛に襲われる。

「ぐ……分かっている。分かっていて、俺は行くんだよ」

 和樹は痛みと恐怖で挫けそうになる心を無理矢理奮い立たせ、飄々とした足取りを装いながら、路地裏へと入っていった。

 裏路地は、表と比べると人通りが少ない――否、全く人影が見えない。

 薄暗い路地。

がらんどうで妙に清潔に保たれた道を、和樹は野良猫の如く飄々と歩く。

 もちろん、虚勢だ。

 周囲に誰も居ないのだから、弱音の一つや二つぐらい吐き出しても何も問題は無いはずなのに、和樹は薄っぺらい偽装を崩さない。

 分かっているからだ。

 例え、和樹の目に何も映らないからといって、この路地に何も存在していないということの証明にはならないことを。

 人は一度、脳を通してからでしか、世界を認識できない。故に、脳が誤認をしているのならば、それは視界に現れないのだ。とても恐ろしくて、脳が無意識にその存在を視界から削除していたとしても。

「ふふーん、ふふふふー♪」

 痛みを鼻歌で誤魔化し、恐怖で立ち止まりそうになる足に、さりげなく拳を叩き付けてたきつける。

 ここで止まったら、死ぬぞ?

 もしくは、すぐに死ねたら御の字レベルの災難に遭うぜ?

 首筋の針は猛烈な痛みで、そう和樹に告げているようだった。

「ここか」

 そんな死線の上をさ迷うような蛮行を数分重ねた結果、何とか和樹は目的の場所まで辿り着くことが出来た。

 ――それは路地の行き止まりに在る。人一人がやっと入れるような、小さな木製のドア。ドアに張られた、『純粋な人間以外はお断り』という、OASISにあるまじき差別の張り紙。

「…………よし」

 十二秒。

 和樹は自分の中の恐怖を押し殺し、ドアノブに手を掛け――――

「鬼が出るか、蛇が出るか……勝負」

 ドアを開けた。


「いらっしゃい――おや、珍しい。この店に『本当に純粋な人間』が来るなんて」


 ドアを開けた先にあったのは、何処の田舎にも一つは在るような、古ぼけた小売店の内装だった。駄菓子屋の中、と表現した方がイメージしやすいかもしれない。店内に張られた、日焼けしたポスターには古い時代のアイドルのポスターが。店の棚には、駄菓子やら生活用品やらが雑多に置かれ、その中にはなぜか猿の生首や、柄のない、むき出しの刀身が無造作に置かれていたりする。

そんな奇奇怪怪な店のカウンターに座っているのは、狐の面を被った巫女だった。

 黒曜石より美しい黒の長髪。

 混沌とした店内に合わない清楚な空気。

 外見からじゃ、子供にしか見えないほど小さな背丈。

「ようこそ、『何でも屋』へ。地獄の沙汰も金次第。お金次第で、お客様に何でも売って差し上げる、実に良心的なお店だよぅ」

 仮面の奥から聞こえがぐぐもった声は、清楚な雰囲気とは相反して、気だるげで、この世の全てが面倒だといわんばかりのものだった。加えて、外見の割りに声は幼くなく、むしろ、和樹よりも年上の女性のような、アンバランスさがある。

 和樹は、ごくりと生唾を飲み込むと、狐面の巫女に確認の意味を込めて問いかける。

「本当に、ここは『何でも屋』でいいんだな? 金さえあれば、何でも売る店で間違いないんだな?」

「だから、そうだと言っているじゃないか。んで、私が店主。ああ、あまりかったるい質問はしないでくれ、死にたくなる」

 だらり、とカウンターに突っ伏しで上半身を脱力させる店主。

 どうやら、この店には接客の常識というものは存在しないらしい。元々、そんな常識が吹っ飛んだ者達が集まる店なのだから、問題は無いのだが。

 和樹が『何でも屋』の存在を知ったのは、本当に偶然だった。

 偶然、国立図書館の奥の奥。蔵書の果てで偶然見つけた、背表紙の無い本。その本には、このジパングに存在するありとあらゆる『都市伝説』という物が載せられており、その中の一つに、OASISで一番危ない行き止まりに、お金次第で『何でも売る』店があるという物だ。それをはんば、冗談交じりにフレアに話したところ、そんな店が本当に存在することを知り、でも同居人を心配させないため、違う知人に誘導尋問を仕掛けた。

 そしてやっと、ここまで辿り着くことが出来たのである。

「品物を、見て、回っても、いいか?」

「いいよー。冷やかしでも、あんたみたいな純粋な人間は歓迎だー」

 だるーんと、気だるげに手を振る店主。

 本当に歓迎しているのかどうか微妙なところだったが、とりあえず和樹は息を落ち着かせ、途切れ途切れでも、言葉を紡ぐことが出来た自分を賞賛した。

 棚に並べられていたり、店内に転がっている品物を、和樹はざっと目を通していく。

 普通の駄菓子もあった。

 なんか呪われてそうな日本刀もあった。

 シャンプーやリンスなどといった、生活用品もあった。

 『原罪の種』と値札に書かれている種が袋詰めで売っていたりもした。

「……っつ」

 首筋の痛みに耐えながら品物と値札を見回っていく内、和樹はそれを見つけた。

「なんだ、これ?」

 ――――見つけてしまった。

 『混沌の果実 負三万円也』と書かれた値札の後ろに、一番カウンターから遠い棚の奥に置かれていた、小さな木箱を。

 その木箱はおおよそ拳大ほどの大きさだった。

 見る限り、何の変哲もない木箱にしか見えなかった。恐らく、この中身にろくでもない物が入っているのだろうと、推測は出来た。

 なぜなら、今までで一番、首筋の針が和樹を刺しているのだから。

 これだけはやばい。いますぐ、その場から立ち去って、思い切り頭をぶつけろ! この記憶を削除しろ! と叫んでいるのだ。

「あぁ、それは唯一この店で売っていない品物だよ」

 和樹が首を押さえて、その木箱を凝視していると、カウンターから店主が言葉を投げかけてきた。

「何でも売るのが信条の私でも、それは本当に要らなくってねぇ。『負』は『マイナス』と読んで、マイナス三万円。つまり、それを引き取ってくれたら私が三万円贈呈ってわけさ」

「……三万円とは、えらく気前がいいな」

 五百億円とか、一兆円とか、現実味の無い数字の値札が並べられている中で、嫌に現実的な数字だった。当然、この世界では円の価値が下がっているわけでもなく、和樹が元居た世界と同じ程度のレートで貨幣は取引されている。

「だろー? 一万円にしようと思ったんだけど、それじゃ、あんまりにもかわいそうでさ……んで、お客さん。それ、買う? もとい、引き取るかい? 三万円で」

「…………ひょっとして、お勧め商品だったりするか? これ」

「うんにゃ。仮に友達がそれに手を出そうとしたら、命を賭けてでも止めるレベルだね。末代まで呪われるどころじゃねーし」

「うっわぁ」

 よくそんな物を店の棚に並べられるなぁ、と和樹は思う。

「つか、大抵の客は並べられた商品なんか見ないで、私に直接欲しいもの言うし。ぶっちゃけ、そこら辺に並べてあるのは冗談みたいなもんだよ。まぁ、適正価格ではあるけど……それ以外」

「なるほど、この店の利用方法を最初から間違えていたんだな、俺」

 どうりで生温かい視線を店主からずっと向けられていたわけだ、と納得する和樹。

 納得して、ではさっそく、この店の本来の使用用途に沿って、希望の品を探そうと思ったのだが――――思い至ることがあり、口を閉じた。

 元々、和樹がこんなリスクを犯して、『何でも屋』という都市伝説を探し当てたのは、『切り札』が欲しかったからである。

 和樹は知っている。

 フレアと共に過ごしている、ひょっとしたら元の世界に帰るよりも幸せな生活は、長く続かないであろうことを。

 自分の悪運が、それを許さないであろうことを。

 冬月神奈の幼馴染として生まれてしまったのだ。その時点で、保延和樹という凡人は劇的な人生を送らなければいけないと定められている。

 運命なんてロマンチックなものではなく、宿命というおもっくるしい魂の枷によって。

 そんな自分が異世界召喚なんていうふざけたイベントに巻き込まれたのだ、このまま何も無いと信じることは、チェシャ猫の言葉を信じると同義だ。

 だから、和樹は立ち止まることなく、異世界――ジパングという未知の世界で生き延びるための、どんな理不尽に遭っても、ある程度通用する『何か』を切り札として欲していたのである。

 都合のいいチート武器なんて、そこら辺に転がっていないことぐらい、分かっている。仮にそんな物があったとしても、和樹の経済状況じゃ到底変えないことも。それでも、何かしら方法があるという事実が、和樹自身に希望と勇気を与えるために必要だったのだ。

「巫女さん、巫女さん」

「はーい、なにかな、無個性男」

「これ、引き取るわ」

 ――――だからこそ、和樹は引きつった笑顔でその木箱を手に取る。首筋を刺す針すら無視して。

「……………………マジ?」

「マジマジ」

「返品付加だかんね」

「おっけー、おっけー」

「絶対すると思うけど、後悔しない?」

「実はもうしているぜ」

「今なら間に合うけど」

「…………引き取る。だから、さっさと三万円くれ。俺の口が余計なことをしゃべる前にさ」

「奇特な人も居るもんだねぇ」

 店主は肩を竦めると、レジから三万円を抜き取り、和樹が持つ木箱の上に乗せる。

「ほい、これでもう返品不可。よければでいいんだけど、今後の商売の参考として、それを引き取ろうと思った理由を訊いていいかな? どんなに鈍感な人間でも、それの危険性は本能で、魂で感じ取れると思うんだけど?」

 一瞬迷ったが、すぐに和樹は皮肉げな笑みを浮かべて仮面を被った。

 叩けば直ぐに割れてしまう程度の仮面だったけれど、この状況でそれが出来る和樹はいささか、肝が太い。

「三万円あったら、エロゲーが三本は買えるだろ? 理由なんて、それで充分だ」

「ああ、確かに」

 さらに、ここで軽口を叩けるのだから、凡庸というには些か和樹はタフなのかもしれない。

 けれども、

「ああそれと、余計な忠告かもしれないけど、この店に着たときからずっと足震えているから。軽口叩いて気取るなら、そこら辺気をつければ?」

「…………努力するさ」

 やはり、ハードボイルドを気取るには役者不足のようだ。



 かくして、和樹は『最悪の切り札』を手に入れた。

 起死回生なんて到底望めない、むしろ、事態を悪化させ、絶望に叩き落してしまいそうな切り札である。

しかし、和樹は経験上知っているのだ。

 今後、最悪な状況が自分を襲うとしたら、それをどうにか覆す可能性があるとしたら、それは希望なんて曖昧なものでなく、同じくらい絶望的で最悪な物なのだと。

 だから和樹は、躊躇い無くそれを使うだろう。

 例え、より最悪な状況に陥ったとしても――――それでも、何も出来ずに流され続けるよりは、数ミリ程度、マシなことを和樹は知っているから。


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