フレア・パーラメント
天使、という種族がある。
神様の使いだったり、針の先に百万人居たり、居なかったりするあれだ。
背中から純白の羽を伸ばし、時に人を導き、時に人を罰する秩序の具現化。
善なる者。
それがフレア・パーラメントという、和樹が助けることになった美少年の正体らしい。
「がつがつがつがつっ、はふはふっ!」
「あの……少し落ち着いて」
ついでに、昼時で賑わっているファミレスを、更に忙しくさせている張本人でもある。
「ごくごくごくごくっ! ぷはーっ! 生き返りましたー」
軽く山になるほど皿を積み上げた、金髪碧眼の美少年――フレアは実に生き生きとした笑顔で、手を合わせて一礼をする。
肩に掛かる程度の長さの金髪は、滑らかで、透き通っている。手で梳けば、極上の触り心地と共に、風の如く、あっさりと手から逃げていくだろう。肌は陶磁の如く、汚れや、シミなどといった概念と無縁のように清らかだ。手足もすらっと伸びていて、筋肉は付いていなくとも、無駄な贅肉はあまり感じられない。そして何より、神の腕でも持った彫刻家が魂を込めて造り上げたかのように、フレアの容貌は完璧に調和の取れた美しさだった。服装が色とりどりに汚された藍色のツナギという点を除けば、だが。
外見上は和樹と同い年ぐらいに見えるが……妙に動作の一つ一つが幼い。食事の仕方についても、いくら腹が減っていたからといって、口元にソースを思う存分付けたままで居るのは、子供っぽいと言われても仕方ないだろう。
「えーっと、それで、貴方はどちら様ですか?」
こて、と妙に可愛らしく首を傾げるフレア。
特殊な性癖でも持っていない少女だったら、胸を思わず押さえてしまうほど可愛らしい動作だが、生憎、和樹は特殊な趣味を持っていない男子なので、むしろ仕草よりも、その質問内容におののいている。
「すげぇ、背負われてファミレスに連れ込まれて、挙句の果てには散々飲み食いした後に、ようやくその質問とは……」
「うん? とりあえずいい人なのは、私に声を掛けてくれた時点で確定していたので問題ないはずですよ?」
「…………なんだろう、この人。神奈とは別ベクトルで話が合わねぇ」
ため息混じりに、額を掌で押さえる和樹。
一緒にフレアを助けた茶髪の兄ちゃんは、フレアの『お腹空いた』の一言で、色々覚悟とか善意とかが完全に砕けたらしく、和樹にフレアを任せて、さっさと帰ってしまった。一樹としても、ただ腹が減っているだけの奴を懇切丁寧に助けてやるほどお人よしではないのだが、折角関わったのだから、とことん関わってツテを広げておくのも悪くないと思っていたのだ。
事実、フレアを助けようとしたからこそ、気の良い茶髪の兄ちゃんと知り合い、連絡先を交換することもできたのだ。ツテも何も無い異世界では、こういう交流を積極的にしていかなければ、いずれ一人で厄介事に押し潰されて溺死してしまうかもしれない。人並みに臆病で、コミュ能力を持つ和樹はそう判断し、フレアの食事に付き合っていたのだが……若干、失敗した感があると思っていた。
とはいえ、なんだかんだ言いつつ最後まで付き合うのが和樹の性質である。
「俺の名前は保延和樹。つい先日、この世界にいきなり放り出された難民だよ」
「このOASISに? へぇ、珍しいこと(・・・・・)もあるものですねー。あ、私の名前は――」
「知っている。フレア・パーラメントだろ? 諸注意と一緒に、親切な兄ちゃんが教えてくれたよ」
「あ、そなのですかー」
フレアは言葉を遮られたことも特に気にせず、朗らかに笑う。
自身の悪評をついさっき聞いたばかりの人間に対して、何の含みも感じさせない、純粋な笑顔を向けている。
「何も言わないんだな」
「何も言わなくても、目の前に和樹君が居てくれましたから」
けれど、フレアは無知ではない。
純粋かもしれないが、知るべきことはしっかり知っている。
己の呪いが振り撒く結果も、街中で行き倒れても、誰一人としても手を差し伸べようとしなかった事実も。
それも全部含めての、笑顔なのだ。
「いきなりファーストネームとは、フランクじゃねーか?」
「すみません、親しくなりたい人は名前で呼ぶ癖がありますので」
「……一応言っておくが、アンタを助けたのは下心ありありだぜ?」
「ええ、それでも私は嬉しいですよ、和樹君」
ぐ、と掛け値なしの笑顔に声を和樹は声を詰まらせる。
普段から暴力とか、悪意とか、狂気とか、その類の塊である幼馴染と関わっていた所為か、その手の明るい感情を向けられるのが慣れていないらしい。
だから、ついつい皮肉げに唇を歪めて軽口を叩いてしまうのだ。
「まったく、本気で言っているのなら、アンタ、随分幸せな人だな、おい」
「はい。久しぶりに誰かと一緒にご飯を食べて、一緒にお話できて、私はとても幸せです」
「…………ぐぐぅ」
今日のところは完敗だぜ、と言わんばかりに和樹は肩を落とした。
「とりあえず、お前が食った分の会計を払う金が俺には無いから、アンタが払ってくれ。勝手に財布の中を見させてもらったが、貧乏だから腹が空いていたわけじゃないんだろ?」
「そうですねー。私は結構お金持ちですよ」
ふふん、とちょっと自慢げに胸を張るフレア。
「で、そのお金持ちが何で腹が減りすぎて行き倒れしてたんだよ?」
「……あはは、それにはちょっと訳があってねー」
曖昧に笑って、フレアは世間話でも切り出すかの如く語りだした。
「私はちょっと厄介な呪いに掛かってまして。昔――大戦の頃のお話なんですけどね? あ、大戦と言うのは、貴方が生まれる前に、この世界で起きていた酷い戦争でして。私もこの世界に落とされた者として徴兵されていたのですが――ある時、ある戦場で、悪い悪い魔女に悪戯されてしまって、それ以来……なぜか、私と関わった人は『不幸』になるんですよ」
「呪い、ねぇ」
それはこの『浪速』に存在する都市伝説の一つ。
ひどく美しい天使が居た。
そして、その天使に心を奪われた魔女が居た。
魔女は天使に誰も近づかせないよう、天使と関わる者に災いが降りかかる呪いをかけたらしい。故に、天使には誰も近づいてはいけない。例え、どんなに天使が善良であれ、天使に関わってしまえば、魔女の嫉妬で理不尽な災厄を受けるから。
だから、誰もフレアには近寄ろうとしない。
和樹の居た元の世界では、呪いなど眉唾と笑うかもしれないが……そもそも、天使や魔女が出てきた時点で、そんなレベルの話ではないのだ。加えて、このジパングという世界はありとあらゆる者を受け入れる世界だ。
当然、呪いなんて物も当たり前に存在する。むしろ、魔術のある世界で、呪いが存在しない方が難しいだろう。
「一応訊くけど、アンタ、その呪いって具体的にはどんな『不幸』が起きるんだ?」
「……色々です」
フレアの表情に、初めて暗い影が差す。
「交通事故に遭ったり、財布を失くしたり、足を滑らせて階段から落ちたり、よくない類の人達と知り合いになったり……運が関わるレパートリーの物全て」
フレアは、自分ではなく、他人の不幸でようやく笑顔を崩した。
まるで、自分の不幸など、他者のそれに比べたらなんでもないと言う様に。
「恐らく、関係性の問題なんだと思います。『そんな呪いなんて関係ない』って友達になってくれた方もいたんですが、その方はやっぱり事故に遭ってしまって。多分、私と深い関係になればなるほど、『不幸』になるんだと思います」
「あぁ、だから、行き倒れしてたのか、アンタ。出来るだけ、自分と関わらないようにしてもらうために」
「…………はい」
馬鹿な話だと和樹は思う。
他人を気遣いすぎて、行き倒れになるまで飯にありつけないなんて、どれだけ馬鹿なんだと、心底呆れ果てた。
「あ、でも違うんですよ! いつもは『呪い』なんて屁でもないくらい凄い知人に、料理を纏めて作ってもらっていたんですけど、生憎、その知人の方の仕事が忙しくて、『たまにはデリバリで済ませろ』と言われてしまいまして。確かに、出前ぐらいだったら大丈夫でしょうけど、それでも、もしも、ということがあった嫌ですから」
「ちなみに、どれくらい飯食ってなかったんだ?」
「二日程度です。大戦中は、一週間は水だけで生きていけたんですけど、いけませんね、平和に慣れてしまうと。あははは」
「ふぅん」
話の流れから察するに、フレアは大戦経験だと和樹は推測する。
見た目や、やや幼げな所作はあるが、言葉に端に嘘が付いていない。そして、この場面でそんな嘘を吐く必要は全く無い。
「そうそう! お礼のお話でしたね! 命の恩人さんですから、たっぷりもてなしたいのですが……それだと、返って恩を仇で返してしまいそうなので、現金でお返しします。あはは、現金でお返しなんて生々しいですけど、世の中お金ですからね! 地獄も天国も金次第ですよ」
「天使が嫌なこと言うなよ」
だから、価値があると和樹は判断した。
価値があるから、仕方ない。
自分は多くの情報を、より詳しく知らなければいけない立場だ。大戦に出ていた人の話を聞けるのは、かなり有益だろう。
――よくわからない呪いとやらに遠慮して、ここで縁を切ってしまうよりは。
「あ、安心してください。お金はちゃんと呪いが掛からないように遠回りに――」
「仕事を探してんだ、俺」
フレアの声を遮るように、和樹は話を切り出した。
言葉を切って捨てて、己の言葉を通した。
「このジパングってー世界に来たばかりで、右も左もわからねぇんだ。せめて、自分の生きるための金ぐらい、自分で握っておきたいんでね。だからまぁ、今、絶賛就職活動中なわけだ」
「……えーと、和樹君?」
首をかしげていぶかしむフレアへ、和樹は三白眼で真っ直ぐ見据えて告げる。
「礼をしたいのなら、俺を雇え。あんたの身なりや、さっきの生き倒れを見れば、生活状況がどんだけ劣悪なのかは想像できる。俺なら家事全般はある程度こなせるし、家計の付け方も諸事情により理解している。なかなか優良物件だと思うんだが?」
「――――――貴方は優しいですね、和樹君」
ぱちくりと目をしばたかせた後に、フレアは和樹へ微笑みかける。
呪われているなんて到底思えない、柔らかな微笑だった。
「だから、私はそんな貴方に『不幸』になって欲しくありません」
その柔らかな微笑で返ってきたのは、拒絶の言葉。
自分を省みず、他者の不幸を憂う、まさに天使の如き言葉だ。
「はっ、くだらねぇ」
しかし、和樹はそんな言葉を一蹴する。
優しさによる拒絶なんか、知ったことかとフレアの内心へずかずかと足を踏み入れる。
「俺に『不幸』になって欲しくないだ? はんっ、生憎、俺はあいつの幼馴染として生まれた瞬間から、これ以上無く『最悪』で『災厄』に満ちた日々を送ってきてるんだぜ?」
和樹は思い出す。
己の脳裏に刻まれた、鮮明な痛みと理不尽の記憶の数々を。
「交通事故? 財布? 階段から落ちる? ははっ、なんだよそれ、随分と温い呪いだなぁ、おい。こちとら、どっかの馬鹿に付き合わされて火達磨になった経験も、雪山で凍りかけた経験もあるんだ。もちろん、体中赤く染まるほど理不尽な暴力に晒された経験だってある。さらにいえば、こうやって口に出せる範囲の出来事はまだマシな方なんだぜ?」
超人の隣に生まれてしまったが故の災難。
神奈に目を付けられてしまったのが、そもそもの運の尽き。
不運?
そんなもの、生まれてからずっと日常茶飯事だと、和樹は笑う。
「だから今、俺にとって大切なのは、アンタのどーでもいい呪いなんかじゃなく、アンタがお金持ちだっていう事実だ。ぶっちゃけ、お金持ちと縁を築いていくのも悪くない」
呆然として和樹を見るフレア。
まるで鳩が豆鉄砲でもくらったのかのよう。
和樹にあるのは、温かい慈悲でも、熱い友情でもなく、適度な温度で距離を測る打算的な感情。そりゃ、多少なりとも感じ入ることもあるかもしれないが、そんなことよりも、自分の身が第一優先。
だから和樹は、半分の優しさと残り半分の下心を込めてフレアへ問いかける。
「家事全般をやってくれる『便利な友達』って欲しくないか? 今なら、初回サービスでお友達料金お安くしとくぜ?」
それはきっと正義の味方の言葉ではなかったけれど、悪党でも無い、ごく普通の下心が込められた優しい打算的な言葉だった。
「あは、あはははっ」
けれど、それは余りにも真っ直ぐ過ぎて、ついつい、フレアの拒絶さえ通り過ぎてしまう。
「君って面白い人ですね、和樹君……うん、そうですね。たまにはお金で友情を買ってみるのも悪くないかもしれません」
「毎度あり。そして、これからよろしく、フレアさん」
差し伸ばされた和樹の手をおずおずと取る、フレア。
直後に、さっそく発揮された呪いでウエイトレスが運んでいた熱々のスープが和樹の頭上に放り投げられるが、予めそれを察していた和樹は、それを無駄にスタイリッシュに回避。
肩を竦め、改めてフレアと手を交わした。
「ははっ」
「あはははっ」
何がおかしいのか、二人で視線を合わせて笑う。
この出会いは、つまらない『不幸』なんか、吹き飛ばすほど愉快なものなんだと、証明するかのように。
こうして、保延和樹とフレア・パーラメントは利害関係の下に友達になった。