ようこそ、世界に
「あぁあああああああっ!!」
和樹は混沌によって再構成された両足でアスファルトを踏みしめ、否、踏み砕き、獣の如き疾走で奏へ迫る。
黒衣は和樹の意思によって姿を変え、敵を貫く細い槍となって和樹の手元に携えられた。
「とりあえず――串刺しで死なないよな!?」
相手を人外と見切った上で、容赦なく胴体を狙い、漆黒の槍を、圧倒的な怪力によって投げ込む。
「甘い」
しかし、渾身の一投はいとも簡単に弾かれた。
奏のポルターガイストにより、槍の穂先に絶妙な衝撃を与え、進行方向をずらしたのである。
「はしゃぎすぎだ、獲物風情が」
長く戦場に居た奏でさえ、一片も理解することが出来ない不可解な現象。
それにより、ただの一般人から、『想像するのも恐ろしい化物』へ変化した和樹。
これが漫画やアニメならば、和樹の覚醒シーンとして、和樹の強さを思う存分描写するところだろうが、生憎、和樹は生粋の凡人だ。いきなり混沌から、溢れんばかりの力を与えられたとしても、それを使いこなせなければ意味は無い。
「…………まだ、私でも対処が可能なうちに」
だからこそ、戦況は奏が和樹を圧倒している。
大戦を生き抜いた戦士としての経験が、つい先ほどまで凡人だった和樹の能力を完全に上回り、戦闘を支配していた。
「騒音四重奏」
四つの打撃を重ねた衝撃が、和樹の心臓を貫く。
当然、和樹の心臓は胸部ごと弾け飛び――
「かはぁっ! いてぇじゃねーか! おい!」
瞬時に混沌によって再構築された。
加えて、狂乱の表情を浮かべる和樹の両手には、掌から禍々しい漆黒の刃が生えている。
「くっ、どっちが怪物だ!?」
「失礼だなぁ! 俺は何処までも凡人だぜぇ!?」
和樹は素人丸出しの戦い方から、人間の『獣性』を解放した戦闘スタイルへ、己の動きを変えていく。幸いなことに、混沌をその身に取り込んだ時から、既に体は人間の構成を成していない。細胞の一片、それを成す元素や電子まで、全て原初たる混沌に変換され、それが辛うじて人間の体の造りを模倣しているだけだ。
「うぅららららららららららららぁっ!」
混沌は和樹のイメージどおりに形を変える。
体を纏う黒衣が槍へ、剣へ、盾へ、無数の武器へ様変わりしていき、それをただ、和樹は力任せに振るって奏を叩き伏せんとしているようだ。
「さぁて! ふらふらのお姉さん! 余裕が無くなってきてねーかよ!?」
「黙れ、ガキ」
戦闘技術なんてまるで無視した、完全な力押しをしているのは、いきなり与えられた力に酔っているのではなく、もちろん、ちゃんとした理由が存在している。
和樹は分かっているのだ、自分がその手の才能が全く無いことを。少しでも、素人齧りの戦闘技術に頼ろうとすれば、奏によってあっという間に場の空気が持っていかれてしまう。この戦闘は奏の支配下にあるが、まだ、和樹の底知れなさに奏が警戒しているが故に、空気は完全に流れていない。『何かを仕掛けて来るんじゃないか?』と意識を割かせることが可能だ。
幸いなことに、和樹は混沌によってしばらくは不死身に近い再生能力が与えられている。だから、狂ったふりでもなんでもして、相手の体力を奪うのが目的であり、それにより生まれた隙を狙い、フレアを奪取して闘争するのが最終目的なのだ。
「おいおいおい! どーしたんですかぁ! 随分、息が上がってきてるじゃねーか! 色っぽくて青少年には目の毒だぜぃ!」
「…………」
何度、武器が弾かれ、混沌がアスファルトに散らばって落ちようとも、休む間も無く再構成して、和樹は挑み続ける。
凡人は己の分を間違えない。
与えられた力で、目的が変わらない。
和樹が奏に立ち向かったのは、奏を叩き潰すためではなく、友達であるフレアを助けるためなのだから。
「…………なるほど、今は第八階位程度に留まっているが、あの人間を『化物』に変えた混沌は果てしなくやばい。下手をすれば、一気に階位を飛ばして進化する」
しかし、それでも差は埋まらない。
「お前は脅威だよ、保延和樹。認めよう、獲物ではなく、この私のジョーカーを切るに値する敵だと」
奏は腕をだらりと下げ、何か、覚悟を決めたように和樹を見据える。
「ぐ……」
和樹にとって絶好の好機。
敵対者はまさしく隙だらけ。満身創痍の体に、自身の怪力をぶつけてやれば、勝負はあっさりと決まる。何を企んでいようが、全身全霊の突進を持って破砕すればいいだけのこと。
理屈は分かっているのに、和樹の勘が、首筋の針が鋭い痛みで警告するのだ。
今、奏に攻撃すれば間違いなく自分は敗北すると。
「仕方ない、ここは一度死んででも、貴様を確保しておこう」
奏はため息と共に、その言葉を口にした。
「我が死を糧に――――縊り殺せ、イザナミ」
手。
それは実に醜悪な手だった。
いや、それを手と呼称していいのだろうか? ただ、混沌とも違う、ひどく醜悪な『死』の塊が、無理矢理血色に染まって、奏の体内から湧き出ている物を。
「……んだよ、ありゃ」
言葉として当てはめるなら、『呪い』という単語が一番適切だった。
なぜならそれは、かつて、この国を産んだ女神が、この国の人間を千人縊り殺してやると、夫たる神に宣言した太古の怨嗟なのだから。
「は、はは。こうなると、この肉体が形を保っていられるのは、あと数分、ぐらいか。また、あちらに逝くと思うと、嫌になるが……それでも、お前には、そうでもしてまで、捕獲する価値がある……」
鮮血の色をした無数の手が、奏のいたる所から、奏の肉体を突き破って湧き出てくる。和樹を掴み、捕らえ、縊り、呪いで縛るために。
「――あれはやべぇ! けど、今ならフレアをっ!」
奏は確かに切り札を切り、太古の呪いを顕現させた。
しかし、その間、和樹が何もしてなかったわけではない。
「……うし!」
地面を這い、密かに伸ばしておいた混沌の塊がフレアの体を掴み、和樹の手元まで引っ張っていく。そして、そのままフレアを小脇に抱え、和樹は逃走を開始する。
「……え?」
そのはず、だった。
ごしゃ、と。『偶然』脆くなっていたのか、和樹が逃走のために足へ力を込めた瞬間、予想以上にアスファルトが崩れた。
足が丸まる一つ、地面の中に崩れこみ、耐性を崩すには充分なほどに。
魔女の呪い。
『因果嫌悪』の呪いの真骨頂が、この場面だからこそ、発揮された。
「つ・か・ま・え・た」
もちろん、その隙を見逃すほど『赤き手の呪い』は鈍くない。
手は掴む。
腕を。
足を。
頭を。
首を。
置いておくなと。
私を置いてくなと、縋るように。
「が、あ……」
「アハハハ、アハハハハハハハハッハハハハハハハハハッハ」
もはや奏に意識など無い。
あるのは、黄泉の国から木霊する、彼の女神の怨嗟。
憎い、憎いと叫び、我が子を殺す大いなる母の声のみ。
「……っ」
いかに原初の混沌といえど、太古の呪いを受けては、活動を鈍らせざるを得ない。このまま赤い手に体中を縛り付けられ、意識を失うまで縊り殺される。
そして、フレアと共に訳もわからず捕らえられるのだろう。
理不尽に屈し、友達も救えず、敗北するのだ。
「……ざ……けん、な……」
和樹の脳内には、既に女神の怨嗟が、頭蓋を割るほど叩きつけられている。
しかし、それでも、それでもまだ、和樹の目は諦めを映していない。
理不尽だったら、子供の時からずっとだ。
敗北だって、数え切れない体験してきた。
今まで、色んなことを諦めて生きてきた。
全て『凡人』だからと、隣に居た『化物』と比較して、諦めの理由にしてきたのである。
でも、今度ばかりは耐えられない。
こんな結末は気に入らない。
和樹は己の拳に力を込める。
動かないのは分かっているが、それでもと。
『凡人』だから、何もかも奪われていい理由にはならないはずだと、魂で叫んで。
「ざっけんじゃ、ねぇ!!」
猛る心と、諦めを知らぬ思考は混沌に強いイメージを送る。
構成するのは、武器ではなく、どんな逆境すら高笑いを上げながら蹴っ飛ばす無敵の存在。
長い時、側に居続けたことを誇れる最悪の幼馴染。
「――――パーソナリティを獲得。これより『私』は自由意志の元、顕現する」
魂に刻み込まれた記憶から、混沌が形を成し、魂を造り上げる。
『冬月神奈』に類似する存在を、世界に生み出す――――
「宣言――――私はここに居る」
自らの言葉を存在証明として、『それ』は和樹の目の前に生まれた。
混沌のように闇よりも暗き黒を湛えた長髪。
闇夜に浮ぶ月を連想させる、白き肌。
爛々と輝く金色の瞳。
豹を連想させるしなやかな、けれどまだ幼い体つき。
纏うは、生みの親と同じく混沌の黒衣である。
「アハハハハ、アハハハ――」
「うるさい」
ぐしゃりと、誕生の場を汚す鬱陶しい呪いなんて踏み潰して、『それ』は己の創造主へ極上の笑みを浮かべる。
「…………うん」
『幼い頃の冬月神奈』の顔で、フレア・パーラメントのような、向日葵を連想する満面の笑みを浮かべて、和樹へ告げる。
「おはよう、父様っ! 産んでくれてありがとう!」
色々と和樹の精神にダイレクトアタックなことを。
「わーい! うーまーれーたーっ! いえいっ!」
ついでに、『それ』――混沌の少女は、全身で生の喜びを表しながら、物理的にも和樹へダイレクトアタック。全身で親愛を示しながら、和樹に抱きついた。
「えへへへっ! 父様! 父様!」
「お、おう」
困惑する和樹はとりあえず、抱きついて来る混沌の少女の頭を撫でることにした。
自分で起こした偉業にも気付かず、ただ、神奈と似た少女の頭を撫でるという、複雑な心境と戸惑いを苦笑にして表しながら。
●●●
もちろん、そうそう簡単に事態を切り抜けるはずも無い。
「ふぁあああ、あ。良く寝た……んあ? うーわー、姐さんまた死んだの? え? ラウズもダウンしてるっぽいし……だりぃ……あー、仕事したくねーっすわぁ」
気配も無く、
脅威も感じさせず、
和樹たちの前に飄々と現れたのは一人の男。
寝癖だらけで、鳥の巣みたいになっている髪と、だらしないダークスーツの優男。目つきもまるで覇気が無く、体中から気だるさが滲み出ていた。
「えーっと、とりあえず、全員捕まえりゃいいんかな? うん、いいか。殺すのは後でも出来るらしいし。殺すと気分わりーし、殺さない方向でー」
この壮絶な戦闘の後にはまるで似合わない男だったが、一瞬で和樹は警戒を最大限にまで高めた。死線をここ数十分で幾度も潜った所為か、和樹の勘が鋭く磨かれ、相手との戦力の彼我を肌で感じることが出来るようになったらしい。
「……マジかよ」
触れる空気は炭酸のように弾けて、刺激的だ。産毛は既に総毛立ち、ぷつぷつと鳥肌を作っていく。
和樹は思考する暇も無く、叩き付けられるように、本能で理解した。
こいつには勝てない、と。
「また邪魔者? 父様にこれから私の誕生日を祝ってもらおうと思ったのに、邪魔者?」
しかし、そんな論理など知ったことかと言わんばかりに、混沌の少女は和樹の前に立つ。
「そこの駄目人間。生きているだけで害悪のゴミクズ。言葉が聞けるのなら、今すぐゴーホームだよ。私にゴミ処理の暇を増やさないで」
「ちょっ!?」
そればかりか、遠慮なしに罵倒を浴びせかける始末。
生まれたばかりで戦力の差を理解できていないのか? はたまた、その程度の道理や理屈を蹴飛ばす力を持っているのか?
そう、冬月神奈のように。
「ひでーわー。寝起きに幼女に罵倒されるとか、特殊な性癖の方でもない限り、精神的に傷付くわー。あー、泣いていいっすかー?」
寝癖の男は混沌の少女の挑発には乗らない。
というより、彼によってはすべからく自分の睡眠妨げる『かったるい』出来事でしかなく、それ故に、『怒る』なんて面倒な機能を動かさないだけなのだ。
片や、この世全てがかったるいと言わんばかりの傲慢な男。
片や、この世全ては私の思い通りに動けと言わんばかりの傲慢な少女。
そのどちらとも、凡人である和樹の予想を超えすぎている。この二人が相対している今、次の瞬間、この町が滅んだとしても、和樹は納得してしまうだろう。
そこまで、和樹にとってこの二人の相対は『何でもあり』な凶事なのだ。
「くそ……結局流されっぱなしかよ」
自分が何を言おうとも、次の瞬間、それが無為になっているような予感に襲われつつ、それでも、自分が成せることをやろうと和樹は意を決し――――
「雨夜流――――――――啄木鳥」
とある乱入者によって、状況が全てひっくり返った。
「秘密結社デイブレイク所属、春園 暁。第三階位。二つ名は【スリーピィ】…………捕獲完了であります」
ぱぁん、と乾いた音が一つ。
それで全部が終わってしまった。
突如、寝癖の男と混沌の少女の間に割って入った何者かが、まるで蝿でも払うかのような動作で寝癖の男を裏拳で撃ち抜き、一瞬で意識を刈り取ったのである。
和樹はもちろん、混沌の少女にすら、反応できない一撃だった。
「…………ふむ、第一目標の存在を確認。なるほど、こういう可能性もありますか」
かっ、かっ、と軍靴の踵でアスファルトが鳴らされる。
そして、そいつは和樹と混沌の少女へ視線を向けた。
雪降る空のように、髪は灰色。長さは軽く肩に掛かる程度である。目つきは鋭く、猛禽類の中でも、鷹を連想させるものだ。体つきは酷く細く、触れれば折れてしまいそうなほど華奢。しかし、身に纏う軍服からは、隠し切れない威厳があふれ出ている。
外見年齢はどう見ても二十代前半程度にしか見えないのに、灰色のショートヘアの所為か、妙に長く生きた老人のような重さを持っているようだ。
なによりも、今度は混沌の少女すら動けない。
「では、色々あったでありましょうが、まずは知人であるフレアを助けてくれたことを感謝するであります。そして――」
軍服の女は鋭き視線を和樹へ向ける。
一睨みされただけで、気の弱い人間だったならば自ら心臓を止めてしまいそうな畏怖を味わいながら、和樹は彼女の言葉を待った。
「ようこそ、世界に。混沌と契約せし凡庸な少年よ……世界は君を待っていた」
その言葉で、やっと幕が上がる。
舞台は異世界ジパング。
脚本は黒幕たる彼女が。
そして主役は、凡人である和樹と、和樹が生み出した混沌の少女。
今――――黄昏の世界で、混沌の物語が始まる。
第一章:足掻けよ、凡人 終了
次章:混沌の道化師




