肆
「輪廻ノ街、というのを知っているかい?」
りんねが、唐突に話し始めました。
昨日も客のところに行っていたのですが、りんねはあまり疲れを見せません。というのも、あの暁という男と会ってから、りんねはいつも楽しそうにしているのです。
やよいや禿の子供たちに昔話をしたり、自分が禿のころの話、吉原に来る前の話、と、様々な話を聞かせるのでした。
今までならば、りんねが笑うのは客の前のみでした。
それなのに、りんねは暁に会ってから、よく笑うのです。
「輪廻ノ街、とは、一度だけ聞いたことがあります。この世に未練を残して死んでいった者が行くことの許される街であり、また自らの人生をあるところからやり直すことが出来るという街だと、聞きました」
やよいがそう答えると、りんねは微笑んでやよいの頭を撫でしました。
「やはり、やよいは知っていたようじゃの。ただ、その話は少し違う。輪廻ノ街には、番人がおるらしいんじゃ。未練のある者なら、誰でも行けるわけではなく、未練ある者の中でも、何人かの人間しか行くことは出来ないのだという。それも、輪廻ノ街には色々な掟があっての。それを破りでもしたら――」
そこでりんねは息を深く吐き、見たことのないほど意地の悪い笑みを浮かべて、低く言いました。
「――番人より、仕置きがあるらしいんじゃ。それも、地獄に落ちた方がましだと思うほどのな」
ぞくり、と背筋に嫌な感覚が走るのを、やよいは感じました。
違う、これはいつものりんね様ではない。
「り……りんね様、私は、呼ばれておりますので、これにて失礼します」
「もうそんな時間なのかい? 残念じゃ。話はこれからだというのに」
本当に残念そうに見せるりんねに、気味悪さを覚えたため、やよいはそのまま立去りました。
「やよいは行ってしまったが……続きを聞きたいかい?」
まだ小さな禿たちに訊くと、禿たちは笑って大きく頷きました。
その姿に満足そうにして、りんねは続けて話します。
「輪廻ノ街には、番人がおるといったじゃろう? その番人は、もとはひとだったのだけど、大きな罪を犯したために、輪廻ノ街に縛り付けられてしまったんじゃ。それから番人は、自分が誰だったかも忘れ、ただ輪廻ノ街にやってくる者を見張り、時には罰を与え、時には正しき道へ導くのだという。しかし、輪廻ノ街で人生をやり直すためには、大変な代償が必要でな。それを返すために、死霊や妖になったりもするそうだ」
それがまるで自分が経験したことであるかのように、りんねはゆっくりと話します。
禿たちの中には、りんねの心地よい声で眠ってしまう者もおりました。
「輪廻ノ街に入る前、まだ番人の目も届かないところでは、死神が死者たちを裁く。番人は死神の裁きから逃れた者を、さらに裁くのだという。番人は、神であり、神でない者。もとは人間だからこそ、人間の犯した罪を、厳しく裁けるのだ」
煙管をふかし、少しだけ悲しげな表情をして、りんねは話し続けます。
「死神は輪廻ノ街への行き来が自由である唯一の存在。そして唯一神として存在し続ける者。死神以外の者はいつかは消えてしまう。それがどれだけ巨大な存在であっても、死神には逆らえん。死神が消えれば輪廻ノ街も消える。死神は、輪廻ノ街を作った本人だからの」
長らくの沈黙の後、やよいが戻ってきたと同時に話は終わりました。
りんねは相も変わらず楽しそうで、やよいが感じた違和感は、増すばかりでした。
夜中になって、りんねは夜空を見上げました。
今日は珍しく客の指名がなく、りんねはぼんやりとする時間を与えられたのです。
しかし、りんねが考えるのは暁のことと輪廻ノ街のことばかり。
暁は今、どこに居るのだろうか。
輪廻ノ街には、どうすれば行けるのか。
そんなことばかり、考えるのです。
ため息をついて、今日はあまり見られない星を数えます。数えることはできないと知っていても、何かをして気を紛らわせたかったのです。
昼、輪廻ノ街のことを禿たちとやよいに聞かせたのは、無意識のことでした。りんね自身はそんなことを話したいとは思ってなかったのです。
輪廻ノ街の話を初めて聞いたのは、りんねがまだ子供のころでした。
禿としていたとき、付いていた花魁に聞かされました。
その花魁も、かなり名の知れた遊女であり、りんねはその花魁の評価を下げないように必死に芸事などを学んだものです。
いつもはあまり話を聞かせてくれたことはなかったのですが、ある日突然、「輪廻ノ街の話を知っておるか」と訊かれたのです。
りんねは正直に「知らない」と答えると、花魁は笑って頭を撫でてくれました。
如何してだか分からず戸惑っていると、りんねに向かって話してくれたのです。
『輪廻ノ街は神の街。それを知らずして足を踏み入れることは許されず、神に背くような真似をしたらすぐに消滅させられる』
そのように言って詳しく話してくれました。
そして最後に、こう言ったのです。
『死神様に惚れたわっちはすぐにでも消滅せんとな』
と。りんねにはその意味が分かりませんでしたが、次の日、その花魁は自害したのです。
首を刀で切り裂いて、血だらけになった花魁を見つけたのは、りんねでした。
その光景を見たりんねは、衝撃のあまりぼんやりとした頭で「やはりこうなったか」と思ったのです。
自分でもそんなことを思う理由が分かりませんでした。けれど、確かにそう思ったのです。
「懐かしいことを思い出すものだ」
りんねは呟いて、視線を下げます。
あの時のことはよく覚えていました。何しろりんねが人間の死を見たのは、あれが初めてだったのです。それに加えて、まだ子供でした。
花魁の死を悲しむ間もなく、りんねは別の花魁に付きました。その花魁も、名の知れた花魁でした。
りんねは禿のころからずっと、太夫候補として期待されていました。そのため、りんねの教育をしっかりと行おうと、りんねの周りの者は急いていたのです。りんね本人はその気はなかったのですが、元から他人に可愛がられる子供でした。顔も美しく、大人びていました。それ故に、太夫になることを望まれていたのです。
「……………………?」
不意に、涙が流れてきました。
つぅ……と頬を伝うそれは、とても冷たく、そして暖かく感じました。
嗚呼、あの花魁の死を哀れんでいるのだ。
そう思いました。
昔、あの花魁が死んだときには泣く暇もなかった。だから、今こうして泣いているのだ。
他人を思い涙を流すのは、ただ冷たいだけではなく、思いやることによって冷たさの裏に暖かさを隠しているのだと、りんねは思いました。
流れていく涙をそのままに、りんねは声もなく泣きました。
誰もが寝ている真夜中のこと。ひとり静かに涙を流すりんねは、いつになく美しく見えました。




