拾
りんねの意識が戻ったのは、翌日の朝でした。
しかし、目が覚めた場所は死神様の道ではなく、りんねの暮らす遊女屋の、りんねの部屋でした。
誰かが連れて帰ってくれたのだろうか、と思ったのですが、りんねにはどうも違和感が感じられて仕方ありませんでした。
いつもは忙しさから騒がしい遊女屋は、今日は静けさに包まれています。
起き上がり、とりあえず身支度をします。目に付いた動きやすい青の着物を選びました。
部屋から出るため、襖を開けると、そこには目を疑う光景が広がっていました。
真っ赤に染まった廊下。
血に濡れた遊女屋の遊女たち。
それは、幼いころに付いていた花魁が、首を切って自害したときに見た、赤でした。
目に入るのは、赤、紅、あか。
血の色ばかりがやけにちかちかと、発光しているようでした。
「…………うぅ」
その色と匂いのせいで、吐き気がしました。
口元を押さえ、遊女の死体や血溜まりを踏まぬよう気をつけながら、りんねは他の者を探しに向かいます。
どこの部屋を見ても、あるのは死体と血溜まりだけでした。
ふと、思い出されるものがありました。
昨夜の暁の言葉。
『大きな過ちを、あの娘が犯す前に、お前は自分の感情に絡んだ鎖を解かないと、どうなるだろうな』
この言葉はどういう意味を持っているのだろうか、とりんねは考えるのですが、昨夜のことを思い出そうとすると、ぼんやりともやがかかったように思考を遮られ、最早暁の顔すらおぼろげでした。
やよいを探さなければ、と遊女屋を見て回ります。
自室にもおらず、稽古部屋にもおりませんでした。
全ての部屋を見て回っても、やよいはおりませんでした。なのでりんねは、吉原の街へと出てみることにします。
外に出ると、りんねの暮らす遊女屋の前の通りは、遊女屋での廊下のように、真っ赤に染まっておりました。
鳥のさえずりさえも聞こえない静寂の中、りんねはひとり街を歩きます。
死体だけが転がる道を、ただひとり。
ふと、思い当たる場所がありました。
それは、死神様の道。
きっと、そこに行けば何かが分かるだろうと思ったので、りんねは死神様の道へと足を向かわせます。
そこに向かうにつれ、死体を引きずったかのような血の跡が道についておりました。
りんねは確信します。この先にやよいが居るのだろう、と。
死神様の道には、昨晩と同じように霧がかかっておりました。朝だというのに、それは濃いものであり、一寸先さえも見ることが困難であります。それ故に、りんねは火事か何かかと思ったのですが、それ煙たさはなかったため、湿った空気を孕む霧だと分かりました。
死神様の道を、ゆっくりと歩きます。やよいの名を呼びながら、足元に気をつけながら、ゆっくりと。
「やよい? どこに居るんだい?」
そう言ったとき、やよいの声が返ってきました。
「りんね様。こちらへ来てはなりません」
「やよい、これはどういうことなのかい? まさか、死体すべて、ぬしがやったのか?」
「そうです。りんね様が望むことでしたから」
「我はこのようなこと、望んでおらぬ。ぬし、正気ではないな?」
姿は見えないのに、言葉のみが返ってきます。
やよいの声には、いつもと違った強さがあり、どことなく暁の喋り方と似通ったところがありました。
霧の中、りんねの前に現れたやよいは、恍惚の表情を浮かべ、短刀を持っておりました。そして、その目は血のように赤く染まっていました。
やよいはりんねを見て、狂ったような笑い声と言葉を、息つく間もなく吐き出し続けます。
「りんね様。わたしが正気でないのなら、あなた様も正気ではありません。わたしにこのようなことをさせているのですから。わたしが死体らを殺さなければならなくなったのは、りんね様、あなた様が望んだからです。わたしはりんね様の負担を軽減することが、仕事なのです。りんね様が望むのならば、殺しだって、何だってします。それがわたしの生きる意味です。だからりんね様、何でもお望みください。今のわたしにできぬことなどありません。何だっていいのですよ。たとえば、あの暁という男、捜して差し上げましょう。なんなら、殺してしまいましょうか。そうしたら抵抗せずにりんね様の前に連れてこられますもの。りんね様、ねえ、りんね様。わたしを助けてくれたのはあなた様でしょう? 恩人にならば命を差し上げましょう。何だってします。ですから、早くお望みを。言ってみるだけでもいいのですよ? りんね様、早くお言いになってください。嗚呼、早く。早くお言いになって。わたしの存在が消える前に。ねえ、早く。死神様がわたしの存在を消す前に。早く。どんなことだっていいのですよ。どんなことだって。何も望みがないのですか? そんなことはないでしょう? 人間なんて欲望の塊なのですから。ああ、申し訳ありません。りんね様のそのへんの下衆とは違うと知っていますよ? ただ、わたしもりんね様も、どうあがいても人間なのだと言いたかったのです。お許しください。わたしの教養が足りなかったためにこのような表現になってしまったこと、本当に申し訳ありません。でも、りんね様、あなた様もいけないのですよ? 早く望みを言わないから。ああそうか、言いづらいことなのですね。申し訳ありません。私の気が回らなかったために。そうですね、わたしが死んで見ましょうか? わたしもりんね様の負担になっているのでしょうから。りんね様と別れるのは悲しいことですが、りんね様のために死ぬのならば本望ですもの。そう。わたしが死ねば、りんね様の負担が減る……。ほら、りんね様、見ていてください。わたしの最期を。わたしの死を! ふふふ、りんね様、りんね様? ねえ、りんね様、どうでしょう? わたしが死んでいくのは見るに耐えないものですか? それでもいいのですよ? だってわたしは醜い存在ですもの。醜くて醜くて、りんね様のような美しさは欠片もないのですから。でもね、死はいいものなのですよ? どんなに醜くても、最期は真っ赤な華を咲かせるのですから。人間の死よりも美しいものはないと、わたしは思うのです。死神様もきっと、そう思っているのでしょうね。だって、死神様は死を招く神ですもの。たくさんの血を見てきたのでしょう。それでも死神様が死神様でいる理由はきっと、人間の死が美しいと、人間の死が好きだと、そう思っているからでしょう。ですから、りんね様? わたしの死を見届けてください。きっと、わたしの気持ちが分かります。嗚呼、りんね様、りんね様りんね様りんね様! りんね様にわたしの死を見てもらえるなんて! わたし、頑張ってきれいに死にますね! そうしたらきっと、りんね様の記憶の中に、わたしは永遠に残るのでしょう?」
永遠に続くかのような言葉の羅列に終止符が打たれたとき、やよいは自らの首に短刀を押し付けました。
「……やよい、ふざけるのも大概にしなされ。自ら命を絶ったとして、それが我の負担を軽減することはない。その逆じゃ。我はぬしが居らぬと物足りない生活に戻ってしまう。それは我の負担になるのではないか?」
やよいを説得しようとするりんねですが、やよいは恍惚の表情を浮かべたまま、りんねをしっかりと見つめます。
「わたしはりんね様のために……。りんね様のために死ぬのです」
そう言ってやよいは、首に当てた短刀を、そのまま強く押し付け――
――自らの首を、切り裂きました。




