第1片
ドアノブに手をかける。汚水のように染み出す無垢な憎悪にウンザリした。
「……はあ。最近じゃ珍しいと思ったらこんなんか。ハズレだな。さっさと終わらせて帰ろ」
うっかり握りつぶしたドアノブを捨て部屋の中へ。扉は蹴破った。手で押し開くなんて無駄だと気づいたからだ。この方が早いじゃん。
なんだか肉みたいな感触の木の扉を蹴り飛ばし、にちゃりとした想念渦巻く母胎に土足で踏み入る。
後ろの方でなんか爆音が聞こえたけど無視。悲鳴らしきものも聞こえたけど聞かなかったことにする。いい加減、自分で何とか出来るだろ。今はこっちが先だ、と切り捨てる。
腐臭漂う部屋の中は暗い。明かり一つなく、窓だってどこにもなく、救いなんか欠片も存在しない。
常人なら一日と持たずに気をやるだろう。そしてワタシには全く関係ない。ここにいたナニカにとっても、きっと慣れた場所。
「さあってと。どこにいるかなー……お? いない。……おかしいな。ここのハズ、って」
真っ暗な部屋を見渡してみれば、微かな違和感。よく見ると天井にバカでかい穴が開いていた。あそこから逃げたらしい。
「おいおいまじか。知性なんかないくせに恐怖を感じてるって? すごいね生命。生まれる前から生存本能備わってるのか」
特に楽しくはないけど笑ってみる。いややっぱ愉しいかな。今までにないケースなのは変わらないし。
それにクソ雑魚どもを一方的に蹂躙するのってワクワクするよ。たとえそれが、カワイソウなヤツらでも。
「この上。どこに繋がってるんだ? 平屋だから……屋根裏部屋とか? はあー、いるんだよねぇ。そういう隠れ家的なのに憧れるガキンチョ。……だけどわかる。わかるぜー。――だってワタシもそういうの、大好きだから、さ!」
床板をズガンと踏み割りながら天井の上へ。闇の中へ崩落する床。文字通り一階は足の踏み場もなくなった。まあ、帰るときは壁をぶち抜けばいいか。
屋根裏部屋らしき場所に跳び上がってみれば、そこは変わらぬ一面の黒。のっぺりとしたそれはどこか絵画めいていて、画家の苦悩が質量を持って現れたかのようだ。
重く。暗く。脆く。ただ惨めに横たわっている。
普通なら自分の手すら見通せない闇の中、ワタシの目はついにそれを捉える。
「――――これはまた。なかなからしい姿じゃん」
闇の奥。部屋の壁際に蹲っているモノ。カワイソウなくらい震えているソレ。
「ようこそこの親愛なる世界へ。とでも言っておこうか?」
端的に。それは巨大な赤ん坊だった。
全身が笑えるくらい肥大したニンゲンの赤子らしきもの。もちろん赤子じゃない。なにせ皮膚がない。そんな赤ちゃんさすがにイヤだろ。
赤々とした自身の血にまみれたその姿は、これまたイヤな表現だが、生まれたての赤ん坊そのものだ。痛みに耐えるように苦悶の表情――らしきカタチに顔を歪め、ぶるぶると、土足で踏み入ってきた侵入者から逃れようとしている。
それだけでも、まあ、アレな感じだが。なんてったっけ。……そう、SAN値直葬? まともな感性をしたヤツなら恐慌状態待ったなしな異形の化け物。
だけど侮ることなかれ。ソイツの芸風はまだ終わりじゃない。
なんとその赤ん坊モドキの体表面に、ソイツとおんなじ顔がびっしりと張り付いているのだ。頭部についてるのよりもミニマムなやつ。
『――――――――!!!!』
ワタシの姿を知覚したとたん、その顔全部がおぎゃあと喚きだしたもんだからもう堪らない。思わず耳を塞ぐためではなく手を上げそうになって、ぐっと我慢する。
ワタシは慈悲深いからな。確認する必要なんかないけど、今すぐ消し飛ばしても問題なんかないけど、一応話しかけてみよう。
「えー、ハローベイビー。こんなゴミ溜めみたいなとこでどうした? 親とはぐれたのかな? ずいぶん兄弟が多いんだな。何つ子? 自分の家がどこかわかる――ってワタシは何言ってんだ。そんなん――」
『ア、アアア、ヤメ、テ』
「お?」
聞き間違いか、と思いつつ耳を傾ける。ワタシがこんなに親身になるなんて滅多にないことだ。赤ん坊の姿なことに感謝するといい。いや赤ん坊かこれ?
『ヤメ、ヤメテヤメテ。殺サナイデ。ボクハ、アタシハ、死ニタク、ナイヨゥ』
「………………」
涙を誘う命乞い。どうして。なんで。たすけて。だれか。
自分たちはただ生まれようとしただけなのに。産もうとしたのはそっちなのに。
どうして殺そうとするのか。どうして、無かったことにしようとするのか。
『イヤダイヤダイヤダヤメテヤメテコロサナイデコロサナイデ殺シテヤ』
「あーーー!! うっさい!! いっぺんに喋んなガキども!!」
一瞬不快な単語を耳にしかけたので一喝して黙らせる。生まれたてだからか? 怖いもの知らずって怖いな。危うくワタシの慈悲が無駄になるところだった。
「……つか、ホントに喋ってんじゃん。珍しいの二乗――いや三乗か」
シラけつつも問いかけてみる。
「えーっと? オマエたちあれだろ? 水子の寄星体ってことか? 全員? ……ふぅん。そうかそうかー、良かったな。やっと生まれることが出来て。うんうん。頑張りが報われたな。すごいすごい。ってことはあれか、自分たちを捨てた母親に――――復讐したい、的な感じ?」
『ア――ソウ。ソウソウ、ソウソウソウ! ソウナノ! 許セナイノ! 許シチャイケナイノ! ボクタチアタシタチハ悪クナイノ! スゴク可哀ソウナノ! 今スグ救ワレタイノ! ダカラ』
「だから、殺しに行きたい」
それは極めて論理的な結末だった。
復讐心は感情に基づくもの。だが感情とは結局、脳の電気信号がもたらす科学的な反応だ。
外部刺激に対応する思考。脳内物質による肉体の反射。
人体という精密機械内部に構築されたひとつのシステムだ。
それは個々人が積み重ねてきた経験、体験により差異は出るだろうが『決められた解答を出す』という意味では、きわめて論理的であると言えるだろう。
で、あるのならば。
一切、外界に触れることのなかったもの。真実、何一つの経験を積み重ねなかったものが出す解答は、ひどくシンプルなものとなる。要するに。
否定されたから、殺す。
捨てられたから、殺す。
生きているから、殺す。
それだけだ。コイツらが示すのは因果応報の理。
無責任な者たちへと放たれた、無邪気な弾劾。
無垢な殺意を振りかざす、最小の論理の怪物。
世にも珍しい喋る寄星体。
世界中を汚染した因子――通称『魔力』の凝縮体の、その人間版。
それがこの哀れでカワイソウなヤツらの正体だ。
「だけどさ。いやワタシもニンゲンに明るいわけじゃないけど。どうしようもなかった、ってパターンもあるだろ。病気だったとか。寄星体に襲われて一緒にくたばったとか。……ああ、悪いオトコにつかまってー、とかよく聞くハナシ――」
『シラナイ! シラナイシラナイシラナイ! ソンナクダラナイリユウナンテシラナイ! ソンナノ、ナンノ救イニモナッテイナイ!
アアアアアアアアアアアアアア!!! コロスコロスコロスコロス殺シテヤルオマエタチゼンブノウノウト生キテルヤツラゼンブ殺シテヤ――』
「だからうっさいッ!! いっぺんに喋んなっつってんだろボケェッ!!」
『ヒ――――!?』
今度は明確な感情を乗せて黙らせた。赤子の震えが大きくなる。地震でも起きたかってくらいの揺れだ。この平屋、崩落しそう。
と、その時。
「う、あああッ!? ちょっ、おまっ……!? その図体で音速出してんじゃねーーーッ!!!」
このオンボロ家屋が吹き飛びそうな轟音とともに、やたらと甲高い情けない悲鳴が聞こえてきた。
……なんだいまの。メッチャ気になるじゃん。ていうか、どう考えても向こうがアタリだったじゃん!
「くっそー……失敗した。なんか珍しいのが出た、なんて野次馬根性出したのが間違いだった」
なんかもうメンドクサクなったな。終わらせるか。
「ああ、そこのオマエ。優しい時間は終わりだ。もうこれくらいで十分だろ。ワタシ、頑張った。だからさ――――そろそろ殺すから」
『――――ハ? エ?』
人差し指を赤子に向ける。空気の抜ける間抜けな音。震えは際限なく家屋を揺らしていく。
きっとコイツは理解したはずだ。
ワタシを前にしたことの意味。
ワタシに指を向けられたことの因果。
ワタシを、シラけさせたことの応報。
要するに。せっかく生まれたのに、もうすぐみじめに死ぬことを。
『ナ――!? コ、コロス!? 殺シチャウ!? ボクタチヲ、アタシタチヲ、コンナ、可哀ソウナダケノミンナヲ――殺セルノ!?』
「殺す。……しまったな。適当でも会話しちまったから、期待させたか? ワタシはさ。オマエたちがカワイソウとか、捨てたヤツらに報いを、とかどうでもいいんだ」
心を刃に変える。一点に集束していく力。それは指先の挙動一つで、不快な災厄を撃滅せしめる破壊の閃光となる。
「オマエはいらない。それだけだ。その削ぎ落された論理はニンゲンを破滅させる。オマエ一人なら別に構わないけどな。それを撒き散らされたら、周りはたまったもんじゃない」
ニンゲンはそこまで強くない。
耐えがたい選択。
許しがたい結末。
それらに圧し潰されそうになることなんて日常茶飯事だ。
この世界はまったく優しくない。なにせワタシがまったく優しくないんだからな。当然の帰結だ。だけど。
それでも。前に進み続けられるのがニンゲンってもんなんだろう?
「だから。頑張って生きてるヤツらの足まで引っ張んじゃねえ。雑魚が」
『ヒ!? ヤ、ヤメ……ヤメテッ! タスケテタスケテ死ニタク――』
「ああ、それともう一つ」
さっき、コイツらがどういうものか偉そうに講釈垂れたけど。……えっとなんだっけ。ああそうそう。ちゃぶ台をひっくり返す、だっけ。
つまり、ごめんあれナシ! ってことで。
だって。
「そもそもさ。――――生まれたての赤ん坊が喋れるわけないだろ」
『――――――――ア』
瞬間。光が差し込んでくる。
凝り固まった苦悩のような闇も。罪に震える哀れな怪物も。何とか寄りかかろうとしていた、崩れかけの壁も。
ワタシの放った一撃によって、壁の向こうの残酷な、だけど清々しいほどの蒼に呑み込まれて――消え去っていた。
「ん、ん~~~っ! っと。これでお終いだな。さてと、あとは……」
別に何とも思わないが、こんな陰気な場所はやはり肩がこる。大きく伸びをして、向こうはどうなったかと意識を向けてみると。
「た、す、け、て、し、しょ、おーーーーーー!!!」
おお、なんだこれ。悲鳴が反復横跳びしてる。いや、どういう状況?
「はあぁぁぁ……情けないなまったく。しょうがない、助けに行くか、っと!」
壁に空いた穴から外に飛び出す。一階半程度の高さだ。これくらいワタシにとっては無きに等しいもの。銀色の髪を靡かせながら悠々と着地。
煌めく自身の髪が視界に映る。うっかり、この空の一部を奪い取ってしまったらしい。蒼い光を宿すその様に、ちょっとだけ気分が良くなる……はずだったのに。
「――――――――へ?」
飛び出した先。その真横から、有り体に表現するなら『クソでかい犬』がいきなり突っ込んできて。
「ちょ!?」
そしてその上に、五、六歳くらいのガキンチョがギャン泣きしながらしがみついているのが目に留まって。
「なにやってんだバカ弟子ぃーーーーーー!!!」
呆気にとられたワタシはとっさに反応できず。そのまま着地狩りされる形で、思いっきりその犬に吹き飛ばされてしまった。
……おいおいマジかよ。
あの犬、ホントにソニックブーム出しながら走ってんじゃん。




