感涙
――成人向け乙女ゲーム「星の下の愛の形の物語」…。
やたら“の”が多いタイトルのこのゲーム(ファンからの愛称はこっちをとって「やたの」)はシリーズ物で、全四作品。記念すべき第一作目「イグニオース王国編」は首都にほど近い、ガラニーテという街で繰り広げられる愛の物語である。
攻略対象はメインが三人、条件を達成すると攻略出来るようになる人物が二人の計五人。主人公、シェリー・トワイライトはそんな五人のイケメン達と愛を育み、そして結ばれていく――。
「…ねぇ、オーレリアどうしちゃったの?」
「…さぁ…」
手入れが隅々まで施され、色とりどりの花を咲かす美しいこの庭園にて、もうじきパーティーが開かれる。その為屋敷のメイド達が総出で準備を行っているのだが…。
「ふ、ふふ…ふ…モブ…モブ…」
彼女達の視線は、庭園の花とは別に観賞用として飾る花を丁寧に丁寧に…死んだような顔でブツブツ独り言を言いながら飾り付けているオーレリアに注がれていた。
…せっかく大好きな乙女ゲームの世界に転生したっていうのに…。主人公でなくてモブだなんて…まだ悪役令嬢の方が恋愛フラグ立ったんじゃ…。まぁこのゲーム悪役令嬢なんて居ないんだけど…。あーーーー!!神様のケチーーーー!!私にはモブがお似合いってかー!?イケメン達と恋愛なんて頭が高いってかー!?
うわああん!とオーレリアは大粒の涙を零して咆哮する。もちろん脳内で。けれど彼女の嘆きは隠しきれず顔に出て、更にどんよりとした空気を纏ったせいで、周囲のメイドは酷く困惑していた。
一緒に居たミランダも、声をかけたくてもかけ辛い雰囲気のせいで他のメイド達と同じようにちらちらと様子を伺う事しか出来ずにいる。
「一体どうしたのですか貴女達」
突如庭園に凛とした声が響き、メイド達は一斉に振り返り慌ててお辞儀をする。
聞き慣れたその声に、意気消沈していたオーレリアも思わず振り返れば、メイド長、ターフェ・ダヴリンが庭園へと向かって来ていた。姿勢良くツカツカと歩く姿は一切の乱れが無く、とても美しい。普段の冷静さが伺える、声と同じく凛とした表情はオーレリアを見た途端に不可解そうなものに変わり、一直線に彼女の元へと歩み寄った。
「オーレリア。どうしたのですか。顔色が優れないようですが、具合でも?」
「あ、いえっその…」
全てを見透かすような藤色の瞳に射貫かれ、思わず体がびくりと跳ねる。良く知っている相手なのにその顔を見ると妙な感覚に陥ってしまうのは、彼女がゲーム登場人物である事を知っている、昨日までは無かった前世の記憶があるからだ。
ターフェ・ダヴリン…。グラナトゥス家のメイド長、42歳既婚。ゲームでは立ち絵こそあったものの、派手な活躍は無かったサブキャラ…。
けれど目の前まで来た彼女は自分の上司である事をハッと思い出して慌ててお辞儀をする。そして、かけられたその問いに思わず喉をぐっと詰まらせてしまった。
…言えない。言えるわけない。「せっかく転生したのに攻略キャラと恋愛出来ない事を悟ってショックを受けてましたー!」なんて、確実に病院を勧められる。
どう言い訳しようかと冷や汗を流しながら必死に考えていると、はぁ、とダヴリンさんのため息が聞こえた。
「具合が悪いのなら素直にそう仰いなさい。その状態で仕事をして、もし何かあれば旦那様達にご迷惑がかかるのですよ」
「…はい」
ダヴリンさんの苦言に対して何も言えない。具合が悪いわけではないうえ、感情を抑えきれず顔や態度に出しながら仕事をしてしまうなんて。…まるで子供だ。
良く見れば同僚達が皆自分を怪訝そうに見ていた。自分の態度がいかに周りに迷惑をかけたのかが伺い知れ、罪悪感が更に深く刻まれる。
「…す、みません。具合は悪く、」
謝罪と、体は快調である事を伝えようとした言葉は、突如額に当てられた手によって遮られた。
「…熱はありませんね」
当てていた手を放すとダヴリンさんはほっとしたような顔をして、落ち着いた声色でそう呟く。
「もしかしたら日頃の疲れが溜まったのかもしれませんね。貴女、暫く休みを取っていないでしょう?働き者なのも良いですが、きちんと休む事も立派な仕事ですよ」
そう言ったダヴリンさんの表情は、いつもの凛としたものではない慈しみに溢れた…とても、とても優しいものであった。
その言葉がきっかけになったのか、遠巻きに様子を見ていたメイド達が小走りに近付いて来る。
「オーレリア、大丈夫?」
「具合悪いなら無理せず休んで!私達がその分頑張るから!」
「そうよ、この間私が休んだ時だって貴女私の仕事肩代わりしてくれたじゃない!困った時はお互い様よ」
ミランダを含めたメイド達は自分を囲むようにして次々と慰労の言葉をかけてくる。その様子をダヴリンさんは頷きながら見渡し、私へと視線を移した。
「…皆、貴女を心配しているのです。無理せず今日は休みなさい。後はこちらでなんとかしますから」
ダヴリンさんの言葉は本当に優しく、心配してくれている事がひしひしと伝わる。自分を思いやる彼女達の言葉に目頭が熱くなり、それに反応するかのように前世のとある記憶がよぎった。
「疲れた顔しないでくれる?」
突然向けられたその言葉に、私は一瞬なんの事だが分からなかった。
「疲れてるのってアンタだけじゃないの、皆、みーんな疲れてんの!なに『私はこんなに疲れてま~す』って顔してんの?アピールしたいわけ?」
定時になったタイミングを見計らって私はトイレに寄っていた。残業がある日の気持ちの切り替えの様なもので、今日もそのつもりで来ていた。
用を済まし、手洗い場に来ると苦手な同僚が丁度化粧直しに来ていて、嫌だなと思いつつも隣で手を洗った。さっさと出て行くつもりだったが、鏡に映った顔が疲れ切っている事に気が付き、こんな顔では気力も落ちてしまうと顔に気合を入れようとした時、パチンとコンパクトを閉じる音が聞こえ、隣の同僚が話しかけてきたのだ。
「そんな顔されてるとさ、こっちだって気が滅入っちゃうわけ。アタシだけじゃなくて周りもそう!」
はぁ!と大袈裟なため息を吐きながらこちらを見下す彼女はいつもこうだ。私が如何に周りに迷惑をかけている愚鈍な存在なのかを演説するように大きな声で指摘してくる。
「アピールする前にその顔向けられた人達がどれほど嫌な気持ちになるか考えた方がいいんじゃない?たまったもんじゃないよこっちは」
彼女はもう一回大袈裟なため息を吐くと忌々しそうにこちらを見る。言い返したくてもこちらの何倍もの大きな声と屁理屈で彼女が言い返してくるのは分かりきっていたので、私は彼女が満足して出て行ってくれるのをひたすら待っていた。
「あ、ここに居た~、ねぇ早くー。係長とかもう着いちゃったって連絡きたよ~」
「先輩っ!はぁい、今行きまぁすっ」
トイレを覗き込んできたのはこれまた苦手な先輩で。その先輩と仲の良い同僚は気味が悪い程の猫撫で声で返事をし、お疲れ様の一言も無くさっさと出て行った。
仕事中、同僚が先輩と男性陣数人で飲み会に行こうと騒いでいたので恐らくそれに行くのだろう。吐き気がする。
鏡を見れば先程よりも鬱屈した暗い表情になっていた。そして、同僚に言われた言葉が胃の中に入り込んで鉛のように重く居座り、その重みでじわりと視界が歪む。
泣くな。泣くな。こんなところで泣くんじゃない。あんな奴の言葉に泣くんじゃない。
唇を噛み締めて涙を堪える。泣いてる暇はない。さっさと仕事を終わらせて、帰ろう。
換気の為少し開かれた窓から同僚達の楽し気な笑い声が聞こえたが、気付かないふりをして私はその場を立ち去った。
「…オーレリア?」
休めと言うダヴリンの言葉に対して、なんの返事もしないオーレリアにミランダが伺うように声をかける。他のメイド達もどうしたものかとオロオロしていると、オーレリアの頬からぽたりと落ちた何かに全員が息をのんだ。
「…う」
ぽた、ぽたと零れるそれはオーレリアの涙。それを認知した全員が突然の出来事に困惑し、
「ぶ、ぼへぇ、うあぇ~…っ!」
意味不明な嗚咽を漏らしながら顔をぐちゃぐちゃに歪ませたオーレリアに驚愕していた。
一瞬呆気に取られたダヴリンだったが直ぐにハッと意識を取り戻し、ポケットに入れてあるハンカチでオーレリアの涙を拭う。
「オッ、オーレリア!?貴女一体どうしたの!?どこか痛むの!?」
「ひっ、ずびばぜ…っ、皆、やざじいいぃ~っ…」
構わず鼻水も垂らして泣きじゃくるオーレリアに、その場全員慌てふためく。その仕草にさえ優しさを感じたオーレリアは思わずがくりと膝をつき、更に皆を狼狽えさせた。
優しい…なんて優しい世界なの…。皆が優しい事は知っていたけど、前世の記憶が蘇ったせいか更に優しく感じる…。私、こんな幸せでいいの…?
「う゛ぇ、わだしっ、一生、ここではだらぎまずううぅ…っ」
「それはいいけど貴女本当に大丈夫なの!?それと泣くならもう少し抑えなさい!淑女がその様なはしたない顔で泣いてはいけません!」
「ぞの言葉ずらやざじいぃ~!!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をダヴリンさんが一生懸命にハンカチで拭う。綺麗なハンカチを汚してしまう事が本当に申し訳なく、その優しさにまた涙した。
「…あの、どうしたの皆…」
聞き覚えのある声がオーレリアの嗚咽に混じって聞こえ、それに気付いたメイドの一人が屋敷側に視線を向けると慌てたように声を上げた。
「アルマぼっ…、アルマ様!」
ざわっとメイド達が一斉に声の方向へと視線を向ける。涙を堪えようと必死に深呼吸していたオーレリアもつられてそちらを見れば遠目からもわかる、好青年。このお屋敷にお住いのグラナトゥス家長男、アルマ・グラナトゥス。ゲームのメイン攻略キャラの一人である。
「え!?ちょ、どうしたのオーレリア!!」
鮮やかな赤い髪をなびかせ、足早にこちらへ向かって来る彼のその表情は驚きと心配が混ざり合っていて、オーレリアの涙を誘うに十分なものであった。…が、彼を見た瞬間、攻略キャラだの心配な様子に感激といった思惑よりも真っ先にある一言が浮かんでしまっていた。
CV・飛魚田 神!!
読んで頂き誠にありがとうございました。更に長くなり、自分でも驚きです。
三話目にしてやっとゲームのメインキャラ登場。全員登場はいつになるのか…。
10/28追記。一部内容を書き換えました。