自覚
「あんたって子は…ラヴェンナが居なくなった途端こうなんだから…」
目の前の女性はやれやれ、といった仕草をして黒い瞳をこちらに向ける。キャップから覗く髪は明るい赤で自分の知っている赤毛よりアニメの登場人物の様な色合いだった。そして、美人である。
突如現れた日本語を話す美女に、パニック状態だった頭はすっかり真っ白になって呆然としてしまい、ただただその美女をジロジロと眺めてしまった。
「ほら!ぼーっとしてないで椅子に座る!支度手伝ってあげるから…。…って本当に大丈夫?」
美女は話しかけても答えない自分に異変を感じ取ったのか、心配するようにこちらを伺い見る。
その様子にハッと意識を戻した私は、冷静になるように深く息を吸った。とりあえず日本語は通じるようだし、もしかしたら話せばわかってくれるかも。いや、わかってくれなくても話すしかない。
吸った息をゆっくりと吐いて、恐る恐る美女に説明しようと口を開く。
「…あ、あの、ミランダ。私…」
ん?ミランダ?
「ん?どうしたの?」
美女は私と目線を合わせるようにしゃがみ、やはり心配そうな顔で聞き返してきた。
「……寝、坊しちゃった。ごめん…」
「ははっ、そんな事わかってるわよ。良かった、なんともないのね。ほら座って!髪縛るから」
ミランダに促され、鏡台の椅子に腰かける。後ろに立った彼女は鏡台に置かれていたブラシを手に取り優しく髪を梳き始めた。
…そう、彼女の名前はミランダ。私と一緒にこのお屋敷に雇われた同期で友人。下の姉弟が多い長女の彼女は面倒見が良く、私の世話を度々焼いてくれている。
「オーレリアは本当にサラサラで羨ましいわ~、纏めやすい。私クセっ毛だから面倒なのよねー」
器用に私の髪を三つ編みして、くるりと別に纏めていた髪に巻き付ける。パチンとピンの音が聞こえると「よし!」というミランダの満足そうな声が漏れた。
「…オーレリア」
ミランダが発した単語を思わず呟く。それは私の名前。…そう、私の名前はオーレリア。田舎農家の一人っ子。使用人育成学校に通う為街に出て、実家から離れたこのお屋敷に雇われた住み込みメイドである。
「んー?何か言った?」
既にクローゼットへと向かい、私のメイド服を用意しているミランダがこちらを振り返る。なんでもないと返して私は急いでミランダが用意してくれたメイド服へと袖を通した。
「ありがとうミランダ。今日はお客様が来るから朝から忙しいのに寝坊したなんて…ダヴリンさんが知ったら大目玉だったわ…」
「本当よ。念の為予定より早起きして様子見に来たかいがあったわ」
「ごめんなさい…。目覚ましはかけてたんだけど、止めちゃったみたい…」
「前はそれをしてもラヴェンナが起こしてくれたものね。もう、そろそろしっかりなさいな」
ミランダは苦笑いしつつ持って来た桶の水に浸してたタオルを絞り、それを私に渡す。受け取ったそれで顔を拭いたのち急いでメイクをした。本当、何から何まで支度を手伝ってくれた彼女には頭が上がらない。今度お礼をしなくては。
…ってなんだか事が順調に進んでいるんだけど、え?確かに私はブラック企業に勤めていて…死んで…。でもこのオーレリアとしての記憶はちゃんとある。農家の家に生まれて過ごして今に至るまでちゃんと…。
…と、いう事はもしかして、私…。
転生、した…?
支度が終わったというのに全てを理解して停止している私の背中を、ミランダがぽんぽんと叩く。そうだ今は呆けている場合ではない。今日は忙しいのだ。
ミランダと一緒にメイド寮を急いで出る。時間的にはギリギリだが十分だ。
先程窓から見えた庭園を横目に、お屋敷に入り使用人室へと息を整えてから入室する。中に入ると自分達以外のメイドは揃っており、内心ひやりとしたが集合時間5分前ではあったので特にお咎めは無かった。
メイド長のダヴリンさんのもと、今日のスケジュールとシフトを確認。勿論数日間の大まかな予定表はあるのだけど、忘れっぽい私にはきちんと仕事内容を把握させてくれるこの朝会はとてもありがたい。
全員がスケジュールを把握したタイミングを見計らって、料理長が朝の賄いを運んで来てくれた。この匂いはコーンスープだろうか。思わず涎が出そうになる。
全員着席し、いただきますと声を合わせて焼きたてのパンを頬張る。ゆっくり味わいたいが…何度も言うが今日は忙しい。全員が手早く朝食を済ませ、持ち場へ足早に向かう。
私の朝一の仕事はお屋敷内の清掃だった。普段から綺麗にしているから、あまり必要ないのではと思うけどお客様に失礼の無いように念には念を入れて、ということだろう。
ミランダと一緒に窓を丁寧に拭いていると「洗濯じゃなくて良かったわ~」とにこにこして言うものだからもう、と笑ってしまう。
「今日はアルマ坊ちゃまのご友人達とのパーティーよね。昔は良く遊びに来られていたけど、学校を卒業されてからは社会人としてお忙しかったから…きっともう皆さん素敵な紳士淑女になっているんでしょうね~」
ぎゅうっと雑巾を絞り、ミランダはふふふとそんな事を言う。
確かに、坊ちゃまは最近ご友人をお屋敷に招くどころか交流も少なかったようである。しかし、坊ちゃまもご友人も仕事で忙しいのだろう。前世の私も(量が全くもって一般的では無かったが)仕事が忙しくて中々友人と遊べなかった事を思い出す。
そんな事を考えつつ、あ、と私は声を漏らした。
「駄目よミランダ、アルマ様を坊ちゃまって言ったら。また怒られちゃうわよ。『もう子供じゃないって!』って」
「あ!そうだった。普段から直さないといつかボロが出ちゃうわね」
くすくすと二人で笑い合う。そんな私もアルマ様の事をさっきまで坊ちゃまと心の中で呼んでいたのだけれど。そう、アルマ様を…。
「…アルマ様?」
「へ?」
窓拭きが終わったので二人でバケツを持って用具室へと向かう途中、突然声を上げたオーレリアに怪訝そうな顔でミランダが振り返る。
それに構わずオーレリアはバッと顔を上げてミランダにズンズンと詰め寄った。
「ねぇ、私たちが仕えているのってグラナトゥス家でご子息はアルマ様よね!?」
「え、えぇ…そうだけど…」
「それでここはイグニオース王国のガラニーテって地名よね!?」
「そ、そうだけどいきなりどうしたの…?」
顔をこれでもかと近付けたオーレリアの鬼気迫る表情に、ミランダは狼狽えながらも質問に答える。
それを聞くとオーレリアは急にふらりと後ずさり、ふらふらと用済みのバケツと雑巾を片付けて箒を持った。その様子をミランダは不審そうに見守り、自分も箒を手に取り一緒に次の持ち場へ向かう。
…まさか、まさか。
サンルームの中で箒で掃くオーレリアはきちんと仕事はこなしつつ、悶々と考え事をしていた。
アルマ…イグニオース…どれも知っている。前世の頃から知っている。でも、それは…。
私が前世に遊んでいた、大好きな成人向け乙女ゲームの舞台と登場人物の名称だったから。
…って事はつまり私は…。
乙女ゲームの世界に転生した…!?
パアァと歓喜の表情で箒を握り絞めるオーレリアに、心配で様子を伺い見ていたミランダはびくりと体を震わす。そして、踊り出すようにリズミカルに箒を掃き始めた様子にまた不審な視線を向けた。
やった!やった!そしたら私、もしかしたら攻略キャラクター達と恋に落ちちゃったり…!?
ぐふ、ぐふふと気持ち悪い笑い声を零しながらふと、今自分が着ている服を目にし、動きが止まる。
………あれ、そう言えば私って…。
からん、と箒が手から滑り落ちる。
ヒロインじゃなくてただのメイド…だよね。しかもオーレリアなんてキャラ、メインどころかサブにも登場しない…。つまりモブ…モブメイド…って事はそもそも…。
攻略キャラと恋愛!!出来ない!?
読んでいただき誠にありがとうございます。一話より長くなってしまいました。
モブメイドという事に気付いてしまったオーレリアは、この先どうなってしまうのか。
10/28追記。少し改行を入れました。