8.瞬殺
いったいぜんたいなんでこうなった。
「いいですか。魔物に遭遇してもまずは落ち着いて、距離をとってください」
言い聞かせるように目の前の美人が僕を見つめる。
葵色の宝石のような瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいて、彼女の美貌をさらに際立てていた。
ライトに照らされて、きめ細かな肌が輝いているようにも見える。
「……大丈夫ですか?」
彼女は心配そうに眉をひそめ、そして僕の手を両手で包み込んだ。柔らかい。まるでシルクのようにすべすべな手の感触に思わず頬がほころびそうになりながら――。
「は、はい」
上ずった返事をするのが僕にはやっとだった。
「安心してください。何があっても私がお守りしますから……ね?」
髪を揺らしながら彼女が微笑む。まるで、おとぎ話から飛び出してきた女神のようだ。
確かに彼女がいれば何の心配もいらない、はずなのだ。
どんな化け物が現れてもきっと一瞬で片づけてくれるだろう。
そう言い聞かせても身体は正直で、足はがくがく震えて腰の短剣に手を伸ばそうにもうまく掴めない。
目の前に広がる漆黒の空間。今にも何かが飛び出してきそうだ。この先に僕は進まなくてはいけない。
三浦蔵人24歳、これが初めての冒険だ。
少し先を進むミティは僕たち二人を見て、やれやれといった表情を見せる。その先には漆黒の闇が広がる。
胸ポケットのフラッシュライトでは自分の周りすら確認するのが難しい。
「あまり離れないようにしてくださいね」
あやめさんは足取りの遅い僕を心配して、何度も振り返りながら恐れる様子もなく進んでいく。
昔は多くの人が利用していたのだろうか。細長い通路の先に改札口がいくつも並んでいるのがかすかに見えた。
老朽化してボロボロの機械を二人は軽々と飛び越え、僕はそのあとをよたよたと追いかけながら駅構内に入る。
「まだ下に降りるみたい」
探検気分なのだろうか。ミティが少し楽しそうにさらに下へと続く階段を照らす。
明かりがついていればなんという事はない階段だったろう。しかし、この暗闇の中、先が見えないその階段は、まるで恐ろしい魔界へ通じるかのような不気味さがある。
そのおどろおどろしい階段を降り、先行する彼女についていくと駅のホームが姿を見せた。
アスファルトがボロボロになった長いホームの先を照らすと、ぽっかりと洞窟のように線路のトンネルがあるのが見て取れる。
「地上と同じような電車が走ってたのかな?」
ミティがホームの端に座り、線路の先を照らす。奥までは光が届かず闇に飲み込まれる。
「そうみたい。たくさん駅があって迷っていまいそう」
2人は冷静に周りの状況を確認する。僕はというと、ほんの少しの物音にもビビりながらあやめさんの後ろをぴったりとついて歩くのが精いっぱいだった。
「き、記憶にはないけど、新幹線っていうのがあって都市間の移動も電車で行えたら、らしいよ」
気持ちを紛らわすために歴史の教科書で読んだうんちくを披露する。
「まあ、それは便利ですね。うふふ、電車で旅ができるなんて素敵」
あやめさんと一緒に旅行か。今も同じような状況だが、できればもっと楽しい場所へと行きたい。
「ふーん、あっ」
興味なさげに返事をしていたミティは何かを見つけたようで、ライトを振って合図する。
僕たちが近づくと、ミティは発見した痕跡をライトで照らしてみせた。
「これ、なんか引きずった後。埃もないし新しいよ」
ホームの端には何か重い物を引きずってできたような傷跡が残っていた。長年使われていなかったホームなので、老朽化でできた痕跡とは明らかに違うのが見て取れる。
それはホームから線路へとまっすぐに、白いチョークで描かれたかのように残っている。
「この先……ということかしら」
あやめさんの言葉に合わせてミティは傷跡が続く先、痕跡が指し示す線路を照らす。この先に何かを運び込んだとみて間違いはなさそうだ。しかもごく最近。
「……行ってみますか?」
恐る恐る僕が聞くとほぼ同時に2人は動きをピタリと止めた。
返事もせす、微動だにしない。まるで時が止まったかのようだ。
不安になって僕はあやめさんの肩をちょんちょんと突き、反応が返ってくることを願った。
「……あ、あやめさん?」
「……気を付けてください。何か居ます」
彼女は僕を庇う様にしながら刀に手を当てる。ミティもじっとしながらも何かを探すように目を動かす。
言われてから気づいたのか、言われたからそう感じるのか。
僕にも3人を中心として何かが蠢き、距離をつめているような気配を感じた。
ライトを動かして周りを照らす。が、特に何かがいる様子はない。しかし、確かに感じる気配。
確実に何かが僕たちに近づいている。
ふと、何かが動いたような気がして天井に光を当てる。
――そこには、8本脚でゆっくりとこちらに近づくクモのような魔物が居た。
僕に身長よりも大きな胴体と長い手足。それなのに、クモは音もなく、落ちることもなくゆっくりと天井を這っている。
いくつもある眼光はまっすぐに僕を見ている。
光を当てられたからだろうか、刹那、クモが天井から飛び降り迫ってくる。
「う、上――」
上にいる。
僕が叫ぶよりも早く、ミティが反応していた。
バリバリバリ――
ホーム全体を照らす眩い雷光。彼女が突き上げた右手から稲妻が轟くと瞬時にクモに直撃。吹き飛ばしていく。
彼女は腕からバシュッと音を立てる。彼女の両手には機械作りの籠手が備え付けられていた。
二の腕あたりまですっぽりと覆うその機械は、生きているかのように小さな光がファイバー状に往来している。そこから彼女は早業で雷撃を撃ちだしたのだ。
「すご――」
彼女を見て驚嘆の声をあげようとした時、今度は彼女の背後、ホーム下の暗がりからクモが踊り出るのが見えた。しかも二匹。
二匹は驚くほど素早い動きで足を広げ、彼女を捕食しようとしている。
ミティに危険を知らさなくては。
だが――
今度は僕が声をあげるよりも早く、あやめさんがミティの方へと一歩踏み込み、鞘に納めた刀に手をかけるのが見えた。
そう見えただけだった。
チンッと鞘と刀のつばが当たる音がする。それと同時に二匹のクモは綺麗に、驚くほど綺麗に真一文字にぱっくりと二つになり、またホーム下の闇へと落ちていったのだ。
2人はどちらの存在にも気づいていた。ライトでお互いに――黒焦げになった1匹と、4つに分かれて絶命した2匹を確認すると、何事もなかったかのように埃を払う。
「先へ進みましょう」
あやめさんがにこやかにそう告げて線路へと降りて行った。
強い。
強すぎる。
恐ろしいほどの手際に、僕はあっけにとられながらただただ、二人の後をついていった。




