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5.これで君はこの事務所の所長だ

翌朝、僕は指定された場所でジャックさんの到着を待っていた。

都市の中心部から少し離れた商業地区。

人通りも少なく、雑居ビルが立ち並ぶ薄暗い通りだ。半壊したまま放置されているビルや建物もちらほら見える。

大きな爪痕や何かが爆発した破壊痕。昔ここも戦場になっていたのだろう。

中心地からはさほど遠くないことを考えると、東京もギリギリだったらしい。

過去の大戦の痕跡を見上げ、どんな戦いになっていたのだろうかと思いをはせていると――



「Good Morning 三浦蔵人(くらんど)


本場のイギリス英語が背中から聞こえた。

昨日見たグレーのスーツ。ジャックさんがこちらへと歩みを進めていた。

――今日はどうやら一人らしい。


「お、おはようございます。ジャックさん」


「時間通りだな。日本人は時間に律儀で助かる」


ジャックさんは腕時計を見ながら答える。ちらりと見えた腕時計はシンプルながらも洗練されたデザインで、スーツのアクセントとして絶妙なカッコよさを際立たせる。

円卓の騎士ともあってとてつもない値段がしそうな腕時計だ。


「ついてきたまえ。君の職場へ案内しよう」


「ええと、ジャックさん。その、前の会社の上司から朝電話があってですね」


ジャックさんは会って早々すぐに移動を開始しようとしたが、その前に、心配事を片付けてしまいたい。

朝起きると、僕の携帯電話の着信履歴には上司からの怒涛のコールが3分おきに入っていた。

試しに留守番電話を再生するとものすごい勢いで罵詈雑言が飛び出してきたのですぐに切ってしまったが、一応社会人としてのマナーもあるので無視しつづけるのもバツが悪い。


「昨日の今日でいきなり転職ってことになりますし、一応前の会社との契約とか上司が……」


「……昨日のうちにこちらで手はずは整えて置くと伝えたはずだが、何か問題があったかね?」


ジャックさんは珍しく眉をひそめ不思議そうにしている。


「ええと、そうなんですけども……」


「君は最初からその会社には居なかった事になっている。……ふむ。会社ごと買い取ってしまった方が良かったか?」


やることが大げさすぎてポカンとなる。さすがは世界的影響力を持つ円卓の騎士といったところか。


「いえ、そこまでは……」


「……昨日も伝えたが、君が心配することは何もない。行くぞ」


スタスタと歩いていく彼についていきながら、僕はえーい、ままよ!と携帯電話を取り出し、上司の番号を着信拒否にした。

なんだかちょっと――いやずいぶんと晴れやかな気持ち。



●  ●  ●


え……ここ?


くたびれた雑居ビルの3階にそれは存在した。


待ち合わせ場所から通りを抜けさらに裏路地を少し進んだところにぽつりとある雑居ビル。

1階は個人営業の居酒屋のようで、その横に細い螺旋階段が存在する。2階は空き室なのだろうか窓には何も貼られていない。

そして3階には『日向(ひむかい)護衛騎士(パラディン)事務所』と窓に印刷されていた。

ところどころ文字が欠けており、年期が入っているのが見受けられる。


「こっちだ」


ジャックさんは特に気にする様子もなくカンカンと手慣れた形で螺旋階段を上っていく。

見上げるほどの階層がある巨大な自社ビルだったり、大豪邸に連れていかれると思っていたのだけれど……

表から見る分には前の会社の方がよっぽど立派に見える。

想像よりも、ずっとチープで、悪い言い方をすれば期待外れだ。

いやいや、天下の円卓の騎士から雇われたんだ。表は世間を欺くために、わざとオンボロにしているのかもしれない。


「は、はい!」


力強く踏みつけると踏み抜いてしまいそうなサビだらけの螺旋階段を僕は登る。

きっと、ここから地下に巨大な基地に移動したりするのだろう。そこでは大量に職員が働いていて、僕が紹介される。

期待の新人だと――きっとそうだ。


3階に着くと、ガチャリとジャックさんがドアを開ける。


「入りたまえ」


促されるようにしてドアをくぐる。



――入口右手には小さくお手洗いと描かれたドア。細い通路の先には申し訳程度の応接室。

表から見るよりかはいくぶんか広く感じるが、こじんまりとした事務所だ。

特別変わったところは見受けられない。

事務所と言われて想像する、そのまんまな事務所だ。

え、こんなところが?思わず声に出してしまいそうなのをぐっと堪える。


と、ドアの音に反応したのか、奥からひょっこりと人影が顔を覗かせる。


――僕は角から顔だけ出してこちらを伺うその女性と目があった。


クリっとした大きい葵色に透き通った瞳。端正な顔立ちに思わずドキリとする。

向こうはきょとんとした顔でこちらを見つめているが、僕の方はあまりの美人さに目が釘付けだ。


首を横にしてこちらを見ているからだろう。

ショートボブに切り詰めたサラサラな髪が頬にかかり、彼女の美しさをさらに際立たせているようにすら感じる。


「まあ先生!お客様ですか?」


おっとりとした口調で美人はこちらへととたとたと駆けてきた。


近くまで来ると一層彼女の美人オーラに圧倒される。

彼女は変わらずじっとこちらを見つめる。

するとはっ何かに気づいたような表情をするとニコニコととても嬉しそうな笑みをこぼす。

この笑顔に勝てる男子は存在しないだろう。僕がもしやり手のイタリア人だったらこの場で跪いて求婚していた。

もちろん僕にそんな勇気は微塵もない。視線を絶妙に合わせないように瞳をマグロよろしく高速で泳がせる。


「紹介しようあやめ君。彼が――」


ジャックさんが僕に目線をやる。急に緊張で口が乾いてきた。


「は、は、初めまして!今日からやと、雇われた三浦蔵人(くらんど)とお申します!どうぞおよろしくお願いします!」


自分でもびっくりするほど素っ頓狂な声が出る。目線をあわせないようにし過ぎて、不自然なほど上を向く。


「初めまして……?」


目の前の彼女は少し眉をひそめる。


「は、初めまして……」


僕はオウムのように彼女が発した言葉を返した。すると、彼女は少し、ほんの少しだけ悲しそうな顔を見せるとすぐに笑顔に切り替えて手を前で組む。

ぎゅむっと音をたてそうなくらい彼女の胸部にある二つの山が押さえつけられて形を変える。

見てはいけないのは分かっている。しかし、男の本能には勝てない。ましてや相手が世界最高峰、エベレスト級のお山とあってはなおさら。


「初め……ましてっ。私は日向(ひむかい)あやめと申します。よろしくお願いしますね蔵人(くらんど)さん」


初めましてという言葉に少しつまりながら彼女、あやめさんは深々とお辞儀をした。

カジュアルなセーターを着ているが、身体を倒した影響で胸元からぱっくりとエベレストの峡谷が見え隠れする。理性が必死に眼球を上にそらそうと試みるが僕の眼は微動だにしない。

彼女が顔をあげてまたにっぱりと笑顔を見せる。

じっと見つめると消し飛びそうな笑顔だ。日向(ひむかい)あやめさん。一挙手一投足に愛嬌がある、なんとも素敵な女性だ。


日向(ひむかい)……?


日向(ひむかい)ってことはこの事務所の……」


表にも同じ名前か掲げられていた。つまりは彼女、日向(ひむかい)あやめさんは。


「察しの通り、この事務所はもともと彼女の所有物だ」


ジャックが僕の疑問に答える。


「私というよりも、父が持っていた事務所なんです。私の物だなんてとても言えませんよ」


あやめさんは両手をブンブンと振りながら謙遜した。


「あやめ君、ミティは」


「ミティちゃんなら奥でゲームしてます」


ジャックさんは彼女にそう聞くとあやめさんは振り向き、奥に向かって声をかける。


「ミティちゃ~ん、お客様ですよ~ご挨拶~」


しばらくして、彼女の声に反応するように浅黒いつややかな手だけが壁の奥から覗かせる。

挨拶のつもりだろうか、ふりふりと手を振ってあやめさんの言葉に応える。ここからだと見えにくいがどうやら奥のソファーに寝そべっているようだ。


「ミティちゃん、ちゃんとこっちに来てご挨拶しないと」


あやめさんは困ったように頬に手を当てる。


「ミティちゃん。先生も来てるんだからまた克也さんに小言を言われちゃいますよ~」


あやめさんがそう意地悪そうにいうとふりふり動いていた手がピタリと止まる。そのうちのっそりとミティと呼ばれた少女が姿を現した。


「それはあやめが告げ口するからなの」


めんどくさそうに不満を現した仏頂面。銀色に輝く髪は腰まで伸びている。あどけなさが残る少女だが、彼女もあやめさんに負けず劣らずの美人だ。

――だが、一番に目が行ったのは尖がった耳だった。

エルフ。とんがり耳とも呼称される彼女は、世界が融合した際に現れた別世界に住む『ヒト』の種族だ。

総じて高い魔力を持ち、魔術を駆使することに長け、自らの種族に高いプライドを持つ。


この東京でも見かけることは少なくないが、彼女はさらに――褐色で艶やかな肌をしている。

エルフの中でも珍しいダークエルフ。

屈指の魔力と優秀な身体能力を持ち、エルフの中でも特に希少種であるとされるダークエルフを見るのは、これが初めてだった。

たぶん稀有な視線を向けられることが多いのだろう。

僕の視線にさらに眉をゆがめて不機嫌そうにしながら――


「ミティ。ただのミティ。おわり」


ぶっきらぼうにそう答えて、手に持った携帯電話のゲームを再開しながらソファへボスっと倒れこんだ。


「ご、ごめんなさい。ミティちゃんは人見知りする方で……」


あやめさんはバツが悪そうにミティと呼ばれた少女のフォローしながらペコリと頭を下げた。


「い、いえ。珍しそうに見てしまった僕も悪いですし」


「挨拶はすんだな。奥へ」


ジャックさんは無表情のまま何とも思っていないようで、事務的な態度で僕を奥へと招いた。


「適当なところへ座ってくれ。あやめ君、例の書類を」


「はい」


あやめさんは事務机と戸棚があるスペースへととたとたと駆けていき、何かの書類を探す。


「えーっと、どこだったかしら」


そんなことを呟きながら、綺麗に整頓されたファイルを一つ一つ確認していく。ただそれだけなのに、まるで絵画のように美しく、目を奪われてしまう。

適当に座れと言われたけど、応接スペースにあるソファにはミティがゴロンと寝そべって占拠中だ。

こちらに無関心なのか不用心なのか、履いているミニスカートからは健康的な太ももがあらわになっている。

視線が釣られるのを何とか上を向いて阻止しつつ、ソファを通り過ぎて彼女が見えない位置に立つ。


「先生。はいどうぞ」


立ったままぶらぶらしているとあやめさんは見つけた書類をジャックさんに手渡した。

彼は、一度さらさらと目を通すとペンと共に僕に書類を手渡した。


「そこに名前を記入してくれ」

「は、はい」


特に内容も見ずに僕は空欄に名前を記入すると、すぐにジャックさんへと返す。

彼は名前を一度確認して、書類を脇に挟むと僕に手を差し伸べる。


「確認した。これで君はこの事務所の所長だ。おめでとう三浦蔵人(くらんど)


「へ……?」


どうやら先ほどの書類は契約書のたぐいだったらしい。流されるままに僕は彼と握手する。

なんだが金属のように冷たい。


「ちょ、ちょっと待ってください。でもここ、あやめさんの事務所じゃ……それに僕が所長だなんて、また急な……」


ジャックさんが何か言うたびに、事態が急展開している気がする。


「然るべき人物にこの事務所を任せたい。と、いうのは彼女からの要望でもある。不服かね?」


「いえ、そういう訳では……」


「では問題ないな」


この人は、人を振り回す才能の持ち主のようだ。

何から何までものすごいスピードで決めていく。だが、それを可能にするだけの、有無を言わせぬ威圧感が彼にはある。

円卓の騎士とは恐ろしいものだ。


「うふふ、これからよろしくお願いしますね~"所長"さん」


あやめさんはぱちぱちと手を叩き、嬉しそうにする。

ソファから顔を出してミティがこっちを見ていた。

目が合うと、すぐにひっこめたその顔から読みとれる言葉は――『え?お前が?』だ。

……たった半日で僕は底辺社員から事務所の所長になってしまった。


「彼女たち二人はこの事務所の職員だ。様々な面で君をサポートしてくれるだろう」


彼の言葉に合わせてペコリとあやめさんはお辞儀をする。

確かに彼女は頼りがいがありそうだ、色々お世話してもらえるならお金を払いたいほどに。

ソファーに寝そべっているミティに関しては疑問が残るけど……


「僕が所長……」


少しくたびれているとはいえ、個人事務所なんて。

言わば一国一城の主。しかも美女二人付というオプションまである。

やっぱり円卓の騎士が持つ力というのは一味違う。

これからこの事務所で仕事を……


あれ。仕事って何をするんだろう。


一番大事な部分を忘れていた。

この事務所の名前は、日向(ひむかい)護衛騎士(パラディン)』事務所だ。

円卓の騎士と言えば、大厄災――国家が救援を求めるほどの有事に駆け付ける騎士たちだ。

屈指の力を持つが、それゆえに任される任務も苛烈を極める。

その円卓の騎士が持つ護衛騎士(パラディン)事務所。


つまり……


「私からの依頼以外は好きに受けて貰って構わん。報酬もすべて自由にしていい。だが、有事の際はかならず私の依頼を優先してもらう」


「依頼……あの僕がする仕事って」


恐る恐る彼に聞く。彼は当然といった表情で言葉を返した。


「もちろん、護衛騎士(パラディン)としての仕事だ。もっとも護衛(エスコート)よりも排除(エリミネーション)がほとんどだがね」


若干、自分の身体から血の気が引くような感じがした。

護衛騎士(パラディン)になるのだから、『そういう事』になるのは当たり前だが、ちょっといきなり仕事のレベルが爆上がりしちゃってる気がする……





「さて、さっそくだが仕事だ」


途方に暮れている僕にジャックさんは首で『所長』と書かれたデスクに座るように促す。



なんだかすこぶる嫌な予感がしてきた。

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