4.円卓の騎士からのスカウト
自宅のベッドよりもふかふかで、僕の靴よりも上質な革でできた座席。
エンジンの音すら聞こえない密室で僕は縮こまるようにして、座っていた。
なぜか僕は生まれて初めてリムジンに乗っている。
そして、目の前には強面のイギリス人と赤サングラスの日本人。
● ● ●
数分前――――
とぼとぼと家路を歩いていると自宅の前に見知らぬ彼らが立っていた。
家賃の安いボロアパートには不釣り合いなフォーマルなスーツに身を包んだ男が2人。
彼らは、明らかに怪しい雰囲気を醸し出していた。
借金取りかなにかかな。
自分が住むボロアパートには生活苦から違法な金貸しにお金を借りて、強引な催促を受けている人も何人かいた。
朝まで怒号が聞こえ続けて眠れなかった日もある。
お近づきにはなりたくないタイプに見えたので、僕は視線をあわせないよう、刺激しないように遠巻きにアパートの階段に近づいた。
「失礼。君は三浦、蔵人くんかね?」
――向こうから声をかけてきた。
「え?はい。そうです……」
突然のことに挙動不審になりながらも僕は正直に答えてしまった。
どう見ても怖い人達なんだから嘘でもついて家に逃げ込めばよかったと後悔しながら、目だけはあわせないようにする。
歳は40代だろうか。
すらりと伸びた手足がグレーのスーツによく似合う。
短く切り上げた銀髪に俳優のような整った顔立ち。だがその目つきには鋭さがある。
冷淡さを感じさせる雰囲気はザ・殺し屋と言ってもおかしくない。
「お初にお目にかかる。私の名前はジャック・ルートリッジ。”主君無き円卓の騎士”の一人だと言えば話が早いかね?」
ジャックと名乗った彼は片手を曲げて軽く会釈をする。
「え、円卓? え?」
聞き間違えじゃないかと疑った。
『主君無き円卓の騎士』
護衛騎士を束ねる12人の最強騎士。
多くの都市を災厄から救い、その実力は個人で軍隊にも相当すると言われる――
そんな大物がこんなボロアパートの前に、突然、現れるわけがない。
でも、よく見ると彼の顔はよくTVで見たような気もする……
「本物だよ。証拠はないがね。驚かせたのは申し訳ないが直接会うのが一番効果的だと思ったのでね。そしてこちらが――」
表情を一切変えることなく言葉を紡ぐ姿は大物のオーラを感じさせる。
手で合図された隣の同じくグレーのスーツを着た赤サングラスの男がペコリと僕にお辞儀する。
「上杉、克也です。ルートリッジ卿の護衛をしています」
こちらはどこからどう見ても同じ日本人だが、僕なんかとは比べ物にならないほどスタイルがよく、ばっちりとスーツが似合っている。
独特の赤サングラスは普通の人がつければ不格好になるだろう。しかし、彼はそんな物が似合う伊達男だ。
「三浦蔵人くん。君に折り入って話がある。ご同行願えるかね?」
ジャックさんは紳士的な態度で尋ねているが、断ればその場で文字通り首が飛びそうなほどの威圧感を感じ、僕はくびを縦にぶんぶんと振った。
そして――今。リムジンの座席に対面で座らされている。
「飲み物も出せるが、飲むかね?」
「い、いえ大丈夫です」
ジャックさんは親切心で聞いてくれたのであろうが、この狭い空間に彼らといるだけで真綿で首を絞められているような息苦しさを感じている。
のどを通らないどころか口に含んだ瞬間に戻してしまいそうだ。
「ふむ、どうやら居心地が悪いようだから、早めに要件を伝えるとしよう」
指で顎を触りながらまっすぐと僕を見た。突き刺さるような視線。
「要件……」
「担当直入に言おう。今日は君をスカウトしにきた」
「スカウト……?」
何が何やらわからない。世界的英雄の一人がわざわざ僕をスカウトに?
「ええと、ちょっとおっしゃる意味が分からないのですが……スカウトとは……」
「そのままの意味だ。君を雇いたいと考えている。わが社で護衛騎士をやってみないかね?」
彼は表情を一切変えないので、冗談なのか本気なのか、どういう感情なのかすらわからない。
雇うって僕を?どこで?どういう目的で?
頭はパニック状態だ。
「現在、我々は優秀な人材を集めていてね。君を見つけるのには苦労した」
「ま、待ってください。僕を探していたって……なんで」
「君には特別な力がある」
彼は何を言っているのだろう。僕に『力』なんて無いのは、あの試験で証明されている。
「お言葉ですが、誰かの間違いじゃないでしょうか……僕は魔力すら持たない底辺の人間でして……」
謙遜しているわけではなく、事実を述べているつもりだ。
だが、僕の態度を見かねたように、ジャックさんは、隣に座る克也さんに目線を向けて合図を送る。
「……よろしいので?」
「ああ、構わない」
克也さんは彼の言葉に数秒思案した後、僕に向かって手を広げる。
「すまない少年」
「えっえっ」
克也さんの手の周りの空気が淀む。渦を作るように空間が捻じ曲がると――
火球が僕に向かって撃ちだされた。
「ひいっ!」
とっさに身を守ったが、時すでに遅し。
僕の顔面は業火に焼かれて消し飛ん――でいなかった。
「あれ……なんで……?」
自分の身体を見渡してみたが、火傷どころか服に埃すらついてない。
克也さんは僕が無事で少し安心したような表情を見せるが、ジャックさんは僕の様子を気にすることなく言葉を続けた。
「それが君の能力だよ。三浦蔵人。君には魔力が存在しないのではない。魔力を消し去る力を持つがゆえに、発現しないのだよ」
「魔力を消し去る……」
彼は淡々と説明していく。
僕の耳にそれはあまり、入ってこなかった。
今目の前で起きた出来事に脳がフリーズしていたからだ。
「私は君のその能力を非常に評価している。どうだね。うちで働いてみないか?」
僕は口をあんぐり開けた間抜けな顔で、彼の顔を見つめることしかできなかった。
「もっと考える時間を与えてあげたいが、実はあまり猶予が残されていなくてね」
彼はそんな僕を無視して、胸ポケットから名刺のようなものを取り出す。
携帯電話の番号だけが印刷された真っ白な紙だ。
「明日一日だけ待つ。その気があれば、その番号に連絡をもらいたい」
リムジンがゆっくりと止まると、ガチャリと音がして隣のドアが開く。
走り回っていたように感じていたが、気づけば自宅の前、見知ったボロアパートがある路地だ。
「君にとっても悪い話ではないと思う。いい返事が得られることを期待している」
彼はそう言い残して去っていった。
ポツンと路地に取り残された僕。いまだに彼が言っていることが信じられなかった。しかし、目の前で放たれた魔術は掻き消えたのは確かだ。
魔力が無いことがコンプレックスだったが、それのなんと滑稽な事か。そんなすごい能力があるならもっと早くに教えて欲しかった……使いどころが思いつかないけども。
そのうえ、あの円卓の騎士から直接スカウトされた?
アルバイトでも今の会社でも使えない無能扱いだった僕が?
うちで働いてみないか――
ジャックさんの言葉を思い出すと身震いがする。そんなこと初めてかけられた言葉だった。あの時は緊張で固まっていたが、今思い出すと若干口がほころぶ。
それから僕はじっともらった紙切れを凝視しながら考えた。転職するか否か。
上司の顔とジャックの顔を浮かべて、2秒ほど思案して――
その場で書かれている番号を携帯電話でプッシュした。
迷う必要なんかないじゃないか。夢にまで見た護衛騎士へ。
僕は電話がつながるやいなや、今までにないほど情熱的に、劉弁に、自分をアピールした。
● ● ●
「では、また」
ジャックは携帯電話を切ると胸ポケットにしまう。
「意外と早かったですね」
隣に座る克也は窓の外を眺めながら少しあきれたようにつぶやいた。
「ふむ。身上調査は行っていたが、その日のうちに連絡が来るのは予測が外れたよ」
「いいのですか。すべてを説明せずに彼を雇えば、いつかは敵となる可能性もあります」
「……いずれ誰かが彼の力に目を付ける。それに、未だ未知な部分が多い。あとは本人の資質に賭けよう」
ジャックが腰ポケットから煙草を取り出し咥える。
克也はそれを見て何も言わずに指を鳴らす--と、煙草の先に火がついた。
煙を肺に入れて、口からゆっくりと吐き出す。
ジャックはゆっくりと揺れる煙を見つめながらぽつりとつぶやく。
「我々、人類の切り札へと成長してくれることをね」