14.追走
「蔵人さん!良かった……気が付いた」
あやめさんが安堵の声を漏らし、僕をぎゅっと抱きしめる。
「あれ……僕、さっき」
死んだはずじゃ?そうおもって胸元をのぞき込むと、服こそ破れているものの怪我一つない。
だが、その状態に納得している自分がいた。頭の中で何かが囁く。囁き続けている。
「そうだ、さっきの邪神は――」
辺りを見渡すと、先ほどまでいたはずの邪神、アラハバキの姿はどこにもなかった。いるのは僕を抱きかかえるあやめさんと、心配そうにのぞき込むミティの二人だけ。いや、よく見ると少し多くに僕の頭よりも大きい、眼球のようなものが転がっている。
「やつなら蔵人にやられて、逃げてった……」
「……覚えていないのですか?蔵人さんが邪神の眼をえぐり取ったんですよ?」
2人とも驚いた様子だが、僕には記憶にはない。でも何となく、それが本当なのだろうというのが理解できた。今まで感じたことがない感覚。自分の心臓から感じる――獣の波動。
それが僕に告げているのか。すっくと立ちあがり、逃げたとみられる方向をにらんだ。
「追いかけなくちゃ」
このまま奴を逃がせば、地上に出るかもしれない。そう思ったからだ。
「で、でも、すごいスピードで逃げてったよ。追いかけられっこないよ」
ミティが不安そうに告げる。彼女は口にはしなかったが、そのあとに続けたい言葉は逃げよう――なのだろう。彼女の気持ちは十分理解できた。あやめさんも重傷だ、ほんのちょっと前の僕なら迷わず彼女たちと共に安全な場所へと逃げていただろう。
しかし、僕の中の獣が、僕に勇気を与えてくれる。やつを逃がすわけにはいかないと。
「それでも追いかけないと……」
ふと、見渡した先に、老朽化したあるものが見えた。――ドアが空いている。くたびれているが見た目は地上のものと変わらない。
「あれ、使えないかな」
僕は捨て置かれた車両を指さした。
―――――――――――――――――――――
「どう、ミティ?動かせるかな?」
「……何とかなると思う」
一両だけ残された、地下鉄の車両の中でミティが先頭に備え付けられている制御機器をいじる。車両内は埃っぽいが、ここにいた獣人たちが資材置き場にでもしていたのだろう。銃器や照明機器が入ったケースがいくつか残されており、比較的綺麗な状態が保たれていた。
担ぎ上げていたあやめさんを一番綺麗な座席へと寝かせる。
「ここで少し休んでいてください」
「……はい、蔵人さん。ありがとうございます」
彼女はゆっくりと目を閉じ、大きく息を吐く。改めて確認すると、かなりひどい怪我だ。全身には思った以上に深く、そして多くの裂傷があった。
「あやめさん、これ、ポーション」
携帯用のポーションを彼女の口に運ぶと、こくん、と喉を鳴らして一口ずつ飲み始めた。魔術によって作成された治療薬で、本人の治癒能力を上昇させ傷の治りを急激に回復させるポーション。今では一般的な万能治療薬と世界中で売られている。その効果は絶大で世界各地で愛用されているが、彼女にはあまり効果がないだろう。なぜなら軽傷者に最も有効的なアイテムだからだ。
現にあやめさんについた頬の小さな傷口などは徐々に回復していくのが分かるが、腹部や足にできた目を背けたくなるようなひどい裂傷には効果が薄い。
とはいえ、気休め程度でも彼女が回復していく姿を見て僕はほっと胸をなでおろす。
ウィイイン
何かの稼働音と共に、パッと車両内に明かりが灯る。
「動いた」
嬉しそうな声が、基盤をいじる少女から発せられる。
「やるじゃないかミティ!」
彼女に駆け寄ると、太陽のような笑顔で振り向く。あっと小さく声をこぼすと、恥ずかしそうに前に向き直した。
「ま、まあね、機械は得意だし。これを引いたら動くの……かな」
ごまかすようにしてボタンをあれこれ押し、目の前の大きなレバーを手前に曲げる。すると、ガタンと車輪が回り出す振動が伝わる。大きくなる稼働音と共に、僕らを運び始めたのを感じた。
これならいける。
「ミティ、めいいっぱい引いてくれ、これなら追いつけそうだ」
彼女は無言でレバーを引き、車両はゆっくりと、しかし確実に加速しはじめる。
―――――――――――――――――――――――――
「さっきは……ありがとう」
しばらく線路を走らせると、ミティが恥ずかしそうに口を開いた。
「ん?ああ、何とか無事に助けられてよかったよ」
レバーに手を置きながら、もじもじとしている姿は可愛らしい少女が恋人と待ち合わせをしているかのようだ。いろいろな事が一日であったからだろう。最初のころに比べると僕への対応がずいぶんと丸くなった気がする。
彼女は僕をちらちらと見る。
「……蔵人。その、あんまりこっち見ないで」
彼女が恥ずかしそうにうつむく。その時になって僕はやっと気づいた。彼女の下半身は下着だけになっており、褐色の健康的な脚部があらわになっている。年頃の女の子には酷な格好だ。
先ほどまで必死だったせいで全く意識してなかった。
「おわっ!ごめん!」
僕は見ないように顔を背ける。お互いに気まずい雰囲気になり、しばし無言の時間が続く。
「……倒せるのあいつ」
その空気に耐えられなくなったのだろう。彼女が口を開いた。
「うーん。だぶんね。大丈夫さ、ちゃんとやっつけるよ」
不安そうな彼女に、僕は自信たっぷりに言った。
何故かそう言い切れる自分がいる。それはこの身体から感じる力のせいだろう。
「近くまで行ったら、ぶつからないようにスピード落として、できたらあやめさんと一緒に地上への出口を探すんだ」
「……蔵人は?」
「僕は、やつを倒してから後を追うよ」
彼女はじっとこちらを見て、一応は納得したように前へ向き直す。
すると、車両のヘッドライトの先にわずかだが、何かがものすごいスピードで走っている影が見えてくる。
大量の手がキャタピラのようにトンネルの壁や天井をはっているその動きは邪神というのにふさわしい禍々しさだ。
――居た。
「あれ!」
僕は逃げるところを見ていなかったが、なるほどこれはものすごいスピードだ。
あの巨体からは想像することはできない速度で線路を疾走している。電車が動かなければ恐らく捕まえる事は不可能だったろう。だが、ここまでくればもう捕まえたも同然だ。
「さっき言ったようにね。ミティ!あやめさんをよろしく」
僕は開けっ放しのドアへと急ぐ。この車両もかなりのスピードが出ている、普通なら飛び出せばものすごい勢いで地面に叩きつけられ無事では済まないだろう。
だが、そうならない自信がある。
「蔵人……あの。……無事に戻ってきてね」
ミティが心配そうに僕を見つめる。心配してくれるなんて可愛い所もあるじゃないか。そう思いながら僕は親指を立ててグーサインで答えるとドアから飛び出し――
壁に思いっきり叩きつけられた。




