12.今の僕にできる事
「ほな、達者でな。少年、弄ばれずにさっくり死ねるとええなぁ」
男がケタケタと笑う。見上げた先にいた――赤い目をしたオールバックの男は、にやにやとした笑顔を見せ、暗闇へと溶け込むように去っていった。
彼らが僕に何もせずに解放したのは、たぶん直接、手を下す必要もないと判断したのだろう。
振り向いた先には、トンネル内を埋め尽くすような邪神がライトに照らされていた。
いくつもの手を狭そうに伸ばした三つ目の邪神、アラハバキは自由になった身体をゆっくりと持ち上げていく。
生理的な嫌悪感を覚えるその動きは、壮大で、あまりにも異質だった。
「あやめさん!ミティ!」
急いで立ち上がり、アラハバキの眼下にいる2人へと僕は急いだ。
あっけにとられ、見上げる2人と邪神との目が会う。目の前にいる存在が圧倒的な力を持つことを彼女たちも肌で感じていた。
「ミティちゃん、逃げて。これは今の私たちでどうにかできる相手じゃない……」
「あやめも一緒に……!」
ミティがあやめさんを立たせようとするが、彼女はまともに立つことができず、ミティのか細い腕の力では支えることもできなかった。
邪神は目の前にいる小さな2人を興味深そうに見つめ、細く長い腕を伸ばした。まるで皮と骨だけのような、その腕はまっすぐミティへと伸びていく。
「触るな!」
ミティが伸びてくる手に向かって怒りを込めて雷撃を放つ。一瞬、火に触れた動物のようにアラハバキは攻撃を受けたその手を引っ込めるが、すぐに別の手で伸ばす。
その腕にもミティが雷撃を撃ちこむ。しかし、今度の稲妻は触れる直前に解体、そう表現するしかない不自然な形で霧消してしまった。
「嘘……消去魔術」
驚きながらもすぐに次の一撃を放つ。しかし、それも同じように解体される。
「そんな……消去魔術なんて高等魔術!そんな素早くできるはずが……!」
自分に言い聞かせるようにして、ミティは何度も何度も雷撃を放つ。しかし、伸びてくる手が止まることはない。
消去魔術が高等魔術であることは僕でも知っていた。
――原理としては簡単だ。相手の魔術を読み取り――解析し――巻き戻すようにして分解して無効化する。
しかし、その工程は難儀を極める。いわば素早く時限爆弾を解体するようなもので、特に彼女が放つ雷撃となればその猶予は無いに等しい。
だが、邪神はまるで息をするように彼女の魔術を解体していく。
捕まれそうになって、ミティはとっさに身を躱すがスカートの端が捕まり、引きずりこまれる。態勢を崩し引きずられながらも彼女は無理やりスカートを引きちぎり、脱出する。
彼女の顔には明らかに恐怖の色がにじみ出ていた。
素肌があらわになり、下着が見えてしまってもそんな事を気にする余裕は彼女にはない。すぐに第二、第三の手が次々と伸びていき、彼女はすんでのところで何度も回避する。
だがあまりの数の多さにとうとう――足をつかまれてしまう。
「ひ……」
宙吊り状態になった彼女は恐怖でその整った顔を歪ませる。脱出しようとして、雷撃をいくら撃ち込んでもすべて直撃する前にかき消されてしまう。
――とうとう彼女は諦めてその手を止めてしまい、だらりと腕が垂れ下がった。
アラハバキはその醜い顔を近づけるともう一つの手で彼女の頭をつかむ。
まるで人形遊びのような動きに邪神がこの後、何をするのかはミティにも理解できた。
「やだぁ」
ミティが今にも掻き消えそうな声をあげる。自らの末路に恐怖して、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「ミティちゃん!」
あやめさんが叫び、助けようとして、転ぶ。必死に届かない手を伸ばす彼女の横を僕は全速力で駆け抜ける。
間に合え……間に合え……!
僕のそれが、届くかどうかは分からない。
だが、両足に精いっぱいの力を込めて跳躍し、腰から抜いた短剣を彼女の頭を引きちぎろうとする手にめいいっぱい突き立てた。
――黒い鮮血が飛び散り、思わず邪神がミティの身体を離した。それに気づいて僕は突き刺さる短剣から手を離し、空中でなんとか彼女に手を伸ばしキャッチする。
ドスンと背中に鈍い鈍痛が走り、一瞬息ができなくなる。
――だが、抱えた彼女を守ることはできたようだ。
「間に合った……」
自分の結果に驚き、思わず声が出た。やればできるじゃないか、俺。
「大丈夫?」
生きていることが信じられないのだろう。驚いた表情の彼女は小さく何度もうなずいた。
すごい戦闘能力があるとはいえ、まだ年端もいかぬ少女であることには変わりないな。肩を震わし、涙をこぼす。年相応の反応を見せる彼女を見て思った。
「とりあえず逃げて。あやめさんは僕が何とかする」
まだ痛みの残る背中をさすりながらミティを立たせる。彼女は少し迷ってから、こくんと素直にうなずき、よろよろと駆けだした。
よし、次はあやめさんだ。
邪神はまだ短剣をゆっくりと抜いている最中で、こちらにはまだ意識が行っていない。今がチャンスだ。すぐに彼女へと駆け寄り肩を貸して立ち上がらせる。
――近くで見て、彼女が思っている以上に重傷なのが分かる。深くえぐられた片足はいうことが聞かずバランスを崩して僕に寄り掛かる。
「蔵人さん……私は置いて逃げてください。こんな状態だと逃げきれません」
そんな自分の状態を鑑みてだろう、力なく彼女が呟いた。
「そんなことできるわけないでしょう!置いていくような真似は絶対しませんよ」
彼女の片足を補うようにして、なんとか歩みを進めていく。
「……やっぱり、蔵人さんで良かった」
何かを確かめるように彼女は僕を見る。
「まだ、所長になって半日ですって。そのセリフはこの場を切り抜けてから聞かせてください」
「……うふふ、そうですね。そうします」
彼女はぎゅっと僕に身体を寄せる。胸のあたりに柔らかいものが押し付けられる感触を楽しみたいが、今はそれどころではない。
頭を殴りつけるようにして煩悩をたたき出し、彼女と共に即席の二人三脚で邪神との距離を離す。
――正直、逃げ切れる見込みがあるかどうかわからないが、できる限りの力を振り絞り先行するミティを追いかける。
だが、どうやらアラハバキから逃げ切ることはかなわぬ夢であるようだ。
邪神が追いすがるスピードは想像よりも早く――ほんの少しだけ出来た距離も瞬く間に詰め寄られていった。
くそっくそっ。
「……蔵人さん。やっぱりダメです。お願い……置いて行ってください」
その瞳には諦めの感情が宿っているのがわかった。彼女はそれでも僕にやさしい笑顔を向ける。確かに、彼女を置いていけば――犠牲にすれば僕が生き残る可能性は大いにある。
僕はそれを無視して彼女を引きずる。そんなことが出来るわけがない。
彼女がこんな目にあったのは、僕の責任だ。忠告されたのに不注意で人質にならなければ、今頃地上に戻っていたかもしれない。そんな大失敗を彼女は笑って許してしまうだろう。
自分でも腹が立つくらい、役に立たない男だ。でも、この状況でも、今の僕にもできることがある。
それは――
死んでも彼女を守る事。
「あやめ!蔵人!」
ミティが振り向き、絶望した顔で僕らの名前を呼ぶ。真後ろまでアラハバキ来ているのは振り向かなくてもわかる。何かがものすごい勢いで迫ってきていることも。
「ミティ、あやめさんを頼む!」
僕はそう叫び、あやめさんを精いっぱい前に進むよう突き飛ばした。こうするしかない。ほんのわずかな時間だが、臆することなく行動に起こせたのは上出来すぎる結果だ。
最後だし脳裏に刻んでおきたくて、僕は驚き、目を見開いた彼女の顔をじっと見つめる。
鮮血が飛び散り――
僕の胸部をアラハバキの細い手が貫いた。




