3章19話『イステの歌』
アオイさんの圧倒的な勝利を目の前に、感動で頭が回らなかった。
「これで邪魔者はいなくなりましたね。さぁ、水晶玉を回収しましょう」
彼女がそう言うと同時に俺達を縛っていた粘液もボロボロと崩れた。アオイさんはそれを確認し、水晶玉の方へ向かう。
彼女はそっと水晶玉に手をかざし、中から幻素を抜き取る。おそらくナイアーラトテップの魔力がこもった幻素だ。禍々しいオーラを放っている。
しばらく彼女が手をかざし続けると、水晶玉はキレイな無色透明になった。正真正銘、空になった証拠だ。
アオイさんはそれを俺に渡してくれた。
どうやら、俺がクトゥグアと交信していたことをタルデから聞いたようだ。
「これであなたはクトゥグアの力を水晶玉に蓄積することが出来ます」
そうすれば、ナイアーラトテップ戦での重要な切り札になり得る。アオイさんはそう言った。
俺もそれは重々承知だ。
クトゥグアはナイアーラトテップの天敵。協力を煽れればかなり心強い。だからこそ、クトゥグアと交信できる唯一の人間である俺に期待が寄せられる。
「クトゥグアの力を…………」
俺がそう呟いたその時。
あの声が聞こえた。
――――――我と契約を結びたければ、ムー大陸の中心に来い。
目覚めるようにハッと目を見開いた。
「どうしたの?グレン」
ゼロが俺の顔を覗き込む。
「クトゥグアの声だ……!」
「……!」
その場の全員の視線が俺に向いていることが分かった。特にアオイさんの黒目は、強く俺を捉えていた。
「クトゥグアの声を……今聞いたのですか?」
「はい。間違いありません」
「それで、クトゥグアは何と?」
「『我と契約を結びたければ、ムー大陸の中心に来い』と言っていました」
アオイさんは顎に手を置いた。
「ムー大陸の中心……ですか」
「何があるんですか?」
「それが……」とアオイさんはムー大陸の地図を懐から取り出し、広げた。
俺達は彼女が見せてくれた地図、ムー大陸の中心をよく確認する。
が、そこには特に遺跡や神殿があるといった表記はなかった。それどころか、ムー大陸の中心は暗い肌色で塗り潰されていた。
「ムー大陸の中心には何があるか…………その問いにお答えしましょう」
アオイさんは肌色を人差し指でさす。
「強いて言うなら、『何もない』です。ここははるか昔から大きな砂漠として有名な場所、ある意味歴史深い場所と言えますね」
少なくともアオイさんがニグラスに来た頃にはそこは既に砂漠だったという。
そんな所にわざわざ俺達を呼ぶのか……?
「でも、クトゥグアが直接語りかけてきたって事は行かなきゃいけませんよね?」
ティリタがそう聞くと、アオイさんは何度も頷いた。
「もちろん。明日にでもここに向かうつもりです。
天敵のナイアーラトテップが迫っているという状況はクトゥグアも把握しているはずです。そんな状況下で一冒険者にイタズラを仕掛けるほどクトゥグアもバカではありません。
何か狙いがあるのでしょう」
狙いか…………。
ここにクトゥグア本人が降臨するとか?
そんな事を模索していたら、ゼロが急に発言した。
「この砂漠、何もないってことは、以前ここに人が住んでいた形跡もないってことですよね?」
「そうなりますね。今のところ、人がいたという証拠は確認されていません」
俺はイマイチ、ゼロが何を気にしているのか分からなかった。
「だとしたら、この砂漠おかしくありませんか?」
「というと?」
ゼロはアオイさんの隣に立ち、地図を指さす。
「この砂漠、周りがキレイに森に囲まれているんです。こんなに木が生えている場所に、乾燥した砂漠なんて出来ますかね?」
砂漠の砂は水を吸い込みにくくできている。そんな状況下で木が根から水を吸えるわけがない。
しかもこの森、アオイさんの話によると何処かから徐々に木が弱々しくなっていくとかもなく、まるで砂漠を切って貼り付けたように境目でピタッと森が消えているそうだ。
「確かに《無名都市》があった場所も森に囲まれた砂漠でしたが、あそこは人口の増加による極端な水不足が原因で砂漠と化しました。ですが……」
ここには人は住んでいない。
なら、水不足にするような原因もない。
ますます、謎は深まるばかりだ。
そう考えていた矢先、アオイさんがブツブツと何かを呟き始めた。
「水不足……砂漠……水晶玉……」
彼女はウロウロと歩き回りながらそう喋り続ける。俺達4人は顔を見合わせてその光景に首を傾げた。
「…………なるほど」
アオイさんは突然足を止めてそう言った。
彼女の表情はとても清々しかった。どうやら彼女は砂漠の謎を解明したようだ。
「何か分かったんですか?」
「えぇ。まぁ、とにもかくにもこの砂漠へ向かってみましょう。明日、転移魔法を使って皆さんをお送りします」
俺達はアオイさんに一礼する。
その日は帰りもアオイさんが送ってくれた。
一度キングスポート内の安全な場所まで移動し、そこで転移魔法を改めて組み直す。
近くにちょうど魔法を使えるくらいの広さの公園があったからそこの地面に魔法陣を掘って中心にアオイさんが立ち、転移魔法を使う。
先の戦闘のように短距離なら魔法陣を使わずとも不自由なく転移が可能だが、距離が長くなると魔法陣を書いた方が効率が上がるらしい。
アオイさんは俺達を寮まで送り届けてくれた。
到着後、ふと気になった事を聞いてみた。
「そういえば、アオイさんの転移魔法ってどこで手に入れたんですか?」
ちょっとプライベートに踏み込んでしまったかな?と思ったが、アオイさんは意外にもすんなり答えてくれた。
「何年前でしょうか…………忘れてしまうほど前のことです。私はこの魔導書を手に入れました」
彼女の持つ魔導書の名は『イステの歌』。強力な光幻素を操ることの出来る魔導書だ。
ニグラスには各属性1冊ずつ、強力な魔導書がある。アオイさんの『イステの歌』やディエスミルさんの『ネクロノミコン』がそれに該当する。
そのうち数冊は消えただとかまだ完成されていないだとか、名前だけは伝わっているが存在が確認されていないだとか。
持っている以前に存在すること自体が凄いらしい。
そして各魔導書には、その属性の幻素を応用した特殊な魔法の使い方が描かれている。
『イステの歌』には、光幻素を応用した瞬間移動魔法。
『ネクロノミコン』には、闇幻素を応用した幻を作る魔法。
これは例え本人が習得していても魔導書を近くに持っていない限り使用できないらしい。
また、仮に使用できたとしても膨大な量のMPを消費するため連発できるとは限らない。
そうだ、アオイさんの転移魔法についても詳しく説明しておこう。
アオイさんはご存知の通り、『イステの歌』を使うことで任意の座標に瞬間移動する事ができる。そしてこれは絶対座標だけでなく相対座標でも可能だ。
だから先の戦闘でアオイさんは正確に敵の背後に回って相手を翻弄することができたのだ。
彼女曰く、使いこなせば便利な魔法との事。つまり使いこなせなければ意味がないのだ。
『イステの歌』がアオイさん以外に渡っていたとしても、彼女のように完璧に転移魔法を使うことはできなかっただろう。
翌日、俺達は《アスタ・ラ・ビスタ》の本部に来ていた。
その転移魔法を使ってムー大陸中心の砂漠へ向かうためだ。
「皆さん、準備はいいですか?」
俺達は頷き、魔法陣の中に入った。




