3章9話『制約』
太陽が完全に沈み、夜が始まった午後7時。
《ビエンベニードス》本拠地内の会議室ではアオイ、アルマドゥラ、ディエスミルの3名が机を囲んで座っていた。
議題はもちろん、昨日の集団発狂事件だ。
「これが実際にばら撒かれたナイアーラトテップの絵だ」
アルマドゥラがそう言って絵を机の上に出すと、アオイとディエスミルはそれを凝視した。
「この絵…………公式の書物に書かれているものとは違いますね」
古い書物には300年前に襲来したナイアーラトテップの絵が載っている。無論、発狂者を出さないためにその書物はマスターズギルドが厳重に管理しているが。
その書物に載っている絵は、以前アオイが《アスタ・ラ・ビスタ》のメンバーに見せたような真っ黒い男の絵。しかしアルマドゥラが提出した絵は見るからに異形と言った、無数の触手と色彩を織り交ぜた姿。
その絵は書物にも載っておらず、文字でその姿の説明が成されているだけだ。
「じゃが、確かにこの絵はナイアーラトテップじゃ。それも、Lv2の姿じゃ」
ディエスミルは幼い容姿にそぐわない発言をした。そしてその発言にアオイとアルマドゥラも頷く。
ナイアーラトテップには2つの姿がある。
1つは、公式の書物にある人型の姿。これはLv1と言われる。
もう1つは、『血塗られた舌』によってばら撒かれた異形の姿。こちらはLv2と呼ばれている。
300年前にナイアーラトテップが襲来した瞬間はLv1の姿だったが、冒険者達が必死の抵抗を見せると、ナイアーラトテップはその姿をLv2へと移行した。
いわゆる第2形態というやつだ。
「『血塗られた舌』の中に公式の書物の内容を知る者がいて、文章から姿を読み取って絵を描いた…………とは想像しにくいな」
「えぇ。この姿、あの日見たナイアーラトテップと瓜二つです。ここまで正確な姿は文章から読み取るだけでは描けません」
「そうなると、やはり300年前の目撃者が『血塗られた舌』に協力しているのかのぅ……?」
「信じたくありませんが、そうなりますね」
アオイは指を組んで顔の前に持ってきた。アルマドゥラも腕を組み、ディエスミルも頬杖をつく。ひとときの沈黙が周囲の空間を重くねじまげた。
「…………そうだ、もう1つ報告すべき事案がある」
アルマドゥラは今度は現像された写真を提出した。そこに写っていたのはピントルの死体。首の断面から緑色の液体が流れ出ている死体だ。
「この緑の粘液、カリアドのものらしい」
「カリアド…………ナイアーラトテップの配下ですね」
アルマドゥラは頷く。続けて写真を指さしながら話し続けた。
「この腹の傷、同じ緑の粘液で埋められているだろう?ここは私が剣で刺した場所だが、1分もしないうちにこうして埋められた…………」
アオイとディエスミルは顔を見合せ、もう一度写真をよく見た。確かに死体の穴には緑のジェルが詰められていた。まるで体の一部のように凹凸なく滑らかに。
「『血塗られた舌』の中でも位の高い人間はカリアドの一部を体に移植しているらしい。この男とその1人のようだった」
「カリアドの一部を……ですか」
アオイは顎に手を当て、考える。
「確かにカリアドのようにこのジェルを自在に操れたとしたら戦闘においても有利に立てるじゃろうな」
「ですが、彼らにとってそんなことはオマケ程度のことなのでしょうね」
「と言うと?」
「カリアドはナイアーラトテップの配下。その一部を自分の体に移植したとなれば、自分もナイアーラトテップの配下になった。そういう思考に至るのでしょうね」
「ジェルはあくまで副産物というわけか」
信仰心というものは不思議なものだ。
今回のように少しの名誉と偉大な能力を同時に与えられても、名誉の方に信仰対象が関わっていれば名誉の方が優先される。
「今後『血塗られた舌』はさらに活発な活動を行うと見られます。ナイアーラトテップ本人の降臨も近い今、しばらくは忙しい日々が続くでしょうね」
「なに、わらわ達が忙しくなる程度でニグラスを守れるならそれが本望じゃ。そうじゃろ?」
ディエスミルは2人にそう問いかける。
アオイは笑顔でディエスミルに頷く。アルマドゥラは腕を組んで目を閉じて頷いた。
「ナイアーラトテップは必ず撃退する。その為に私はこの地位まで上がってきたんだからな」
「お2人の言う通りです。私達がいる限りニグラスの地に混沌が這い寄ることはありません」
3人がお互いの覚悟を再確認した上で、全員少し微笑んだ。
その後は自分のギルドで得た情報やモンスターの観測情報等を交換して解散となった。
アオイとアルマドゥラは馬車を使って各々の本拠地に戻る。と言っても、《ビエンベニードス》の本拠地はキングスポート。《ブエノスディアス》の本拠地があるアーカムからも、《アスタ・ラ・ビスタ》の本拠地があるインスマスからも遠くはない。
ディエスミルは会議室から出て、会議で使った資料を元あった場所に戻すためにギルドマスター室に戻る。そしてギルドマスター室でくつろぐこともせず、廊下の奥にある資料室へ向かった。
ナンバーロックで厳重に保護された扉の先には大量の本棚があった。
ディエスミルはそれらの資料を無視し、資料室のさらに奥へ進む。幻素遮断ガラスに囲まれた1冊の黒紫色の本を手に取り、丁寧にそのページをめくった。
これは以前グレン達が持ち帰った『ネクロノミコン』だった。
この本は亡霊王アルハザードが書いた強力な魔導書。闇幻素を司る最強の1冊だ。
ディエスミルはこの本にナイアーラトテップ討伐の希望を見出していた。自分がこの本の力を解放すればナイアーラトテップにも対抗できるのではないか。
そう考えていた。
だが、ディエスミルは転生者だ。
《ある制約》が彼女の自由と勇気を剥奪している。
ディエスミルは寂しそうに『ネクロノミコン』を見つめながらその表紙を撫でた。
バタンッ!
ディエスミルの背後から扉の開く音が鳴った。
その先にいたのはギルドメンバーの若い女性。と言っても、見た目で言えば完全にディエスミルより年上だ。
「ディ…………ディエスミル様!」
女性は息を荒らげながら資料室の出入り口を塞ぐ。ディエスミルはその様子から何かただならぬ事態が起きたと推測した。
「何事じゃ」
「西第3…………」
ゼェゼェと息を切らせながらも何とかその通達を伝えた。
「西第3武器庫が何者かに襲撃されました!」
「何じゃと!?」
ディエスミルは前のめりになって叫んだ。
「今は警備隊が対応していますが…………それもいつまで持つか分かりません。増援の指示を下さい」
「いや、その必要はない」
ディエスミルは『ネクロノミコン』を羽織っていたマントの中に隠し、出入り口に向かって歩き始めた。
「わらわが直々に手を下す」
「ディエスミル様が…………?でもあなたは――――!」
そう、さっきも言った通りディエスミルには重大な制約がある。決して無視できない、閻魔大王から課せられた罪の代償が。
「心配には及ばぬ。ギルドの武器庫はギルドマスターであるわらわが守る」
ディエスミルは小さい体で格好よくそう言い切り、女性に馬車の手配をさせた。




