3章3話『水の信仰』
「会えて嬉しいよ、グレンくん。『アンティゴ研究会』の一件、ご苦労だった」
俺は挙動不審になりながら数回小さくお辞儀をした。やはりギルドマスターと直接話すとなると緊張が抜けない。
「…………えっと、とりあえずなんで私達がここにいるか教えて貰えますか?」
ゼロが髪を指でくるくる巻きながらアオイさんに尋ねた。アオイさんは数秒首を傾げ、気づいたように「あぁ!」と声を上げた。
「そうでした。皆さんはまだ私の魔法についてご存知でなかったのでしたね」
アオイさんは手の甲を合わせて苦笑いしながらお辞儀した。
「私、とある事情がありまして、《空間転移魔法》を使用できるんです」
アオイさんによると、
ギルドマスター室の奥にある魔導研究室の真ん中で魔導書を開いて光幻素を集中させることで、虚数空間と接続し、任意の座標へ瞬間移動することが出来るらしい。
簡単に言うなら、『行きたい所に自由に行ける』魔法を使えるということだ。
もっとも、膨大な光幻素を使うこの魔法は移動距離が長ければ長いほど発動に時間がかかる。
今日も朝からずっと幻素を充填していてくれたようだ。
「連続で使用するのは難しいですが、使いこなせば便利なものですよ」
と、アオイさんは言うが今この転移魔法を習得しているのはアオイさんだけらしい。
よっぽど習得難易度が高いものなのだろう。
「私の話はここまでにしましょうか」
アオイさんは半ば強引に話を切り上げ、本題に戻した。自分の話に時間を割くべきではないと判断したようだ。
「グレンくん、君は先の戦闘で『声』を聞いたと言ったね?」
「えぇ……その声の主、分かるんですか?」
ダゴンさんは頷いた。
「完全に分かる訳では無いが、心当たりがある」
ダゴンさんは後ろを振り返り、開いた手で背後の滝を指した。
「私達は他のギルドと少し違う。我々は『クトゥルフ教』と呼ばれる宗教の教徒。その中でも高い位に立つ者が《グラシアス》に入団しているのだ」
クトゥルフ教。
大昔の名もなき旅人が開いた宗教で、水を信じる宗教らしい。
クトゥルフというのは、このニグラスの地のどこかに眠る、水を司る旧支配者。大昔にこの世界を支配した者だ。
今は活動を抑えているが、彼が本格的に動き始めたら世界はあっという間に滅ぶだろう。
「私達の中でも更に上位に立つ者はクトゥルフ様の声を聞くことができる。無論、私もだ」
クトゥルフの言葉は今使われている言語ではない。故に現地人達はクトゥルフが呼びかけても理解することができず、ノイズとして認識する。
だが、転生者は違う。
そもそも俺達は全員が日本人な訳では無い。当たり前だ。そして俺も、外国語を完璧に聞き分けるほど優秀な耳は持っていない。
転生者は自分の使っている言語以外を耳にすると、どういうわけか勝手に自国語……俺で言うと日本語に変換されるらしい。
おそらく閻魔大王か、マスターズギルドかの所業だろう。
その仕組みがクトゥルフの言語にも適応されるらしい。だから俺達転生者はクトゥルフ《旧支配者》の呼び声に応じる事ができる。
「クトゥルフ様も含め、旧支配者の声を聞くには素質がいる。どうやら君はその素質を持っているようだ」
一応修行を積めばその素質は手に入るそうだが、素で持っているのは珍しいらしい。
「もし君の聞いた声がクトゥルフ様の声なら、この滝で滝行を行えばクトゥルフ様の声が聞こえるはずだ」
これも原理はわからないが、この滝の水にはクトゥルフと交信する効力があるらしい。
ダゴンさんは俺以外を外に出した。
俺はダゴンさんに言われたように上の服を脱ぎ半裸になる。そこにダゴンさんが水晶のコップで水をかける。滝の水だ。
「さぁ、この滝の下へ」
ダゴンさんに促されるまま、俺は滝の下に入った。飛び抜けて勢いが強い滝ではないが、上からのしかかる水圧はなかなかのものだ。水の冷たさも相まって、まさに修行をしているという気分になる。
「無心になるんだ。君が明確にクトゥルフ様と交信する意志を持ってはいけない」
なるほど……。
俺は無心になろうと試みた。
まずは水の冷たさや重さに集中してみる。じーっとその感覚に神経を寄せると、だんだんとその2つが消えてなくなる。
今度は水の音に集中してみる。さっきと同じようにじーっと耳を澄ませ、体に水が当たる音をよく聞く。
だんだんとその音も遠ざかっていき、俺の周りは完全に無の空間になった。
……が、なかなかクトゥルフの声は聞こえない。
まだ完全に無心になれていないのだろうか?
俺はさらに心を落ち着かせる。
何分経ったかもわからない。
自分だけの空間にいる感覚が長く続き、最終的にダゴンさんに滝から引き出された。
「どうだ?聞こえたか?」
「いえ…………ダメっぽいですね」
俺が申し訳なさそうにそう言ったからか、ダゴンさんも同じく申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「そうか……。となると、君が聞いた声はクトゥルフ様以外の旧支配者の声なのかもしれない」
「例えばどんな旧支配者が?」
「そうだな……イグ様やハスター様、ツァトゥグァ様なんかもいる。誰か1人に絞り込むのは無理だろう」
時間をかけてじっくり探していくしかないって訳か。
これはしばらくパーティに迷惑かけちまうな……。
「私も君に協力する。旧支配者を知る事はクトゥルフ様を知る事。そしてクトゥルフ様を知る事は水を知る事だからね」
実際、地球の7割は海洋で出来ていると言われている。もしニグラスにも同じことが言えるなら、世界の半数以上を占めている水を信じようという宗教が生まれてもおかしくはない。
人間の体だってほとんど水だからな。
「とりあえず今日はもう帰っても大丈夫だ。また声を聞いたら、すぐに教えてくれ」
「わかりました。ありがとうございました」
俺はそう言って退室し、みんなの下へ戻った。
「どうだった?」
「ダメだ。俺が聞いた声の主はクトゥルフではなかったようだな」
「そっか。まぁ気長に探ればいいさ」
別に声の主をすぐに特定しなければいけないわけではないしな。
「では、《アスタ・ラ・ビスタ》の本拠地に帰りましょうか。地上に上がれば魔法を使える小部屋がありますので、まずはそこに向かいましょう」
アオイさんはそう言って、俺達を案内してくれた。
《グラシアス》の本拠地から出ると、すぐ目の前に鉄の壁で囲まれた部屋があった。アオイさんはそこに入り、魔導書を開いた。
「では2〜3時間ほど光幻素の充填を行いますので、その間周りを見張っていてくれませんか?」
今のアオイさんは丸腰。
敵に襲われたらあっという間に殺されてしまう。
俺達は部屋の周りを見張ることになった。
確かに目立ちこそするが、どうやら街の人もこの部屋の存在や必要性を知っているようだ。
俺達を変な目で見る人はいなかった。
……ソイツが現れるまでは。
黒いフード付きのローブを着た男が、ゆっくりと近づいてきた。最初俺はこの部屋を利用したい魔法使いか何かかと思っていた。
「あぁ、すみません今使ってて――――」
次の瞬間、男は俺の首元を掻っ切らんとナイフを突きつけてきた。
俺は脊髄反射のスピードでそれを受け止め、
「どういうつもりだ」
と問うた。
「……悪ぃな。混沌には犠牲が付き物なんだ」
と言って、明確な殺意を持ってナイフを振り回し始めた。
それを見たゼロ、ティリタ、タルデが集まってくる。
「敵だ」
俺はただ一言そう言って手袋をはめた。




