3章2話『支配者からの声』
集まりが終わり、各々会議室を出始めた。
俺達もそれに続いてその場を後にしようとすると、アオイさんがそれを止めた。
「お待ちください。グレンさんには少しお尋ねしたい事があります」
俺に聞きたいこと?
検討もつかなかった。
「グレンさんは、先の戦いの最中に『声』を聞いたとお聞きしました」
「…………えぇ。頭の中に直接語り掛けるように」
「具体的にどんな声だったか、教えて頂けますか?」
どんな声、か…………。
「えっと……確か低い男性の声で、声の周りにノイズがあって、なのにハッキリと聞こえていて…………」
アオイさんは若干閉じた目で俺をじっと見る。何かを期待しているようにも、恐れているようにも見えた。
俺の額から冷や汗が一筋流れる。
「内容は覚えていますか?」
内容…………。
俺は頭の片隅から、その言葉を引っ張り出した。
「…………貴様はいずれ我が器となる……」
1字1句一緒だとは思えない。
だが、俺の脳に声を送った主は確かにそんな感じの事を言った。
俺は先の戦いより前に同じ声を聞いている。全く同じ声質と口調だった。
それを聞いたアオイさんは目を見開き、フー……と深呼吸する。
「グレンさん…………あなたはつくづく不思議な方ですね」
と言うが、俺はアオイさんの言っていることの意味がわからなかった。
「声の主に心当たりが?」
ティリタが横から聞くと、アオイさんは頷いた。彼女は視線を少し下げ、唇の端を噛む。が、すぐに起き上がって俺達に言った。
「その声……おそらく、『旧支配者』の声かと思われます」
旧支配者…………。
名前から漂う異様な感触に蝕まれながら、俺は生唾を飲み込んだ。
「ナイアーラトテップは外なる神。宇宙から飛来する絶対的存在です」
アオイさんは重々しくそう言ったがそんなこと百の承知だ。俺達はそれを知りながらもナイアーラトテップに挑み、この世界を守ろうとしておる。
「旧支配者とは、外なる神と対をなす存在。外なる神が宇宙から侵略する神ならば、旧支配者はニグラスの地下から現れる神と呼べるでしょう」
そんなに凄い存在が、俺に語り掛けて来た?
そこがどうしても引っかかっていた。
「もしその話が本当なら、旧支配者はなぜ俺を選んだのでしょうか?」
頭で思った疑問をそのままアオイさんにぶつけてみた。アオイさんは顎に手を置き、「うーん」と唸って考えた。
「実際今までも旧支配者の器に選ばれた人はいますが、そこに共通点はありません。適当に選んだか、あるいは私達には認識し得ない何かをグレンさんが持っているか…………」
おそらく後者でしょうね。とアオイさんは言った。
その場にいた全員の視線が俺に集中する。俺は痙攣するまぶたで自分の手を見つめる。
無力に開かれた俺の手は、少し力を加えれば簡単にその姿を拳に変える。
認識し得ない何かを持っていると言われても実感は湧かない。そりゃそうだ、認識できないんだから。
俺は魔法使いとしては弱いし、ベルダーもナーダも俺1人では勝てなかった。
今でも、自分が旧支配者に選ばれたのは何かの間違いではないかと思っている。
「その様子だと、自分の力を信じることが出来ていないようですね」
アオイさんは優しく笑い、手帳を取り出した。
誰かに電話をかけるアオイさんを俺達は少し離れた距離から見ていた。
すると、アオイさんは唐突に
「はい、グレンさん」
と俺に通話中の手帳を渡してきた。
困惑しながらもそれを受け取り、おそるおそる耳に当てる。
「君が《アスタ・ラ・ビスタ》のグレン君だね?私はダゴン。《グラシアス》のギルドマスターだ」
《グラシアス》。ちょくちょく名前は聞くがそんなに詳しくは知らない。何でもムー大陸に本拠地を置く戦闘ギルドで、商業ギルド《ビエンベニードス》程のメンバー数を誇ると聞いた。
「君が旧支配者の声を聞いたというのは非常に興味深い情報だ。明日にでも、ムー大陸のアラオザルという街に来てくれ。そこに我々の本拠地がある」
俺は後ろの3人に確認し了承を得たところで、
「わかりました」
アラオザルに行くことを決意した。
次の日の朝持ち物の最終確認を済ませ、3人で寮を出た。エスクードさんには予め話をつけてある。
問題は移動手段だ。
《グラシアス》のギルドマスターは今日本拠地に来いと言っていたが、船でムー大陸まで移動するとなるとかなり時間がかかる。朝早くレムリアを出ても着くのは夜になるだろう。
今回はアオイさんも一緒に行くらしい。アオイさんが移動手段を手配してくれると言っていたが、それでも時間がかかることに違いはない。
いくらなんでも急すぎるんじゃないか、と思いながら俺達はアオイさんの待つ《アスタ・ラ・ビスタ》本部のギルドマスター室へ向かった。
「失礼します」
俺は数回扉をノックした後それを開く。
中にはアオイさん…………ではなくラピセロさんがいた。
「おぉ、来たね」
「ラピセロさん。アオイさんはどちらへ?」
ラピセロは着いてこいと言わんばかりに部屋の奥に向かった。ラピセロさんは白い本棚の端に手をかけ、それを外側に向けてぐっと押した。
ズズズズズ…………!
秘密結社の隠し部屋のように、本棚の後ろから扉が現れた。無機質な鉄の扉の周りには光幻素が漂っている。
ラピセロさんがなんの躊躇いもなくそれを開く。彼の後に続いて俺達も部屋の中に入った。
「ここは……魔導研究室?」
ティリタがそう言ったのに、俺は心の中で同意する。
周囲は扉と同じ人工的な壁や床。窓もなく、唯一白い換気扇が勢いよく回っているのがよく目立った。床からは光幻素が溢れんばかりに輝いている。地面に何かしらの魔法陣を描いているように見えた。
その中心にいたのがアオイさんだ。
魔法陣のど真ん中に立って右手で魔導書を広げ、目をつぶって力を込めている。
魔導書のページが慌ただしくバタバタと捲れ、最後のページまで行くと折り返すようにさらに捲れていく。
「ギルドマスター、例の4名が来ました」
「感謝します」
ラピセロさんは、「では私はこれで」とすぐに部屋から出た。
「皆さん、どうぞ魔法陣の中にお入りください」
俺達はおそるおそる魔法陣の中に足を踏み入れる。幻素が体の中を走る感覚が不思議と気持ちよかった。
それにしても、何をしているのだろう?
最初は戦闘に備えて幻素を溜めているのかと思っていたが、そもそも今回は《グラシアス》の本拠地に向かうだけ。戦闘なんて無い。
それに、何度も言うが《グラシアス》の本拠地はかなり遠い。申し訳ないが、こんなことをしている時間は無いはずだ。
「皆さん、準備はよろしいですか?」
俺達は反射的に「はい」と答える。
魔力の充填が完了したのだろう。
確かアオイさんは移動手段を用意してくれると言っていた。今から移動するとなると、飛行機等の早い乗り物に乗ることになるな…………。
そんなことを考えていた矢先。
「では、行きます」
…………行きます?
俺がその言葉に違和感を感じる前に、目の前の空間は変化していた。
周りを見ると、そこは教会のようだった。
洞窟の中に造られた教会。周囲は青銅色の岩で囲まれていた。
暖かみのある木の椅子や女神を象ったであろう石の像。
そして真ん中には、半透明の青い滝があった。決して大きくはないが小さい訳でもない。地上から流れ出しているようだった。
「これは…………」
周囲をよく観察しても、ここが《アスタ・ラ・ビスタ》の本部でないことは間違いなかった。
「おや、アオイさん。ご無沙汰しております」
「ごきげんよう。例のギルドメンバー、連れて参りました」
そう言ってアオイさんは俺の背中に手を伸ばす。考えるより先に目の前の男性にお辞儀した。
長い白ひげを生やし、ローブを着ている男性。日本人とは異なる彫りの深い顔。髪は少し濡れていて、光を輝かせていた。
「私は《グラシアス》のギルドマスター・ダゴンだ。よろしく頼むよ、グレンくん」
英国紳士のようなこの人こそ、《グラシアス》のギルドマスターのダゴンさんらしい。
俺は差し伸べられた手を優しく握り返した。




