3章1話『残り2ヶ月』
ナーダとの戦いから4日、俺達は《アスタ・ラ・ビスタ》の本部に来ていた。何でも、ギルドマスターが俺達に用があるらしい。
俺達は会議室の前に立ち、その扉をノックした。
「失礼します」
そう言うのと同時に扉を開けると、アオイさんが笑顔で出迎えてくれた。
それ自体におかしな所はないが、いつもとは決定的に違う点がある。
既に会議室の椅子に、俺達以外のメンバーが着席しているのだ。
エスクードさん、ラピセロさん、その他ギルドの中でもトップクラスの実力を持った者達が揃っていた。
このメンバーに俺達が一緒になって座るのは気が引けるが、強さを認められたと勝手に感じて少し嬉しかった。
その後、俺達の後から数人が会議室に入ってきて着席したあたりで、アオイさんが立ち上がった。
「皆さん、本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます」
アオイさんの丁寧な敬語を聞いていると、上下関係がややこしくなって混乱する。
「本日は、皆さんに重大な依頼をお願いするためお集まりいただきました」
そう言うとアオイさんは端から順番に一人ひとりに対して精神分析を行った。彼女は魔法使い系の職業にも関わらず迅速に精神分析を行える珍しい人だ。
一通り精神分析を終えると、アオイさんは自分の椅子の後ろに立ち、息を深く吸った。
「まずお願いがあります。ここで聞いたことは、決して他言しないでください」
俺達は特に不思議に思うことも無く、頷いた。
アオイさんはそれを見て1度深く頷き、深呼吸した。
「では、本題に入ります」
アオイさんのそのセリフと同時に、会議室に重い空気が流れた。
「皆さんは『這い寄る混沌』という二つ名をご存知ですか?」
這い寄る混沌…………?
どこかで聞いたような気がするが、単語としてしかイメージできない。
俺達の反応を見てその知名度の低さを確認したアオイさんはホッと胸をなでおろし、話を続けた。
「300年前、このレムリア大陸に降臨し人々を狂気に陥れ、ニグラスを破滅寸前まで追い詰めた外なる神…………『這い寄る混沌』、またの名を『ナイアーラトテップ』」
ナイアーラトテップ…………。
そのワードを聞いただけで鳥肌が立った。俺の脳が自分自身にストッパーをかけている。考えてはいけないと脳が言っている。
だが、アオイさんはそのストッパーを無慈悲に外した。
彼女は背面にあるホワイトボードに1枚の絵を貼り付けた。それを見た俺は、あまりの恐ろしさに文字通り震え上がった。
その絵はただの真っ黒い男。所々緑色や赤色が使われているだけのごく一般的な絵。
にも関わらず俺のSANは大きく減った。発狂ギリギリまで押し下がったSANを見た俺は、アオイさんの精神分析の意味を痛感した。
「これがナイアーラトテップ。人智を超えた絶対的な存在です」
言われなくても既に分かっていた。
これは俺達がどうこうできるほど弱い相手ではない、と。
「300年前、ナイアーラトテップはレムリア大陸の……ちょうどキングスポートがある辺りに降臨しました。その時は名だたる魔法使い達がナイアーラトテップに一斉攻撃を仕掛け撃退を目指したが、追い返すだけで…………いや、時間を稼いだことでナイアーラトテップの気が変わって生き延びたという感じですね……」
その後300年奴はその影を現さず、ニグラスはここまで発展したという。
「しかし、その安息ももう終わりを迎えます」
アオイさんは不穏なことを言って別の紙をホワイトボードに貼り付けた。それは月の写真だった。大きく綺麗な満月が1枚の写真に収められていた。
「この写真のここにご注目ください」
アオイさんが指し棒で指した場所には、人間の影があった。とても小さく、最大まで拡大してもやっと見えるか見えないかの大きさだった。
「この影を我々が解析した結果、これはナイアーラトテップであるという事が判明しました」
………………!
会議室がザワつく。
俺達は衝撃を隠せずにいた。
「つまり…………そのナイアーラトテップという神がまたニグラスに現れるかも知れないという訳ですか!?」
誰かがそう言ったのに対し、アオイさんはうつむきながらゆっくり首を振った。
「現れるかもしれない…………ではありません。ナイアーラトテップは確実にニグラスに現れます。もう猶予は2ヶ月もありません」
そんな……!
名だたる魔法使いが集結しても時間稼ぎしか出来なかった程の強敵がニグラスに再臨するだと!?
それも、相手は神。ベルダーやナーダといった人工的な、神を真似たものなんて生易しいものでは無い。
本物の邪神が俺達の世界を壊しに来る。
「そんな…………!どうすれば!」
似たようなセリフをほぼ全員が口走る。俺も声に出さずとも同じような事を考えていた。
「それに、脅威となるのはその強さだけではありません」
アオイさんが開示した更なる絶望によって場は静まり返った。
「今ナイアーラトテップの絵を見せた時、皆さんのSANは著しく減少しました。発狂まで至らなかったのは皆さんが歴戦を駆け抜けてきた戦士であるからこそ。ナイアーラトテップを直感的に理解してしまったが故のものです」
もし一般人がナイアーラトテップを見ても理解できないからSANは減らないという魂胆か。
「ナイアーラトテップという名前は現地人の間で禁忌として語り継がれています。彼らがこの絵をナイアーラトテップという名前と結びつけてしまった瞬間、多くの発狂者が出るでしょう」
300年前はとあるギルドが一般人にナイアーラトテップの情報を流してしまい、いざ襲来した時にナイアーラトテップを理解してしまったため、非常に多くの発狂者が出たらしい。
ナイアーラトテップ本人の攻撃より、ナイアーラトテップによる発狂の被害の方が大きいだろう。
アオイさんがここでの会話を他言しないように言ったのはそういうことだったのか。
「皆さんにお願いがあります」
アオイさんはキリッとした表情を作り直した。
「このままナイアーラトテップが襲来すれば、世界は瞬く間に崩壊の道を辿ります。それを防ぐために、皆さんを呼んだのです」
アオイさんは左腕の袖をまくった。
そこには俺達もつけている、金のベースにルビーがはめ込まれた腕輪があった。
反射的に、服の上から自分の腕輪を触る。この腕輪、アオイさんはただのアクセサリーと言っていた。
「この腕輪は、私が選考した、来たるべきナイアーラトテップ戦メンバーの候補だと言うことの証明です」
その場にいた全員は自分の袖をまくり、腕輪を見せた。ナーダ戦の直後にそれを貰ったタルデも含め。
「…………強制する意思はありません。ですが、私は皆さんの力を借りたいです…………」
アオイさんは、いつもの笑顔の優しい彼女からは想像もつかないようなキリッとした表情で宣言した。
「《アスタ・ラ・ビスタ》、《ブエノスディアス》、《ビエンベニードス》の3ギルドはそれぞれナイアーラトテップ戦の為の冒険者を募る事を決めました。私は、皆さんにお願いしたい。街や世界を救った皆さんに。1人の他人の為に全力を尽くした皆さんに。そしてニグラスを愛してくれている皆さんに」
アオイさんのその言葉は依頼ではなかった。
完全に彼女のお願い。報酬も約束されていないし、そもそもあまりに無謀だった。
だが、俺は言った。
「俺は、ナイアーラトテップと戦います」
半分をグレン、もう半分を『紅蓮』が支配していた複雑な心境だったが、両方とも意見は同じだった。
「世界を滅ぼそうと言うのなら、たとえ神であろうと俺の殺害対象ですよ」
「グレン……」
ティリタが期待に満ちた目で俺を見た。
「私も戦います。グレン1人に任せてられません」
「俺だってやってやりますよ!いい腕試しになるからな!」
「……僕も、ニグラスの為に戦います!」
これで、俺のパーティは完成した。
アオイさんが俺達にお辞儀をしようとしたが、それは防がれた。
「僕も戦います!新入りがこんなに勇気を出しているのに、僕が黙って見ている訳にはいかない!」
「……わ、私だって!」
「私も戦いますよ、マスター。現地人だからと言って死を恐れていたら前には進めませんから」
「アタシも戦うよアオイちゃん!久しぶりに大暴れしちゃおっかな!」
続々と増加していく参戦者。
全員が参戦を決意するまでさほど時間はかからなかった。
「皆さん……ありがとうございます!」
涙目になって喜ぶアオイさん。
勢いよくお辞儀した彼女を見て、改めて心の炎が燃えだした。
ナイアーラトテップ。
神だろうが何だろうが、俺が必ずぶっ殺してやる。




