2章40話『彗星』
大急ぎで地上に戻っている間に、トランシーバーが久々に鳴った。多くの冒険者の悲鳴と魔法や銃器等の攻撃の音を追い越して、エスクードさんの声が聞こえた。
「グレンくん!?グレンくん聞こえる!?」
エスクードさんはどうやら俺に繋げるためだけにトランシーバーを使ったらしい。
「エスクードさん!そっちの様子は!?」
「今、1人の女の子が空を飛んで私達を攻撃してきている。既に周辺の建物に蜘蛛の巣が張り巡らされている…………あの子が、ナーダなの?」
「…………えぇ」
信じたくないけどな……。
「そうだ、他のみんなは?」
「全員無事です。今そっちに向かってます」
「了解!とりあえず君達が無事で良かった!」
「できるだけ早く合流します!」
俺はそう言ってトランシーバーを胸ポケットにしまった。俺も、それを聞いていた3人も、階段を上がるスピードが上がった。
しばらくして出口に辿り着いた俺達。
冒険者達の悲鳴が、トランシーバー越しに聞くより鮮明に聞こえた。
外に出るとすぐにエスクードさんが俺達を案内してくれた。彼女が連れてくれたのはナーダがよく見える場所だった。
「あれは…………」
ナーダは曇り空を背景に、その女神のような白い姿を際立たせて下界の俺達に攻撃していた。
360度、ありとあらゆる方向から飛んでくる攻撃をナーダは軽々といなし、すぐに反撃に出た。
ナーダは魔法や弓、銃等の攻撃を次々に向けられている。だが、その攻撃のほとんどは彼女に通らず、逆に火球や糸でこちらが押されていた。
辺りを見回すと、確かにエスクードさんの言う通り建物と建物を繋ぐように網状になった蜘蛛の糸が至る所に張り巡らされていた。
どの方向を見ても視界に入ってしまう。
「さっきマスターズギルド所属の冒険者が来て加勢したけど…………それでも、彼女を倒すことは出来ない」
「このままじゃ、本当に世界はリセットされてしまう……!」
俺は一瞬脳裏にその画像を描いた。
街中が蜘蛛の巣に覆われ、生きている人も死んでいる人も、その糸に捕まっていて、ナーダが1つずつ建物を崩していく。
真っ黒い雲に覆われた空の下で。
「ナーダを止めないと……!」
焦りと覚悟が混じった複雑な感情の中、俺は右手に手袋をはめた。
その時、またあの声が脳に響いた。
――――聞こえるか、我が声が。
「……!」
俺は反射的に目を見開いた。
そのまま頭を軽く抑え、少し振った。
「どうしたの?グレン」
ゼロがそう言って俺の顔を覗き込む。
とは言っても、説明のしようが無い。突然声が頭の中に流れた…………。今の状況を表せる言葉はそれしか無かった。
信じてもらえるかどうかは置いておいて、とりあえずゼロにそう言ってみた。
「…………疲れてんの?」
ま、これが当たり前の返事だよな。
そう思って気合いを入れ直そうとした時、エスクードさんが割り込んだ。
「ねぇ、声ってどんな?」
「えっと…………我が声が聞こえるか……って」
何気なく俺がそう言うと、エスクードさんは目を見開いた。
彼女は俺に対して何かを訴えかける訳でもなく、ただ「そうか……」とだけ言って笑顔を見せた。
だが、彼女はあからさまに動揺していた。俺が聞いた声に心当たりがあるのか?
確か、この声を聞くのはこれで2回目だ。1回なら聞き間違いで流せるが、2回聞いたとなるとそうはいかない。
この声の謎も解き明かさなければいけないだろう。
「とりあえず……グレンくん」
エスクードさんは真剣な目で、なおかつ少し口角を上げながら俺にこう言った。
「君なら、ナーダを倒せるかも知れない」
エスクードさんのそのセリフは、俺への厚い信頼がこもっていた。ただ俺を鼓舞するための言葉ではない。本当に俺ならナーダを止められると考えている。
「でも…………申し訳ないが、俺は魔法使いとしては弱い。他の冒険者達がナーダにダメージを与えられないのなら、俺がどう足掻いても無理だと思います」
エスクードさんは首を振りながら、俺の肩を叩いた。
「幸か不幸か、君は候補に選ばれたんだ。君にはそれだけの力がある。今はまだ弱いかも知れないけど、君はいつか最強の魔法使いになる」
その第1歩だ、とエスクードさんは言ってくれた。
そうだ。俺は『紅蓮』だ。前世で数多の極悪人を殺し回った連続殺人鬼だ。
俺には力がある。人を殺すことで人を救うことができる力が。
俺はナーダを殺すことでナーダを救う。
それが彼女のため、街のため、ニグラスのため……………………。
そして、ペルディダのためだ。
「分かりました」とだけ言って、俺はナーダをじっと見つめ、作戦を考えた。
ナーダはアルコンの翼を利用して空中から俺達を攻撃してくる。攻撃方法は火球と蜘蛛の糸。
火球は熱を体内に溜めさせなければ放たれることはないが、問題は糸の方だ。
見た感じ、糸には粘着性がある。何かしらの方法で近づいてもあの糸に捕らえられ、そのままビルや地面に叩きつけられて死ぬ。
糸を何とかしないことには勝ち目はない。
何か…………いい方法はないのか……!
考えろ……グレン!
…………。
……。
「…………なんだ、簡単な事じゃないか」
思ったことをそのまま口に出してしまった。それくらいスッキリとした回答が出た。
俺は自分の手を見る。真っ赤な手袋『彗星』は俺に答えるように、光を浴びて優しく煌めいていた。
「俺……行ってくる」
俺は振り返らず、そのままもう一度《テララナの城》に入っていった。
チャプターはもう終わりに差し掛かっている。なら、このままエンディングまで突っ走ってやるよ。
俺は階段を上る。見覚えのあるダンジョンの内部に若干の懐かしさを感じながら、駆け上がっていく。
それくらい、心に余裕があった。
俺は屋上に辿り着いた。
この位置からなら、ナーダはそう遠くはない。ギリギリ俺の魔法の射程内だ。
だが、それではナーダは倒せない。さらに高みを目指す必要があった。
「ウィンド!」
俺は俺の足元にウィンドを撃つ。ふわりと浮き上がった俺の体はそのまま空高く上がった。
10m……20m……30m……とエレベーターのように上昇していき、ついに60m程離れていたナーダを越えた。
「ゲームオーバーだ!」
俺はナーダに人差し指を向け、右手に全力で力を注いだ。俺の精神力は限界を超えて高まっている。俺のMPが吸われていく感覚がよく分かる。
右手から、巨大な炎が現れた。今までに経験したことの無い感覚だ。
俺はそのまま落下するように下にいるナーダ目掛けて飛び立った。
下ばかり気にしていたナーダが俺に気づいたのは、俺がすぐそこまで接近してきていた時だった。
「バーニングッッッ!!!!!!」
ドッッガァァァァアアアアアア!!!
耳を突き破る程の爆発音が鳴り響いた。俺は俺自身が魔法の一部となっているかのような全身の熱さを感じた。
俺はそのままナーダを掴み、落下していく。
さながら、紅く燃え盛る『紅蓮の彗星』のように。
体を焼き尽くすような業火の中、ナーダは少しずつ少しずつ灰となって散りゆく。
これで本当にいいのだろうか。今更もう遅いと言うのに、まだ心のどこかで躊躇っている。
ナーダは殺すべきなのか。
今ならナーダを助けられるんじゃないか。
ナーダを殺すことが本当に正義と言えるのか。
そんな自問自答を巡らせていると、ナーダが口を開いた。
「お…………とう……さん………………」
俺はその言葉に、心を一突きされた。
この最期の言葉、ペルディダに聞かせてやりたかった。
彼女は最期にそう言って、俺達は地面に激突した。
幸い何も無い空き地に着地した俺は、右手を開いた。俺の手の中にはさっきまでナーダだった灰が握られていた。
親子揃って、最期は原型を留めなかった。
「グレン!」
真っ先に駆け寄ってきたのはゼロだった。
地面を深く見つめる俺の体を起こして、肩を貸してくれた。
「なぁ…………ゼロ。俺は……本当にナーダを殺すべきだったと思うか?」
ゼロは少し唇を噛み、すぐに俺に微笑んだ。
「じゃあグレンはあのままナーダが世界を滅ぼしたとして、彼女が喜んだと思う?」
「…………それは……」
「私は思わないわ。たとえ愛する父の願いと言えども、父のいない世界でひとりぼっちのまま破壊の限りを尽くす…………私だったら耐えられないわ」
ゼロは俺の頭をピンッと弾き、言った。
「大丈夫。心配しなくても、あなたに殺されることで彼女は救われたわ」
「そう…………か」
何だかスッキリしないが、そう信じることにした。
ふと空を見てみると、雲で埋め尽くされた空の中に、ほんの少しだけ光が差し込んでいた。




