2章39話『物語の中核』
「ナーダを……正気に戻す……」
ゼロはリロードしながらそう言って唇を舐める。
ただ殺すだけなら、ゼロは簡単にできる。だがそうでない時彼女はどんな行動に出るのだろうか。
「ティリタ、お前が精神分析を行ったとして、どれくらいのSANの回復が見込める?」
ティリタは顎に手を当て、ナーダを見る。ナーダは背中に生えた紅い翼を撫でながら、俺達をからかうように薄い目で見ていた。
「普通の多重人格の場合はある程度精神分析を行えば発狂から戻ることは可能だ。…………でも、ナーダの場合1つの人格がずっとナーダを乗っ取っている。本物の人格が現れない程の深刻な発狂だ」
「治すのは無理だ……ってことね」
ティリタは頷いた。
厳密に言えば、時間をかけて精神分析を行えば治らないことはないがその間に鎌で刺し殺されて終わりだ。との事だ。
「…………精神分析以外に、何か発狂を治す方法はないのか?」
ティリタは目を閉じ、じっと考えた。
「SANはその者の精神力の強さを表す数値。それに対して、精神力そのものを表す数値があるだろう?」
俺はそれを一瞬で理解した。
「POW…………」
ティリタは頷き、続ける。
「僕がナーダに向かってマジックアップを使う。そうしてPOWを上昇させれば、SANの方も回復するかも知れない。だが…………」
「ナーダはアルコンの遺伝子を持っている。熱を加えれば火球が飛んでくる。上昇したPOWから繰り出される火球を俺達が耐えきれるかどうか…………」
「じゃあ、攻撃をしなければいいんじゃねぇか?」
「しなかったらしなかったでナーダの方から攻めてくるだろうよ。それに対応しようとお前が剣を振り回せばナーダは鎌で受け止めて摩擦の熱を手に入れる。そうしなくても彼女は運動することで体温を上げて熱を獲得する…………」
「なかなか賭けになるわね」
ゼロは髪をファサッと揺らし、微笑んだ。
「どうせやるしかないんでしょう?」
ゼロはそう言って催涙スプレーを構えた。
「時間稼ぎ程度なら私でも出来る」
彼女はティリタの方を見てそう言った。ティリタはそれに微笑み返し、頷く。
「グレン、タルデ。……任せていいかい?」
全く…………そんなくだらねぇこと、聞かなくても分かるだろ。
「当たり前だ。ナーダを救うにはこれしかねぇ」
「俺だってやってやるさ!女の子1人助けられないようじゃ冒険者なんてやってねー!」
ティリタは「ありがとう」とだけ言った。
俺はナーダを指さし、鋭い目で彼女を睨んだ。だが、その目に宿るのは怒りや憎悪ではない。
彼女を救うと言う意思だ。
彼女の呪いを断ち切る。そういった意味を込めて、この言葉を放った。
「ゲームオーバーだッ!!!」
俺はまず牽制のためにウィンドを放った。
背後から、ティリタがナーダにマジックアップを使う音と声が聞こえた。
「タルデ!お前剣以外になんか武器ないのか!?」
俺にそう言われてポケット型のバッグを漁るタルデ。数秒後、タルデは何かを握った状態でポケットから手を出した。
「…………そうだ、これを使ってみよう!」
タルデは雄叫びを上げてナーダの注意を集めながら彼女に向かって走り出した。
「ほう…………?無意味な特攻に走ったか。本当に人間とは不思議なものだ。勝てない相手だと分かっていながらも挑むとはな」
タルデは後ろを振り返り、叫んだ。
「みんな、目ェ隠せ!」
同時にタルデは何かを投げた。
俺は咄嗟に目を腕で覆う。すると、キィーンッ!と言う音と共に強い光が部屋を満たした。
なるほど、スタングレネードか。
存在自体は知っていた。
現実のスタングレネードとは違い、ニグラスのスタングレネードは高濃度の光幻素を一気に放出して効果を発生させているらしい。
「こんな隠し技があったとはね」
ゼロは少し苦い表情を浮かべながらナーダに突っ込む。そして強い光の衝撃が抜けていないナーダの目に催涙スプレーを吹きかけた。
「アァアアッッッ!!!痛いッッッ!」
「今回のちょっと濃かったかな?まぁ敵に使うわけだし問題ないわね」
ゼロは無慈悲にもそう言って俺の隣に立った。
「グレン、こっからどうするの?」
「ティリタのマジックアップはもう限界まで施されている。後は、彼女が正気に戻るのを待つしか…………」
「正気に戻るのを待つ…………ねぇ」
ゼロはナーダを指さした。
彼女の全身から無幻素が溢れ出ているのが見える。……いや、ナーダのPOWの増加に伴って、彼女が無意識のうちに空気中の無幻素を吸い寄せていると見た方がいいだろうか。
ナーダは自分の手を見て笑みを浮かべている。
鎌は輝き、翼の紅色は鮮やかになり、得意げになっている。
ゼロの催涙スプレーを食らったはずなのに、彼女はもう平然とその場に立っていた。
「不思議と力がみなぎる…………天は、新たなる神である私を歓迎しているようだな」
残念ながら、それは天からの授かりものではない。ティリタの魔法だ。
「あんな状態の彼女が正気に戻るとは思えないわ」
と、ゼロは言った。
確かにそれには同意見だった。ナーダは自分の事をすっかり神だと思い込んでいる。と言うより、自分が神としか思えない、神でないと言うのならば自分は何者か分からない。
そういう風に見えた。
「ナーダ…………段々と記憶が薄れ始めている」
ゼロは目を見開いて俺を見た。
「このまま記憶が消え去ったら、どうなると思う?」
「おそらく、あの人格が完全にナーダを乗っ取るだろう。そしてそれは何としてでも避けなければならない事態だ」
ゼロに聞かれて、改めて自覚した。彼女は俺が止めなければならない。ペルディダにそう頼まれたから。
………………ペルディダ?
「…………なんでこの方法が思いつかなかったんだろう」
不思議でしょうがなかった。普通なら真っ先に思いつくべき方法が今になってようやく頭に浮かんできた。
それを実行すべく、俺はナーダに近づいた。
「……見て分からないか?私は今、この世界の支配者に認められたのだ。私は新たなる神。貴様のような能のない人間が私に歯向かおうなど――――――」
あぁ。無意味だ。
だから俺は、手袋を外した。
「なんの真似だ?」
その声が脳内に何重にも重なって聞こえるが、そんな事を気にしている時間はない。
「俺はお前を救うとペルディダに約束した」
「…………!」
ナーダの表情が変わった。
「確かにペルディダは悪人だ。『EVOカプセル』を開発し、数多の人を殺め、あろうことか君にまでそれを投与した。だが…………」
「…………やめろ……やめろ!」
「あいつの目的は、君を生き返らせる事だった。あいつは君のいない毎日が耐えられなかった。自ら手を染めてでも、君の笑顔を見たかった」
「う…………うぁぁぁああ!」
ナーダは頭を抱え始めた。
「それは……君も一緒だろう?」
さっきまで暴れていたナーダの動きがピタッと止まった。見開いたその目は段々と潤い出す。
「君は父の想いに答えたかった。だから、『EVOカプセル』の投与を許可したんだ。そうだろう?」
「…………ぁ……」
あの人格のナーダはどこにもいなかった。
「そうだ……私は……お父さんのために…………」
ナーダはゆっくりと手を頭から離し、涙を一筋流した。
「…………ナーダの発狂が、治った……!」
ティリタが後ろでそう呟く。
全く、手間取らせやがって。
結局この物語の鍵になっていたのは、ペルディダとナーダの親子愛。たとえ娘が死体になったとしても、たとえ父が極悪人になったとしても。
家族を思う気持ちは変わらない。
その家族愛の物語は予想外の方向に転がった。
「私は……お父さんのために……」
ナーダは真っ直ぐに立って、叫んだ。
「神様になるって決めたんだ!!!」
ドォォォン!!
そう言った瞬間、ナーダを中心に爆発が起きた。彼女の体は白く発光し、その姿はまるで天使、いや……彼女の言う通り神に近いものとなった。
「…………もう完全に『EVOカプセル』が回ったって事か……!」
ギリギリ間に合わなかった。
俺は拳を強く握り、歯を食いしばった。
「行かなきゃ…………」
そう言って天井を眺めたナーダが手を前に突き出し、火球を放つ。ドドドドドドッ!と音を立てて天井が崩れた。
《テララナの城》の屋上すら突き破ったナーダはそのまま空を飛んだ。
「…………追うぞ!」
俺はそう叫び、急いで来た道を戻った。




