2章26話『親切心』
俺達が家屋の扉を開くと、紳士は暖炉の前で本を読んでいた。俺らの存在に気づくと、本をサッとしまい、椅子から立ち上がった。
「おかえりなさい。夕食が出来ていますよ。さぁ、冷めないうちに」
そう言って俺達を部屋に誘導した。
テーブルの上にはいい焼き色をしたステーキが置かれていた。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。タルデは目を輝かせていた。
が、俺達はこの肉を食えない。
俺は紳士に問う。
「紳士、この肉、ダメになっていたりしませんよね?」
「…………もちろん」
「この肉、何の肉ですか?」
「牛の肉ですよ。ステーキですから当たり前のことですが」
やはりな……。
薄々勘づいてはいたが、この肉を見て確信した。
コイツに常識は通用しない。
「こんな深い森の中だ……牛なんてそうそういるもんじゃない。あったとしても貴重なものだ。なのにあなたは見ず知らずの俺達にステーキを振舞う。これはどういうことだ?」
「…………人の親切心を疑うとは、感心しませんね」
「親切心……ねぇ」
俺は一度家を出て、あるものを外から持ってきた。
「ほらよ」
俺が紳士の目の前に投げ捨てたのは、さっき倒したゾンビの死体。白目を向いて舌を突き出し、苦しんでいる表情を見せた。
紳士は驚いてビクッと体を動かした。
だが俺は見逃していない。その驚きまで、一瞬の時間差があったことを。
「これ、さっきそこほっつき歩いてたゾンビだ」
「ゾンビ…………ですか」
紳士は若干表情を崩した。
「さっきこれを外で見つけた俺達は、SANが大幅に減少してしまった。なんせゾンビを見ちまったんだからな」
だが、と俺は続ける。
「お前はどうだ?見た感じ、全くと言っていいほどSANが減っていない。つまり、お前はこのゾンビを見慣れているというわけだ」
さらに畳み掛けるように俺は続ける。
「このゾンビ、俺は最初、幻素が体内で作用して死体を動かしているのではないか。そう思ったんだ。だが、手袋を当てて幻素を吸い取ろうとしても、吸い取れない。元から幻素なんて入ってなかったからだ」
紳士の表情に歪みが生じた。
「じゃあ何が死体を動かしていたのか…………そう考えた時、コイツの死体から出てきたあるものを見つけた」
俺は白い楕円形の生物をつまみ上げた。
「このイモムシ、ティリタわかるか?」
「それは…………カダベル。人型のモンスターに寄生する寄生虫だ!脳を乗っ取り、常に新鮮な死体を求めてモンスターを襲う」
ここまで言って、ティリタは真相を勘づいた。
「人型のモンスターを乗っ取れるんだ。人間そのものを乗っ取れたってなんら不思議ではない」
「カダベルは獲物の口から侵入する。…………もしかしてこのステーキ!」
俺は何も言わず、ティリタをちらっと見た。
「くっ…………!」
紳士は部屋を猛スピードで飛び出し、どこかへ消えた。階段を降りるようなカツカツといった音を聞いた俺は、床を重点的に捜索した。
案の定、隠し階段があった。
以前訪れた宝石店を彷彿とさせる無機質な階段を降りていくとその先の空間に紳士はいた。
階段を降りた先の空間は、地面をくり抜いただけの安易な部屋で、周りの至る所に人間の死体が貼り付けられていた。
「…………これは……………………」
「私の研究室ですよ」
紳士はニヤリと笑って言った。
「ここに迷い込んだ冒険者を1人残らずカダベルに…………生きた死体に変える。そうして私は1年間、この森の中で生きてきました」
カダベルという単語はあのイモムシだけでなく、イモムシに支配されたモンスターや人間のことも指すらしい。
「あの肉、何かの動物の肉かと思っていたが違うようだな。これだけの死体がありながら、失敗作を埋めた跡や捨てた気配がない」
ああいう形で処理していたのだろう。
「そこまで知られたら、生かしておくわけには行きませんね」
紳士は壁に貼り付けられていた死体を3つほど叩き落とした。ダランと倒れた死体が妙に不気味だ。
と同時に、死体は起き上がった。正確にはカダベルに乗っ取られた死体。こうなるためだけに死体になった悲しい人。
彼らは同時に俺達を襲おうとした。
「アァァァアアアア…………」
死体は両腕を伸ばして俺達に近づく。
「……チッ!」
俺は手袋をしっかりとはめ直し、カダベルに向かってバーニングを放った。
カダベル達は一瞬怯むがそれっきりだ。依然俺達を殺そうと迫ってくる。
「ティリタ!火力あげてくれ!」
「もう限界だ!これ以上あげると君の体が持たない!」
…………毎回毎回、火力不足に悩まされる。
俺は奥歯をギリ……と鳴らし、ウィンドでカダベル達を遠ざけた。
「オラァ!」
タルデがカダベルに斬りかかる。このカダベルは肉体の腐敗が進んでいた。いや、このくらいが正常なのかもしれない。
外で見た個体は俺達を始末するために予め用意しておいたカダベル。腐敗が進んでいない個体を用意したのだろう。
タルデがカダベルを真っ二つに斬り殺す。
が、また次のカダベルがタルデを襲う。
「うわぁ!」
タルデは背後から迫ってきたカダベルの攻撃を剣でガードする。その隙にゼロが背後から頭を撃ち抜いた。
「背後には気をつけなさい、さもないとすぐ刈られるわよ」
ゼロはため息をついた。
「こんな風にね」
右脚を軸に回転し、後ろを振り返る。
背後から迫っていたカダベルの腹に1発パンチを加えノックバックし、回し蹴り、そのまま脳に風穴を開けた。
俺も迫ってくるカダベルに接近し、頭を掴んでバーニングを放つ。どうやらカダベルに支配されたモンスターは物理攻撃に弱いが魔法攻撃には強いらしい。
なら、前までの戦い方を用いるまで。
脳に直接魔法を叩き込んで殺す。
この方法で、何とか8匹ほどカダベルを倒した。
だが――――
「ははははは!いいぞ!私のカダベルよ!」
そこに紳士の面影はなかった。
彼の言葉で辺りの死体は一斉に動き出す。
「クソッ…………キリがねぇ!」
一体一体倒していくようじゃ、いつか限界がくる。俺のMPも、ゼロの弾丸も、タルデの剣の切れ味も無限ではない。
何か一発逆転の切り札が必要だ。
何か……この状況をひっくり返せる方法はないのか……?
考えろ、グレン……!
そうだ…………。
ここは地下だ。
もしかしたら壁を壊せばアレが出てくるかもしれない……!
「ゲームオーバーだッ!」
俺は一か八かこの作戦に賭けることにした。
「ダークネス!」
小規模の爆発が壁を破壊する。
その爆音を気にすることなくカダベルは俺達を殺そうとしてくる。
だが、僅かに運がよかったのは俺の方だった。
破壊された壁の向こう側から、水が流れ出してきた。カダベルが最も苦手とする水が。
どうやら、カダベルは寄生した後、身を守るために特殊な粘液を体液の代わりに流すらしく、その粘液が水に触れると高熱を発する。
その熱でカダベルは倒されるというわけだ。
「みっ……水!?」
紳士は大慌てで水を止めようとするが、水の勢いは増すばかりだ。俺達はその隙に地下から脱出した。
「あの場所の真上には井戸があった。俺があそこの壁を破壊したからそこの水が流れ出して地下室を満たす」
俺は少し離れた場所に転がっていた墓石を持ち上げ、地下室の階段を隠す扉の上に立った。
「人の死体をもてあそんだ罰だ。二度と蘇るなよ」
俺は重い墓石を扉の上に置いた。




