2章16話『ランクアップ』
穏やかだった夜の海は、風に乗って踊り狂う。
手に入れたはずの風の力がもう一度俺に牙をむく。
ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「素晴らしい…………力が湧き上がってくる……!」
そう喜ぶシマキの体からは緑色のオーラが溢れ出していた。それぞれがシマキの服や髪をたなびかせる。
彼は今、絶対的な風の力を宿したのだ。
「より高濃度の進化酵素を配合した新型のEVOカプセル。その試作品だ」
奥のメガネの男は少女を引き寄せながらそう言った。
「人類はEVOカプセルによって進化し、この世界の新たなる支配者となる。さすれば、この世界は太古《あるべき姿》へと回帰する。我々が神に等しい存在になる事で、美しい二グラスを取り戻す。それが、我々『アンティゴ研究会』の使命だ」
なるほど……。今まで謎に包まれていた『アンティゴ研究会』の目的がやっとわかった。
奴らはEVOカプセルによって他のモンスターの遺伝子を人間に打ち込んで進化を行い、世界を太古の姿へ戻す…………要するに、世界を滅ぼそうとしている。
「進化することで世界を回帰させるなんて…………そんなこと出来るわけねぇだろ」
ふと思った疑問をぶつけてみる。
男はメガネを指で押し上げて言った。
「神に不可能はない」
返ってきたのは、そんなバカバカしい答えだった。
研究会と名がつく団体の長であるにも関わらず根拠の無い過信を下に行動するなんて、正気の沙汰とは思えない。
「見せてやれシマキ。進化を遂げた人間の強さを」
シマキは余裕のある笑顔を見せ、魔導書に幻素を集中させる。
それを見た俺も危険を感じ、咄嗟に火幻素を右手に凝縮した。
「サイクロン!!!」
俺の魔力が満タンになる直前に、シマキは先に魔法を撃ってきた。さっきのストームとはまるで威力が違う。渦を巻いた風が轟音を立てながら俺に向かってきた。
「フレイム!」
反射的にフレイムを放つ。少しでも威力を下げないと、一撃でHPを削り取られる。
俺は頼りない炎を強い存在感を放つ風にぶつけた。
事は予想外の方向に逸れた。
「なっ…………!」
風に向かって飛んだ炎は、風の威力を弱めるどころか風に跳ね返されて俺を襲いに来た。
脊髄反射レベルの速さで前方に回転回避する。
不発したフレイムは空に向かって消えていった。
「あの風魔法…………俺の技を反射してきやがる!」
後に判明した事だが、さっきシマキが撃ってきた魔法はサイクロン。風の最上級魔法だ。
幻素を多く使う最上級魔法は何かと応用が効くので、魔法の練度や幻素のパターンを操作さえすれば攻撃以外の使い方をすることができる。
今のはどちらかというと、突然使えるようになったサイクロンに使い手が対応しきれず、攻撃として使うはずのサイクロンを防御系の技として放ってしまったパターンだ。
相手がそれに気づいていなければ楽なのだが…… ……。
「今のサイクロン……まさか!」
気づきやがった。
こうなったら、やるべき事は1つ。
1度だけ闇属性の最上級魔法ディスペアーを放った事がある俺には分かる。
魔法の威力が高ければ高いほど、身体への負荷と反動を制御するのが困難になる。
つまり、今サイクロンを習得したばかりのシマキは動きながらサイクロンを撃つことができない。いわば固定砲台だ。
そうと決まれば、作戦を実行に移そう。
俺はシマキに向かってまっすぐ走る。
シマキはそれを見て魔導書に幻素を溜め、俺を迎え撃とうとした。
だが、俺がそんな安直な考えで突っ走るわけが無い。
俺はシマキの目の前で体制を低く構え、地面を右に蹴る。そしてガラ空きになった脇腹にフレイムを放つ。
シマキはサイクロンを薙ぎ払うように撃ってそれを跳ね返す。しかし、そこに俺の姿はない。
俺はどさくさに紛れてシマキの上を通過し、ダークネスを放つ。更に右にずれ、フレイムを撃つ。
ダークネスは着弾してから爆発的に魔法を発動するタイプだ。時間差でフレイムを同時に撃つことでカウンターできないほどの火力を生み出せる。
しかし、それでさえサイクロンのカウンターで跳ね返され、俺を傷つける。
それに、最上級魔法のサイクロンをここまで連発しているのだからそろそろMPが切れてもいい頃だ。
しかし、シマキの顔には余裕が見える。とてもMP不足とは思えない。
まさか、MPまで底上げされているのか?
どれだけの進化を遂げたんだコイツは。
だが、だからといって攻撃をやめる理由にはならない。
俺は自分の体に弱めの風魔法を使い、上空に浮いた。そしてそのまま空からフレイムを放つ。更に畳み掛けるように落ちながらも様々な魔法を撃ち続ける。
俺は下級魔法しか使えないが、その分MPの消費は穏やかだ。消耗戦に持ち込めば確実に俺が勝てる。
しかし、今回の敵はこちらの魔法を跳ね返してくる厄介な相手だ。だからといって警戒して全く攻撃しないとなると、今度はその隙を付かれて俺が殺される。
何か…………突破口はないのか……!
考えろ、グレン……………………!
……………………。
…………………………………………。
これだ。
これしかない。
体への負荷は甚大だし、そもそも成功するかも分からない。
だが、これなら勝てる。いや、これでしか勝てない。ここまで来て命が惜しいなんて言っているようじゃ、殺人鬼なんてやってられない。
俺はシマキを指さして言った。
「ゲームオーバーだ……!」
俺は右手に力を込める。
俺の精神力はかなり上昇している。それに伴ってPOWも大幅に上昇している。
そのPOWから出る魔法を蓄積しているんだ。その威力は俺の新しい記録を作り上げるだろう。
さぁ、準備完了だ!
「フレイム!!!」
俺は溜めに溜めたフレイムを前方に放った。
ボォォン!!と音を立てて飛び出した大きな火の弾はシマキを焼き焦がさんとする。
「所詮は下級魔法、取るに足らん」
シマキは魔導書から溢れる緑色のエネルギーを手に纏い、そのままぐっと突き出した。
サイクロンは先程までと同じようにフレイムを反射させる。
この瞬間、俺の勝利は確定した。
今放ったのは今の俺が出せる最強のフレイム。POWが致命的に低い俺だが、『彗星』の力をフルに利用して魔法を溜めれば人並みの火力は出る。
だが、そんな人並みのフレイムで最上級魔法のサイクロンは打ち破れない。跳ね返され、自分の方が痛い目を見る。
とはいえ、完全に効いていないという訳では無い。俺がフレイムをぶつけると、サイクロンの旋風が一瞬乱れる。あの風の鎧は無敵じゃない。
おそらく、今の2倍近い火力が出ればサイクロンの壁を突破できる。では、どうやって火力を上げるか。
そう考えた末に思いついたのがこの方法だった。
反射されたフレイムは俺の方に向かって飛んでくる。しかし、そのスピードは遅い。避けることは造作もなかった。
だが、ここで避けるのは『負けない』選択肢。
俺が導き出したのは『勝つ』選択肢だ。
俺は左手で腕の部分をしっかりと握りながら、フレイムを掴むように右手を突き出す。
大きく開かれた『彗星』は、業火を止める。
「……ぐっ……!ぐぉぉおおああああ!!!」
俺は右手の炎に集中する。だんだんと俺の体が熱くなる。俺の内側からマグマが湧き出るかのように。
「うぉぉぉぉらあああッッッ!!!」
俺はついに、反射されたフレイムを吸収した。
俺の右手にまとわりつく朱色と藍色の焔を振り払い、もう一度右手に力を込めた。
今なら……撃てる。
火属性の上級魔法…………!
俺は赤色の手をシマキに向けて突き出し、その名前を叫んだ。
「バーニング!!!!」
俺の手から、炎の大砲が発射された。
反動で後ろに倒れた俺が起き上がると、シマキは魔導書を前に突き出してサイクロンを展開していた。
「馬鹿な…………!最上級魔法が、上級魔法如きに負けるわけがない!」
旋風はどんどん強くなっていくが、火炎はそれをものともしない。そりゃそうだ。
俺のバーニングは、フレイムを超える火幻素を俺が乗り越えた先に会得したもの。
薬で無理やりPOWを上げたサイクロンなんかに負けるわけがない。
最後にテラスに残ったのは、焼け焦げた匂いと、黒く粉々に炭化した人間や魔導書。
そして、俺と子連れの男だ。
シマキが我が父と崇めていたその男は、「面白いものを見させてもらった」とだけ言い残し、その場を去ろうとした。
「待ちやがれ!お前は何者なんだ!」
男は少し止まり、メガネを押し上げた。
「ペルディダ…………それが私の名前だ。行くぞ、ナーダ」
ペルディダは娘を連れて船の中に消えた。
追いかければ間に合ったはずなのに、何故か追いかけようという気持ちが起きなかった。
殺そうと思えば殺せたはずなのに、その必要は無いと直感が言った。
いつの間にか、夜空は暗い雲で埋め尽くされていた。




