2章4話『孵化』
階段を守るクモの巣を焼き尽くした俺は、急いで3階へ向かった。香水の効果もいつまで持つかわからないからな。
ボスモンスターは4階にいる。後半戦スタートと言ったところか。
「だんだんとボスに近づいている。だが、それは同時に護衛のアラーナも増えてくるという事だ。警戒を怠らないでね」
ティリタは俺達2人にそう呼びかける。
もちろん百の承知だが、改めて警戒心を呼び起こした。
基本的には1階、2階と似たような間取りだ。
いくつかの部屋と廊下、奥には上に上がる階段。複雑な間取りでなくてよかった。
とはいえ、辺りの汚れや傷は下の階より全然酷い。1階とかは特に、空き家と言っても違和感ないくらい綺麗だったのに対し、3階は完全に廃墟だ。
心霊スポット等を思い浮かべてくれればそれで差し支えない。
それに…………
「ねぇ、この転がってるのってさ」
「理解しようとするな。SAN持ってかれるぞ」
簡潔に説明しよう。
…………いや、回りくどく説明した方がいいだろう。
廊下に倒れていたのは、土色の人型。腹には大きな穴が空いていて、腕や足は糸で縛られている。
腐敗が進んだものもあれば、比較的新しいものもある。
中にはところどころかじられた痕があるものも存在する。
壁は劣化した紅い液体で塗れていて、天井にも点々と色がついている。
床に関しては言うまでもない。
勘のいい人は気づいただろうが、気づかなかった方がいいだろう。
「アラーナはこの廊下の奥にいるはずだ。グレン、MPは?」
「そろそろ回復しておきたい頃だ。MPポーションならある」
「どこかの部屋に入って、安全な状態でポーションを飲もう。緊張感がある中だと回復量が減ってしまう」
そうなのか。知らなかった。
俺達は部屋を見つけ、一度その中に入ることにした。
俺がドアノブに手をかけた時だ。
「待って」
ゼロがそれを止め、ドアに耳を当てる。
「…………いる」
ゼロは俺にアイコンタクトを送る。
それを受け取った俺は扉をめいっぱい強く蹴り、破壊した。
中にいた巨大なクモはキュッとこちらを向き、首を傾げた。
中にいたアラーナの数は3体。
今の俺達には取るに足らない数だ。
「おらぁっ!」
俺は薙ぎ払うようにフレイムを撃ち、アラーナを全て燃やした。
さらに追い打ちをかけるようにダークネスを放ち、黒い爆発と共にアラーナを消し飛ばした。
「よし、もう大丈夫だろ」
バラバラに砕けたアラーナを見て、俺は言った。
「…………ちょっと待って!あれは……」
ティリタが指さした先には、糸でぐるぐる巻きにされた何か。それはピクピクと動きながら、糸越しに自らの形を俺達に主張した。
「人だ!」
俺はナイフを取り出し、糸を裂く。
しつこいようだが、たとえ前世で使った凶器でも『道具』として使う分にはデメリットは発動しない。
「ぷはっ!」
中から現れたのは女性。髪の長い茶髪の女の人だ。お腹がぽっこりと膨らんでいるのを見る限り、どうやら妊婦さんのようだ。
「大丈夫ですか!?」
ティリタが必死に揺さぶると、女性は力なく頷いた。
「SANの減少が激しい……精神分析をしないと!」
ティリタはすぐに簡易的な精神分析を開始した。
幸い、脱水症状や栄養失調も起こしていない。お腹の子もまだ元気のようだ。
「……落ち着きましたか?」
「…………はい。ありがとうございます…………」
まだ頭がボーッとしているようだ。
ティリタは丁寧に1つずつ質問をしていく。
彼女はアーカムに住む現地人。仕事の帰りにこの辺りを通りかかった所でアラーナに誘拐され、気づいたらここにいたらしい。
「どうする?彼女をここに置いておくか?」
「アラーナに襲われるでしょ」
「扉壊しちゃったしね」
やっちまった。
「このまま連れて行ってもいいけど、この先にもアラーナはいるだろうし……」
「だ、大丈夫です。アラーナにはもう慣れましたから…………」
一定期間同じ恐怖を味わい続けるとその恐怖に慣れると聞く。
随分と前からここにいたのか、アラーナを見て恐怖を感じることは無くなったらしい。
それでも減ったSANが戻らないのが厄介な点だ。
「とりあえず私の予備の銃を貸してあげます。使い方、分かりますよね?」
女性は銃を受け取って、オドオドしながら頷いた。
「私達はあなたを精一杯守りますが、万が一守りきれなくなったら自分の身は自分で守ってください」
ゼロはそう言い残し、先を急いだ。
彼女なりの気遣いなのだろう。
3階をゆっくりと探索する俺達だったが、この階のアラーナは妙に弱っていた。
誰も俺達に抵抗しようとせず、ただただ死を受け入れるだけだった。
そのまま流れるように、静かな4階へたどり着くことができた。
「…………ねぇ、おかしくない?」
「何がだ?」
「ボスモンスターがいるって割には、妙に静かじゃない?確か部屋1つを埋め尽くす巨体なんでしょ?」
言われてみれば、確かに物音1つしないな。
巨体が壁や天井にぶつかる音がしてもいいはずなのに。
「あまりの巨体ゆえに動けない、なんて間抜けなオチじゃないといいけど…………」
なんて言ってティリタが笑う。
本当にそんなオチだったら、どれだけ良かったことか。
「この先にボスモンスターがいるはずだ。みんな、準備はできたかい?」
大きな扉の前にたどり着いたティリタは俺達に確認を取るが、確認を取られるまでもない。
準備は万端だった。
「じゃあ…………行くよ!」
ティリタは大きな両開きの扉をぐっと押し、開いた。
鈍い音を立てて開いたその扉の先は、礼拝室のような場所だった。
広い空間の中に三又のロウソクや金色の像、枯れた花なんかが置かれている。
そしてその中心には、今までとは比べ物にならない大きさのアラーナが……………………
いなかった。
「あ、あれ?」
ティリタは汗を垂らしながら首を傾げる。
「部屋間違えたんじゃねぇか?」
「いや、そんなはずは…………」
ティリタは手帳を凝視する。
送られてきた地図を見ているようだ。
「まぁ、ここにボスがいないって言うのは事実だしもうここを離れても…………」
ゼロがそう言いかけた時だった。
「あっ…………ああぁ……」
女性が突然、腹を抑え始めた。
口からはタラタラと血が流れ出し、目も充血しきっている。だんだんと彼女の顔が青白くなっていくのが分かった。
「うっ…………うわあああああ!!!」
女性が絶叫すると同時に、彼女の腹に小さな穴が空いた。その穴は、細長い脚に広げられ、引き裂かれ、内側からそれは現れた。
「………………クソッ!」
俺は拳を握りしめた。
ボスはいないんじゃない。女性の腹に隠れていたんだ。
中から現れた血まみれのアラーナは既に事切れた女性を食い荒らす。
「彼女を離して……!」
ゼロはアラーナの頭めがけて数発発砲するが、アラーナは痛がるどころかこちらを見向きもしない。
気づいてすらいないのだろう。
死体を喰らい尽くしたアラーナの体はみるみる大きくなっていく。
いや、元の大きさに戻っていくと表現した方がいいだろう。
あっという間に部屋を占領したボスモンスター・フェルメノ=アラーナは、俺達を嘲笑するように鳴き声を上げた。




