1章28話『発狂』
ゼロは顔を手で抑えながら、狂気的に爆笑していた。
「クソッ……!」
ゼロに負担をかけ過ぎていた。
ゼロはクールで、いっつも表情が読めなくて、でも信頼できる相棒だった。
ゼロは強い。俺はそう思い込んでいた。
でもそれは違った。
本当は、強くなんかないんだ。
ゼロは、俺達を心配させまいと強く見せていただけだった。彼女の心には、少しずつ少しずつ、恐怖が蓄積していたんだ。
それがたまたま、ここで爆発した。
いつも隣にいたのに気づいてあげられなかった自分が情けない。
俺は拳を強く握った。爪が深く食い込み、手のひらから出血する。
ゼロはその光景をじっと見て、俺にゆらゆらと近づいてきた。
「…………グレン」
ゼロは愛おしそうに俺の名を呼ぶ。
「ゼロ…………?」
ゼロは俺の手を取り、ゆっくりと唇を近づけた。
そして――――――
「!!!」
ゼロは俺の手を、正確には俺の手についている血を舐めた。
「あぁ〜!最ッ高!!」
ゼロは体を震わせながら、幸せそうな表情を浮かべる。
この時俺は改めて確信した。
ゼロは発狂した、と。
「いいねぇ!最高の味だよ!もっと舐めさせて!」
「…………血を舐めたいのか?」
ゼロは素早く何度も頷く。
どうやらゼロの発狂は『血を舐めたくなる』タイプの発狂のようだ。
俺はそう考え、後ろを飛び回るアルコンを指差した。
「アイツはいくらでも血を流すぞ」
嘘だけど。
「ホント!!?」
ゼロは見たことない速さで銃を取り、アルコンに突っ込んでいった。
「わぁ素直」
いつものゼロなら「そんなわけないでしょ」って言って軽くため息つく所だ。
アルコンはゼロに向かって一直線に突進していく。まるで一本の槍のように。
しかし、ゼロはそんなことお構いなしだった。
「ねぇ!もっと血を出してよ!」
ゼロは1発目を撃つ。
「血が欲しいの!あなたの新鮮な血が欲しいの!」
2発目、3発目、4発目…………。
計8発を僅か0.8秒で撃った。
「アハハハハハハハ!!!!!」
そこから先は数えることさえ不可能だった。
超高速で大量の弾丸を撃ち込むゼロ。
その行動はすべて血のためのものだった。
アルコンは数多くの銃撃をその身に受け、体中に穴を作った。
ゼロを通り過ぎて旋回ルートに戻る過程で、ゼロの頬にアルコンの血が垂れた。
ゼロは血を拭き取り、ちゅるっと舐める。
「…………あはぁ!」
ゼロの表情が一気に明るくなった。
「最ッッッ高!!!」
ゼロは弾を詰め直し、もう一度アルコンに向かっていった。
「……発狂してるのに、ゼロに頼らないといけないとはな」
俺は後ろ頭を掻いた。
それを見ていたティリタが俺に近寄ってきた。
「グレン!ゼロを止めないと!」
「…………いや、しばらくしたらあいつも元に戻るだろ。放っておいてもいいんじゃないか?」
「そうじゃない!」
ティリタの表情を見て、只事ではないことを悟った。
「さっきも言った通り、アルコンは熱を蓄える器官がある。そしてあの個体は、その熱を火球へ転換できる、超級モンスターだ」
それは分かってる。
だが、あいつは別に火魔法を使ってるわけでもないし、熱を蓄える場所はないんじゃないか?
と、3秒前の俺は思っていた。
俺は3秒間ゼロの銃撃を見て、あることに気がついた。
「まさか…………弾丸の熱か!?」
「弾丸の熱だけじゃない。弾丸が擦れた時の摩擦や、過度な運動による体温の上昇……それらが今、少しずつ奴の体内に蓄えられている」
いつ火球が飛んでくるかわかんないってことか!
「このままじゃ、ゼロは…………!」
「…………ゼロを正気に戻せれば、まだ可能性はあるよな?」
「正気に戻すって、どうやって?」
1つだけ、俺がちょっと我慢すれば方法はある。
あるけど…………!
本当に申し訳ないが、この方法は出来るだけ避けたい!
「グレン!何か策はある?」
………………あぁもう!
「ティリタ!これ終わったら寿司奢りだからな!」
俺はヤケクソになって、ゼロの元へ走った。
ぶっちゃけ、成功率はかなり低い。
それこそ奇跡でも起こさない限り、ゼロが正気になることはないだろう。
それでも、俺にはこれくらいしか思いつかない。
だから思いつくことをやるしかない。
それに…………元を正せば、あいつが狂ったのは俺のせいだ。俺には、あいつを元に戻す義務がある。
覚悟決めるか。
俺はゼロに接近した。
「あれぇグレン、どうしたのぉ?もしかして血ィ舐めさせてくれるの!?」
あぁ舐めさせてやるよ。しっかりと味付けしてな。だが、
「もう少し待て」
「なんでぇ!!?早く早く!」
「催涙スプレー貸してくれ」
「貸せば血ィ舐めさせてくれるの?」
「もちろんだ」
「じゃあ貸すー!」
発狂してる方が素直ってどういうことだよ。
元がよっぽど捻くれてんだろうな。
俺はゼロから催涙スプレーを受け取り、ティリタの元へ戻った。
「何を借りてきたんだい?」
「あとで説明する。それよりティリタ、これを貸す」
俺が渡したのは、小型のナイフ。
剥ぎ取りに使うようなやつだ。
「俺の体に傷をつけてくれ」
俺が自分でやろうとするとデメリットのせいで体が痺れるからな。
「…………血でおびき寄せる作戦ってのは分かったけど、おびき寄せた後はどうするの?」
ティリタが慎重に俺の体を切りながら聞いた。
「いや……おびき寄せるだけでいい」
俺はある程度傷がついたところで、もう一度ゼロの元へ向かった。
「さて、やるかぁ!」
俺は頬をパチンッと叩き、気合を入れた。
ゼロから借りた催涙スプレーを手に持った俺は、それを全身にかけた。
「ぁぁああああ!!!」
傷口に催涙スプレーが染みてものすごく痛い。
割とシャレにならないくらい痛い。
だが、この作戦は俺が痛ければ痛いほど成功率が高いと言えるだろう。
俺はゼロの前に現れ、両手を広げた。
「ほら、血だ!これが欲しいんだろ!」
ゼロは血塗れの俺を見て、目を輝かせた。
「あはぁー!美味しそうッ!!」
ゼロは一目散に俺の方へ寄ってきた。
「アハハッ!いただきまぁーす!」
ゼロは俺の腕に舌を近づけながら言った。
そして俺の腕にかぶりつき、血を舐め始めた。
さぁ、ここからは本当に一か八かだ。
しかし今回は、運命の女神が俺に微笑んだようだ。ゼロは突然叫んだ。
「辛ーーーーーーい!!!!!」
ゼロはヒィヒィ言いながら涙目になる。
そしてしばらくして、ゼロは状況を全て把握する。
「………………ありがと」
彼女は髪の毛をくるくるといじり始めた。
これが俺の作戦。
ゼロは辛いものが苦手だ。
それを思い出した俺は催涙スプレーを舐めさせることによる一種のショック療法を利用したのだ。
一般的な催涙スプレーの辛さはタバスコの10倍にも登る。ゼロ特性催涙スプレーはアラーナの毒なんかも入ってるからそんなもんじゃ済まない。
とにかく、うまく行ってよかった。
「ゼロ、すまない。お前の感じていた恐怖に気付けなくて」
「…………味噌ラーメンで許してあげる」
ゼロは少し広角を上げ、アルコンに突っ込んでいった。
そこからは本当に早かった。
飛んでくるアルコンのクチバシを素手で掴み、そのまま地面に叩きつけ、ゼロ距離で脳に銃を撃つ。
「いや……超級にしてはあっけなさすぎだろ」
ゼロは髪をファサッと揺らした。
「私の実力は天災級だからね」
憎たらしいけど、こいつの強さは認めざるを得ないな。




