1章22話『第2ウェーブ』
「あ、これ手土産です」
俺はちょっと挙動不審になりながら小さな箱に入った乾燥ホワイトハーブを渡した。
以前クエストで多めに採って置いたものを持ってきたのだ。
「上質なホワイトハーブですね。せっかくなのでこちらを使ってハーブティーを淹れたいと思います」
アオイさんはテキパキと準備をして、ハーブティーを淹れてくれた。
アオイさんのハーブティーは俺やティリタが淹れるものよりずっと美味しかった。
「では、どうぞお掛けください」
俺達はアオイさんに促されて、椅子に座った。
「まず、ここにいる皆さんは全員転生者の方々でよろしいですね?」
俺達は頷く。
「実は、私も転生者なんですよ」
アオイさんがそう言うと、エスクードさんが横から補足した。
「アオイちゃんは最初期の頃にここに送られた転生者らしいよ」
へぇ。寿命という欠点がない以上、こういう上層部には経験豊富な転生者が残りやすいのか?
どんなに優秀な人でも死んでしまったら意味がないからな。
すると、ゼロがあることを聞く。
「前世でも、このような役職に就いていたんですか?」
確かに、ここまで大きなギルドになった以上アオイさんは優秀なギルドマスターだと分かる。
何かしら経験があるのか?
俺が期待していると、予想外な答えが返ってきた。
「…………どうなんでしょうね?」
…………え?
どうなんでしょうって、自分の事じゃないか。
なんでわからないんだ?
アオイさんはおもむろに机に向かい、1枚の紙を差し出した。
少し劣化したその紙は俺達もよく知る手紙。
閻魔大王からの手紙だ。
その裏に書かれていたアオイさんのデメリット。
それを見て俺はアオイさんの発言を理解した。
『転生から168時間後、前世の記憶を全て失う』
そこにはそう書かれていた。
「この通り、私には前世の記憶がないんですよ」
アオイさんはあははと笑うが、実際はとても辛いことだと思う。
楽しかった事、辛かった事、どんなことでも前世の記憶というものは美しいものである。
転生者である俺が言うんだから間違いない。
それを全て失うということは、前世をなかったことにするのと同じ。
前世が全て無駄だったと証明するようなもの。
「何か、168時間の間に前世の記憶を書き記したりとかはしていないんですか?」
「…………確か、2冊の本を書いた記憶があります」
2冊の本?
「1冊は…………すみません、紛失してしまったのだと思います」
「その言い方だと、168時間の間の記憶も薄れているんですか?」
「そうですね……なんせ何十年何百年も前の話ですから」
転生してそんなに経つのか。
「ちなみに、もう1冊は?」
「こちらにあります」
アオイさんは立ち上がり、左の本棚を大きく横にずらす。
そこに現れたのは黒い大きな金庫だった。
パスワード6桁。全部で100万通り。
「この中に、私の前世の全てが書かれた本が収納されています」
アオイさん曰く、彼女は転生時に現世から白紙の本とペンを受け取り、2冊の本を書いた。1冊は前世の出来事を書いた物。もう1冊はアオイさん本人の生い立ちについて書いた物。どちらもアオイさん直筆である。
その生い立ちの方がこの金庫に入っているんだと予想する。
「でもなんで金庫に?」
「おそらく……過去の私は、思い出してほしくなかったのでしょう」
思い出してほしくなかった?
「この金庫のパスワードは、私にもわかりません。もう、忘れてしまいました。きっと……過去の私は、過去の事を忘れて今を生きてほしい、と今の私にメッセージを送ってくれたのだと思います」
そういうことか。
彼女の前世は決して楽なものではなかったのだろう。壮絶かつ苦しい人生だったのではないか。
だから新しい世界に生まれ変わるなら、辛い前世を忘れて生きてほしいと、過去のアオイさんは未来のアオイさんに託したのだろう。
「前世の事を忘れるのは寂しく、切ないものですが、私は過去の物語を書き写すのではなく、未来を紡いでいきたいのです。それは私だけでなく、この世界の皆さんも同じです」
「俺達も……同じ?」
「この世界に生まれた以上、誰かの協力なしに生きていくことは不可能です。ですが、たとえ誰かのフレーズを借りてでも、皆さんには自分自身で物語を書いて欲しい。皆さんの未来を皆さんに描いてもらいたい。だから私はそのお手伝いをするために、《アスタ・ラ・ビスタ》を設立しました」
なるほど。
このギルドは例えるなら辞書のようなもの。
辞書の力を借りて自分の物語を紡ぐ。
それがこの人の願いなのか。
「…………っと、話が逸れてしまいました。本題に入りましょうか」
アオイさんは本棚を元に戻し、もう一度着席した。
「今回は、とある依頼を受けてほしくお招きしました」
ギルドマスターからの依頼。
俺達限定の緊急クエストというわけか。
「《エンセスター》という団体についてご存知ですか?」
やはり、この話題が出るか。
「…………えぇ。何度も対峙しております」
「マスターズギルドも《エンセスター》を重要危険生物…………いわゆるモンスターに分類しています」
確かゼロもそんな感じの事を言ってたな。
「私も《エンセスター》を警戒しています。というのも、マスターズギルドは大きな損害が出る前のモンスターはあくまで生物として分類しているんです。それがわざわざモンスターとしているということは……」
「《エンセスター》は大きな損害を出すほどの集団」
エスクードさんがそう言った。
アオイさんは頷き、話を続ける。
「彼らがなぜ『転生者狩り』を行っているか知っていますか?」
俺達は首を振る。
これは前から気になっていた事だ。
俺の予想だと《エンセスター》の長は俺達と同じ転生者。だからこそ、俺達転生者が死なないことは知っているはず。
なぜ殺しても蘇る転生者を執拗に狙うのか。
その答えをアオイさんは持っていた。
「……学習性無気力をご存知ですか?」
知っている。
かつて、少女を数名誘拐して特製の遠隔操作型電気首輪をつけ、鍵がついていない部屋に監禁したという事件があった。
少女がドアノブに触れると全員の首輪に電流が流れる。それを3週間ほど繰り返す。
3週間後には、少女たちは部屋から逃げる事をしなくなる。
たとえ扉が開いていて、ドアノブに触れなくても出られるようになっていても、少女達はそこから逃げようとしない。
「何をしても無駄だ」と脳に刷り込まれてしまった状態に陥ったのだ。
「《エンセスター》は主に現地人で構成されていますが、ギルドマスターと一部のメンバーは転生者です。これがどういうことかわかりますか?」
俺は少し考え、ある答えにたどり着いた。
「《エンセスター》は転生者が何度でも蘇るのを逆手に取り、転生者を何度も殺し続けた。そうして転生者に学習性無気力を植え付けた所で、救いを与える。そうして《エンセスター》の仲間に組み込んだ………………ということですか?」
アオイさんは頷いた。
「あの特徴的な仮面も、『この仮面の集団に逆らうことはできない』と刷り込むためのもの。結果的に戦闘を行わなくても、仮面を見るだけで《エンセスター》に逆らわなくなる」
そこを……おそらくギルドマスター本人が救済という名の洗脳を行い、勢力を拡大しているということか。
「あなた達は《エンセスター》達に対して勝利を重ねて来たと伺いました。そこで、私はあなたに依頼したいのです」
アオイさんは俺たちに頭を下げた。
「お願いします。私に協力してください」
動揺している俺たちだったが、アオイさんは気にせず続ける。
「このままでは、本当にこの世界は廃れてしまいます。学習性無気力を刷り込まれて《エンセスター》に逆らうことが出来なくなった人間は、既に人間とは呼べません。いわば生きた死体です」
生きた死体か。
確かに、適切な例えだな。
「その死体をもう一度人間に戻すには、悪人から魂を取り戻さなければならない。《エンセスター》の長を撃破し、人々を学習性無気力から解放しなければならない」
そのためにあなた達の力を借りたいのです。と、アオイさんは言った。
はっきり言って、俺たちにそんな力があるとは思えない。強大な組織を1つ滅ぼすほどの力は俺達にはない。
「今の俺達には、《エンセスター》を壊滅させるほどの力がありません。ですが…………」
俺は強い覚悟で体を満たし、言った。
「未来の俺達には、《エンセスター》を破壊する力があります。俺は俺達の未来を信じて、あなたの協力を受けたいと思います」
これが俺の選択だ。
2人に確認は取っていないが、きっと俺と同じ意見だろう。
アオイさんは「ありがとうございます」と一礼した後、
「あなた達の未来が、この世界の未来を切り拓くことを祈っております」
と、俺達に優しい笑顔を見せた。




