4章31話『償えない罪』
「おい…………どういうことだよ」
そうとしか言葉が出なかった。
目の前にいるのは紛れもなくタルデだった。長く共に戦ってきたから間違いない。間違えるわけがない。
だからこそ、現実は理解を超越していた。
「どう?驚いた?」
と、自慢げに胸を張って笑みを浮かべているヴィクティマ。だが、そんな様子は気にしていられなかった。
驚いた驚いてないなんて単純なものじゃない。
常識の範疇を遥かに上回った恐怖と混乱が俺の背筋を逆撫でした。
「ありえねぇ……なんでお前がここに……」
タルデはまるで動かない。ポーズをとっていないマネキンのように棒立ちしてピクリとも動く様子を見せない。それが妙に怖くて仕方がなかった。
「『ナコト写本』の能力は人や死体を操ること…………。でもそれ以外にも死者を蘇らせる魔法もある。死霊術の一種だね。
ま、これは私も最近知ったんだけどさ」
いつもは恐怖すると震えながら心境を口走るティリタも、今回は口を押さえて涙を浮かべるだけだ。
いつもはじっと敵を見つめて髪をいじるゼロも、今回はうつむきながら歯を食いしばっている。
只事じゃない空気が生ぬるく駆け抜けた。
「アハハ!やっぱり予想通りの反応だね。この男を蘇らせれば漣斗はその顔になると思ってたよ!」
悔しいとか、憎らしいとか、そんな感情はもう遥か彼方へ置いてきた。封じ込めていたはずの黒い記憶が俺の心を塗りつぶしていく。
「待って。今の発言が本当なら、アナタはタルデと私達の関係を理解した上で彼を蘇らせたことになる。
一体どこでそれを知ったの?」
ゼロの問いに対して、ヴィクティマは首を傾げて不思議そうに答えた。
「どこで知ったって……あなたが教えてくれたんじゃない」
一瞬時間が止まったように全員の動きが停止した。その中でもゼロ本人は、まるで石化したかのように数秒動かなかった。
「私が……?」
ヴィクティマはうんうんと軽く複数回頷く。
「あなたがどこから私のコントロールを外れたのかは知らないけど、それ以前は私の操り人形だったのよ?
『グレンが抱くトラウマは何?』と聞いてみたら、あなたは彼の名前を挙げたわ」
「………………!」
ゼロは口を押さえて青ざめた。珍しく、そして柄にもなく、ゼロが絶望を味わっている。
「私の……せいで……?」
この状況は自分がまいた種。ゼロの中のプレッシャーと自責が彼女を蝕み、破壊する。
目から光が消え、ひざが少しずつ落ちてくる。
「悩むな!」
俺は怒鳴るように叫んだ。
「ここで躊躇ったら、アイツの思うつぼだ。それに………………」
俺は手袋をはめ、深呼吸して言った。
「これはアイツを救ってやれる唯一の方法なんだ」
このまま生と死の間をさまよいながら誰かの下僕として生きていくなんて、タルデが1番辛いに決まっている。
「…………分かった。もう後には引けないんだね」
「人を殺すのがこんなに辛いのは久しぶりね」
ティリタもゼロも、各々いつも通り臨戦態勢に入った。彼らなりに俺の考えを理解し、俺に続いてくれるようだ。
「行くぜタルデ…………お前をゲームオーバーに叩き落としてやる」
俺は右手を押さえ、手のひらをタルデに向けた。
「バーニング!」
砲撃のような熱い炎の球はタルデに一直線に向かう。が、タルデは腰から剣を抜刀すると同時にその炎を真っ二つに斬り消した。
「…………剣の腕前はまだ健在ってわけか」
タルデの剣術は目を見張るものがある。
精密かつ高速で飛んでくる居合切りは並大抵の反射神経では致命傷を食らう。
「ゼロ、ティリタ」
「分かってるわ」
ゼロはつま先を床にトントンと叩き、そのリズムのまま走り出した。そのまま彼女から少し離れた場所にいるティリタが杖を彼女に向け、言った。
「スピードエボリューション!」
彼がそう言うと、ゼロのスピードがグンッ!と上がった。目にも止まらぬ速さとはまさにこけの事で、俺達には何かしら黒いものがタルデの周りを走り回っているようにしか見えなかった。
ティリタが会得した新しい強化魔法らしい。効果時間こそ短いが、効果は絶大なものだった。
ゼロは超高速でタルデの前に立ち、銃口を向けた。両手に構えた拳銃が反動で震える。その震えが収まる前に次の発砲が行われる。
これを繰り返していると、反動が蓄積されいずれ無視できない痛手になる。
が、ゼロはそれを制御しむしろ利用できる程の腕がある。
が、タルデも負けてはいない。飛び交う銃弾を鋼の剣で防いだり弾いたりして彼女の攻撃を防ぎ切っている。これも常人にはできない行動だ。
「その剣、誰から貰ったの?」
ゼロは攻撃を続けながらそう問う。が、タルデからの返事はない。どうやら死体を無理やり動かしている今のタルデは喋ることができないようだ。
「答えないんだ」
ゼロは不機嫌そうにタルデの頭目掛けて回し蹴りを放つ。防がれてこそいるものの剣への攻撃は行えたため、《舞踏戦士》の能力上昇を受けているのだ。
タルデはその回し蹴りを剣で受ける。刃の方が向いているにも関わらずゼロの足にその刃がくい込むことはなかった。防御力の上昇によるものだ。
ギギギギギ………………。火花が飛び散り、お互いの顔が点滅するように光っていた。お互い1歩も譲らないまま、大きく後ろに仰け反って両者の距離が空いた。
「あの剣はかなりの耐久性がある、簡単に折れるとは思わない方が良さそうだ」
ティリタがそうアドバイスする。どうやらゼロはタルデのデメリット効果がまだ生きていることに賭け、タルデの剣を折ることに専念していたようだ。
ティリタも言っていたが、今のを見てハッキリした。その路線は間違いなく無理だ。
だが、
「だがまだ勝機はある」
ゼロとタルデの交戦中、俺はタルデの背後に回った。その時、俺の目には勝利への道筋が、正確にはタルデの敗北への道筋がハッキリと見えた。
彼の首元に光る黄色の宝石。俺はそれを見て、ポケットに手を突っ込んだ。
「『稲妻の検印』…………」
今なら狙える。
俺はできるだけ足音を立てずに、なおかつ迅速にタルデの下へ駆け寄り、『稲妻の検印』に血まみれになった拳を近づけた。
しかし、そんなことタルデが許さないわけが無い。
彼はクルッと一瞬で振り返り。俺に剣を向けた。灰色に輝く鋼が立ち塞がる城壁のようで、絶対に敵わないという気すらしてきた。
だが、俺だってもう覚悟を決めている。
「アクア!」
水の塊が俺の手にまとわりつき、ゴボゴボと音を立てた。その水は一瞬で氷になり俺の手を硬質化させた。
俺は自らその剣を掴みに行き、タルデの剣の攻撃を封じた。剣を掴んだ瞬間に剣自体も凍らせて俺の手のひらに固定する。
腕にのしかかる重圧とこの先に起きる苦難が俺の判断を鈍らせる。まだ他に方法があるんじゃないか、まだこいつを助ける道は残されているんじゃないか。
ありえないと分かっていても、本能がそう叫ぶ。
でも……。
「………………もう終わりだ」
俺はタルデに身を寄せ、彼のうなじ付近にある『稲妻の検印』に拳を強く叩きつけた。
ガキィィインッ!
砕けるような音と同時に、俺は手をゆっくりと開いた。輝きを失った宝石のど真ん中に突き刺さっていたのは、小さな銀色の破片。
あの日、タルデが俺に託した剣の破片だ。
タルデの体重が一気に俺へのしかかる。彼が力なく事切れたことを確認し、タルデをゆっくり地面に寝かせた。
「タルデ…………お前には本当に謝っても謝り切れない。俺の勝手な都合に巻き込んじまって、2回も死ぬことになった。
あの日最期まで俺に笑顔を見せてくれたお前を、俺は自分の手で殺してしまった。
……この罪は、俺には償いきれねぇ」
タルデの体に傷は1つもない。なのにタルデは死んだ。俺はタルデを殺した。
非現実的な現実が俺の頭を冷静になだめる。
「だからさ…………俺は一生かけてこの罪を背負うことにするよ。
お前が繋いでくれたこの命で…………」
突き刺さった破片を改めて拾い直し、ポケットに入れた。お前を連れて帰ることはできない。だが、お前の未来はいつでも俺のポケットの中にある。
俺はそれを贖罪とも呼ぶし、宿命とも呼ぶ。
「…………さてと」
俺は睨みつけるようにヴィクティマを見た。
「余興はここまでだ、ヴィクティマ。
タルデの命を弄んだこと、俺は許さねぇ。…………いや、タルデの命だけじゃねぇ。今までお前が操ってきた全ての命、そしてお前に殺された俺の両親…………その全てのツケを、今これから返してもらう」
そう断言すると、ヴィクティマはクスクスと笑い出す。その目はどこか蕩けていて、どこか濁っていた。
「ホントにカッコいいね、漣斗。惚れ直したよ。でもさ…………」
ヴィクティマは『ナコト写本』を取り出し、後ろから開いた。そしてそのページをなぞり、呟く。
「私を好きになってくれない漣斗は嫌いだよ」
ギィィイイン!バチバチバチバチッ!!雷が直撃したかの如くヴィクティマに電撃が走る。
いや、電撃が走っているのではない。電撃を《纏っている》のだ。
雷が段々と彼女の服や手袋、大きな羽根をも形成し、その姿はまるで1匹の鳥のようだった。
「これが『ナコト写本』の最後の1ページ。名を『雷鳴の孔雀』」
《最終項》か……。
俺は『セラエノ断章』を開き、最後の1ページをなぞった。発動条件なんて、とうの昔に揃ってる。
《最終項》には《最終項》で迎え撃ってやろうじゃねぇか。
が、一つだけ気になったことがあったからそれだけ言わせてもらうことにした。
「俺は漣斗じゃねぇ」
俺がそう呟くと、炎が体にまとわりつき始めた。




