4章19話『無関係な2人』
薄暗い四畳半程の部屋の中、私だけが白く照らされていた。両手両足を手錠と鎖で壁に固定され、服も脱がされたのか下に着ていたタンクトップとハーフパンツだけになっていた。
この状態になってからどれほど時間が経っただろう。この部屋には時計がないから分からない。あるのは人の死体や実験動物、それと刃物や鈍器だけだ。
目の前に落ちている死体は全身を切り刻まれている。体のあらゆる所から出血し、床を紅く染めている。血が凝固していないのを見る限り、この死体は死んでからそんなに時間が経っていない。
少し前から私はこの死体に釘付けになっている。いや、この死体というよりかはこの死体から溢れる血に、だ。
こんな状態が長く続けば、そりゃSANも減る。
私は瞼を閉じて血に対する飢えを必死に堪えた。
「あら、まだ起きていたのね」
ノックのひとつもせずに部屋に入ってきたのは1人の女。長いまつ毛、口元のホクロ、豊満な胸……いわゆる大人の女性というやつだ。
そして彼女は、自分をヴィクティマと名乗る。アオイさんからヴィクティマは変装術に長けていると聞いている。彼女から聞いていた2パターンのヴィクティマの人物像のどちらにも当てはまらないが、不自然ではなかった。
「どう?その手錠、外れそう?」
などと言って私の頬を撫でてくるが、私は抵抗しない。もう抵抗する気にもなれないのだ。喉も乾いたしお腹も空いた。手に力が入らない。
「それで、愛しのグレン君は迎えに来てくれるの?」
そんなこと、私が知るわけない。
それに迎えに来るも何も、ここがどこか私自身も分からない。連れ去られる途中に手がかりを残すことも出来なかった。強力な催眠魔法をかけられてしまったからだ。
「ま、迎えに来てくれるわけないわよね〜。
ゼロちゃん、だっけ?あなた顔は可愛いけど、こんな体じゃあ男はオトせないわよ?」
そう言ってヴィクティマは私の腹にスタンガンで電撃を与えてきた。最初の方はすごく痛かったのを覚えているが、今では何も感じない。
「男は守りがいのある女を好きになるのよ?こんなバキバキの腹筋じゃ、むしろ守る側じゃない」
私だってなりたくてこの体になった訳じゃないわよ。よっぽど言ってやりたかったけど、もうその一言すら面倒だった。
「そんなんじゃ、グレン君を他の女に取られちゃうわよ?」
…………なんでコイツは私がグレンに好意を抱いていると信じて疑わないんだろう。ただ同じパーティにってだけならティリタだっているのに。
………………なんか、無性に腹が立ってきた。
私は縛られた人差し指で鎖を弾き続ける。タンタンタン、と絶え間なく。
「なにぃ〜?イライラしてるの?やっぱり図星だったんだぁ〜」
………………!
人差し指の力がどんどん増していく。鉄を弾いているはずなのに痛みを感じることも無く、弾くスピードも上がっていった。
「ほら、呼びなよ!『助けて〜!マイダーリン!』って!そしたらグレン君、白馬に乗って助けに来てくれるかもよ――――――」
バギィッ!
壁から鎖を引き抜き、そのままの勢いでヴィクティマの顔を思いっきり殴った。
ヴィクティマは今の一瞬の出来事か理解出来ていない様子だった。私の方を見て目をパチパチさせている。
私は残り3つの鎖も外し、そのまままとわりついた鎖を手刀で破壊した。私が手錠を弾いていたのはイラついていたからではない。手錠へ微弱ながらも攻撃を繰り返す事で《舞踏戦士》の能力上昇の条件を達成するためだ。
この職業を選んでよかった。
「グレンが……白馬に乗って助けに来る?バカ言わないで」
私は真後ろの椅子にかかっていたパーカーを羽織り、その近くにあった銃とレッグホルダーを足に取り付けた。
「そんなん待ってられないわ、自力で帰れるわよ」
私はヴィクティマの頭に1発弾丸を撃ち込んだ。ヴィクティマは聞くに耐えない断末魔を上げて骸となった。
私の事を攫っておいてその私に殺されるなんて、悪役失格ね。
私は部屋の扉をゆっくり開け、廊下に出る。
人の気配は全くなく、蛍光灯がカチカチと切れかけていた。暗い緑色の床と灰色の壁、汚れた窓からは外の様子が見えた。どうやらここは高層ビルの一角らしい。
一応ここから飛び降りるか頭を銃で撃ち抜くかすれば教会で復活できるけど…………死にたくないからやめにした。
とりあえず、水と食料が欲しい。どこか別の部屋を漁って手に入れなくては。ヴィクティマを殺した辺りでは飢餓と乾きを忘れていたが、今になって思い出してかなり堪えている。
私は扉一つ一つに聞き耳を立てて、中に誰かいるかどうか確認してから中に入ることにした。
廊下にあるいくつかの部屋は私がさっきまで入っていた部屋と同じような状態だったが、全て空き部屋だった。
腐った死体が放置されている部屋もあったが、そういう部屋は扉を見ただけで分かる。
そんな中でも私は何とか水と食料に辿り着けた。廊下の1番奥の部屋に大量のパンとボトルに入った水があった。私はパンをちぎって食べ、それを水で流し込む。
たったそれだけで生き返ったような感じがした。
しばらくパンを食べ続けた後、いくつか持ち帰ろうとパーカーの内ポケットにパンと水を入れた。こういう時のために内ポケットを容量無限バッグに改造しておいてよかった。
値は張るけど何かと便利だ。
さて、今度はここから出る方法を探さないと。
そう思っていた矢先、近くの部屋から叫び声が聞こえた。キャーッ!という絵に書いたような叫び声が私の耳に届く。
3つほど隣の部屋からだ、と推測できた。私は銃を取り、急いでその部屋に駆け込んだ。
中には2人の人間がいた。
1人は私とほぼ同い年の少女。茶髪のショートカットで、綺麗な白い肌をしている。身長は私より大幅に小さそうだ。
そしてもう1人は、その少女にスタンガンを近付けている男だった。
この男が誰かは分からない。名乗る前に撃ち殺してしまったから。
男の頭から血が流れたが、それを見ても心が揺さぶられることはなかった。満腹になり、SANも回復したのだろう。
私は銃をレッグホルダーに納め、少女に近づいた。
「きゃあっ!や、やめて!殺さないで!」
「大丈夫、私はあなたを殺すつもりはないわ」
殺した男のポケットから手に入れた鍵で少女についていた手錠を外し、彼女に水とパンを渡した。少女は必死にパンを貪る。よほど空腹だったのだろう。
「ありがとうございます…………!ありがとうございます!」
「礼を言うならここを出てからにして。私もあなたと同じように捕まってたの、仲間が待ってるから早く帰らなきゃいけないのよ」
「分かりました。私も非力ながらお手伝いします」
少女の目はまだ不安に震えている。当たり前だ。今の今まで拷問を受けていたのだから。
でも、なぜヴィクティマはこの少女を捕らえたの?グレンの仲間である私ならともかく、この子を捕らえる意味なんてどこにもないはず。
と考えていると彼女が言った。
「あっ、あの!私、エンガノって言います。あなたのお名前も教えてください」
少女はワクワクした表情で私に名前を聞いてくる。こんな顔されたら断るものも断れない。
「私はゼロ。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします!」
ゼロとエンガノ。
無関係だったはずの2人が手を取り合った瞬間だった。




