4章17話『夜明けの天使』
朝日がアオイの背中に伸びる。目を貫く強い光が彼女の顔に影を作る。その光景は神と呼ぶに相応しい映像だった。
アオイの左手にある『イステの歌』はバババババッ!と高速且つ自動でめくれ続けている。そのページが往復する度に、魔導書を包む光がじわじわと大きくなっていった。
ヴィクティマはその神々しい出で立ちを見て一瞬躊躇ったが、もう一度右手に雷幻素を溜め、アオイに殴りかかった。
バチバチと稲妻を纏いながら黄色に輝く右手は鋭く、素早く、アオイの腹に突き刺さった。耳を破壊するような巨大な爆発音と爆風が辺りの木々をも揺らした。
反動で大きく後ろに弾かれたヴィクティマは左手に喪失感を感じていた。とはいえ全く動かなくなったとか、戦闘に支障が出る事案は発生していない。すぐにアオイの方へ向き直る。
がしかし、アオイは腹を貫かれるどころか、傷のひとつも付いていなかった。依然として目を閉じて光を浴び続けている。
夢でも見ていたかと思うほど、時間が巻き戻ったのかと錯覚するほど。彼女は動いていなかった。
瞬間、記憶の断片がヴィクティマの脳を横切る。その断片に描かれていたのは、アオイに触れようとした自分が何かしらの力で大きく弾き飛ばされ、それと同時に手に溜まっていた幻素が吸い取られた…………いや、消え去った。そんな映像である。
恐らくあれはアオイの魔法の一種。ヴィクティマはそう断定した。アオイは魔法の詠唱を妨害されない為の自衛手段を手に入れたというわけだ。
が、それよりも気になることがあった。
「なんで魔法を…………まだサイレントの時間内のはずだ!」
ヴィクティマは急いで手帳を取り出した。手帳には相手のステータスを見る機能の他にも、対象に付与されている強化・弱体化効果を視認する機能がある。
ヴィクティマはカメラをアオイに向け、それを確認した。が、アオイにかかっていたはずのサイレントはきれいさっぱり無くなっていた。
「どういうことだ…………」
これも、『イステの歌』の効果だ。が、これに関しては後ほど説明しよう。
とにかくアオイに付与されていたサイレントは無効化された。今の彼女は心置き無く魔法を使える。
「一体どうやって…………」
ヴィクティマがそう呟くと同時に、アオイから光の爆発が起きた。音もなく、衝撃波が起きるわけでもなく、それどころかヴィクティマは軽く目くらましを食らっただけで全くダメージを受けていない。
ヴィクティマが真っ白の視界から色彩溢れる世界に戻ってきた時、彼は目を疑った。
もう1つの真っ白が、その空中に羽根を広げていたからだ。
『紅蓮の太陽』や『夕闇の女帝』とはまた違う、白く光を反射している羽根。柔らかい布で出来ているであろうレースを巻かれたドレスは足先だけを残して胸元まで伸びている。首には金色の十字架と白い紐がぶら下がっている。
髪にある緑の髪留めはアオイの白い髪と肌の中で一際目立って見えた。
「まるで……天使にでもなった気分ですね」
アオイは自分の指先をうっとりと眺め、そう言った。その奥にある太陽が霞んで見える程の清楚な美しさと、太陽と入れ替わりで消えていく暗闇すら圧倒する強者の風格を併せ持つ二面性。
そのアオイの姿に名前をつけるなら、これしか無かった。
『純白の天使』。
単純ではあるが、今のアオイに最も見合った一言だ。
「天使……だと?」
ヴィクティマはアオイのこの姿を見てもまだ諦めようとしない。まだ自分には勝算があると考えている。
「えぇ、私は天使です。神なんて大それたものではありませんが、妖精なんて小規模なものでもありません。ただの天使、それ以上でも以下でもありませんよ」
アオイはそう言って唇をなぞる。ヴィクティマはその様子を下から見上げることしか出来なかった。
『イステの歌』は光属性の魔導書。故に『光』が重要になる。
『イステの歌』の所持者は太陽光等の強い光を浴びている限り弱体化魔法を無効化する。サイレントが消えたのも、日の出と同時に大量の光を浴びたからである。
それと、『イステの歌』の《最終項》の発動条件についても解説しよう。
『純白の天使』、その発動条件は『敵と交戦中、ダメージを受けていない状態のまま一定量以上の光を浴びる』、である。
『イステの歌』の光幻素は使用者の脳波を読み取って目の前にいるのが敵かどうか、お互いに交戦する意思はあるかを判断できる。
デメリット効果のようにマスターズギルドが管理している訳ではないが、発動条件は魔導書自信が厳しく管理している。
ちなみにこの一定量の光は並大抵の量ではない。例えば懐中電灯の光を用いてこれを発動させようものなら、恐らく1年はかかるだろう。
光の充電を一瞬で完結させるには太陽光が最も有効だ。
だが、その重い条件は何も嫌がらせで課せられている訳では無い。天使に相応しい力を秘めた者を選別する為に、魔導書を最大限活かせる魔法使いを厳選する為に、条件が課せられている。
そしてその条件を満たせば、魔導書は旧支配者をも退ける対価を払う。
アオイはその白い右腕をスッと挙げた。光は空中に点々と塊を作り出し、水玉模様のように空間に貼り付けられている。
アオイは勢いよく挙げられた右手を下げた。
すると光の塊は矢の形に変わり地面に突き刺さる。その数は4桁に達していた。
無論、それらのうち数本はヴィクティマの四肢を貫き、土に張りつけた。
「ぐぅぅうう!!!」
光の矢は瞬時に消滅し、そこにはヴィクティマと彼の血だけが残った。傷が消えることはなく、少しでも動こうとすると血が噴き出して痛みも伴う。
「ぐぁああっ!」
雄叫びを上げながら雷魔法をアオイに放つ。が、届きこそしたもののまるで打点になっていない。光のガードが全てを無に還してしまう。
今のアオイに傷をつけることはまず不可能だろう。
「そろそろ朝食の時間なので、早めに片付けさせていただきますね」
アオイはもう一度腕を上げ、光の矢を生成する。シュシュシュシュシュ!と生み出される矢の先端は当たり前だが鋭く尖っている。
ヴィクティマは地中からゴブリンを大量に呼び出す。最後の抵抗を見せてきたというわけだ。
「アスタ・ラ・ビスタ」
アオイは腕を勢いよく振り下ろした。豪雨の如く降り注ぐ光の矢はゴブリン達を蜂の巣にした。いつまでも現世に留まろうとする亡き者達は天使が直々に葬送する。
ズガガガガ!と地面に突き刺さる矢には強い殺意がこもっている。それなのに目の前にいる天使はどこまでも美しく、どこまでも綺麗だった。
そんな上品な絶望に胸を押し潰されながら、ヴィクティマは光に包まれた。
「うぁぁああああっ!!!!」
最後にそこに残ったのはリメイクだった者達の亡骸と人間に戻ったアオイ。そして…………
ヴィクティマだった。
「…………クソッ!」
ヴィクティマは雷魔法を全身に宿らせ、光の矢を相殺していたのだ。もちろんそんなことをすればタダじゃ済まない。
「俺は…………転生者だ……。何度でも生き返る…………。次会う時には必ず……!」
ヴィクティマはそう言い残し、バタンと倒れた。
ヴィクティマの体が粒子となって消えるのを待たず、アオイは《アスタ・ラ・ビスタ》の本部に戻った。




