4章15話『夜の街のビックリ箱』
アオイを呼び止めた男は黄色の魔導書を手に握っていた。長い灰色のローブで体を覆うその男は、青い縁の眼鏡をクイッと整えた。
「どちら様でしょうか?」
「我が名はヴィクティマ。しがない魔法使いさ」
ヴィクティマ。アオイはその名前に聞き覚えがある。ディエスミルを襲った者の名前としてディエスミル本人から聞いていた。
だが、彼女は『ヴィクティマという女に襲われた』と言っていた。
目の前の人間は声や姿から男だとすぐに分かる。ディエスミルの証言と食い違ってしまった。
「そんなことより我の問に答えよ。貴様が《アスタ・ラ・ビスタ》のギルドマスターか?」
「えぇ。私が《アスタ・ラ・ビスタ》ギルドマスター・アオイです」
アオイは最強の魔法使いとして名が知れている。ここで嘘をついてもすぐにバレるだろう。
なら大人しく名乗っておいた方が早そうだ。
「なら知っているはずだ。グレンという男のことを」
ヴィクティマと名乗る男はグレンについて聞き出してきた。なるほど、ここに関してはディエスミルの証言と一致する。
「人探しですか?あいにくですが、そのような名前の人は存じ上げません」
「嘘をつけ。貴様が自分のギルドのメンバーを忘れるわけが無い」
アオイは眉をピクッと動かした。
グレンが《アスタ・ラ・ビスタ》に所属しているということが敵にバレていたからだ。
「…………なぜ、彼が《アスタ・ラ・ビスタ》にいることをご存知なのですか?」
「その程度の事も調べられないようじゃ、人探しなんてやってられないだろう」
どこまで調べがついているかは知らないが、このままだとグレンが危険なのは間違いない。アオイでなくても分かることだ。
「それで、グレンは今どこにいる?」
「さぁ、私には分かりません」
「ほぅ、そうか…………」
ヴィクティマは魔導書を開き、そのページを手でなぞった。暗闇の中に黄色の閃光がよく目立つ。
ヴィクティマの手を中心にじわじわと広がっていく光は、彼が手を離して振り払うと辺りに飛び散っていった。
アオイはその様子をぼんやりと眺めていた。
しばらくすると、ヴィクティマの足元の地面がボコッと膨れ上がった。それも1つや2つでは無い。10はゆうに超えていた。
その穴ひとつひとつから緑色の手が伸び、湿った土を掴む。それらはグググ……と腕1本で体を持ち上げ、その姿を現す。
「ギシャアアア………………」
ゴブリンだ。
ゴブリン達は土まみれになりながらフラフラと立ち上がり、牙を向いた。ネバネバした口腔が不気味さを際立たせている。
それが2桁いるとなれば、さすがのアオイも怖気付く。
「こいつらは我が下僕。ゴブリンの死体を再利用してやったのさ。いざと言う時のために、一定数土に埋めておいたのだ」
アオイは暗闇の中でよく目を凝らす。ゴブリンの体には確かに雷型の宝石が埋め込まれていた。あのゴブリンがゾンビである事は間違いないだろう。
「『稲妻の検印』が埋め込まれたなら、それが例え死体であろうと『リメイク』となる。ただの死体、何の役にも立たないゴブリン…………。それが『リメイク』になれば、我に従順な下僕と化す。理にかなっているとは思わないか?」
『稲妻の検印』は、おそらくゾンビの体に埋め込まれている雷型の宝石のこと。
『リメイク』はおそらく『稲妻の検印』によってゾンビ化した者たち、もしくはゾンビにする行為そのもののことだろう。
確かに、人間ならまだしもゴブリンをリメイクした所で文句を言う人間はそう多くないだろう。自分が襲われるとなれば話は別だが。
そういった意味では人間の死体を利用するよりもゴブリンの死体を利用した方がいいと言える。
だが、「理にかなっていると思わないか?」というヴィクティマの問いに、アオイは「NO」と叩きつけた。
「理にかなっている?笑わせないでください。あなたはリメイクを利用してグレンさんに危害を加えようとしているのでしょう?ならまだ死体として街に転がっていてもらった方がよっぽど理にかなっています」
「…………貴様」
ヴィクティマの頭に血管が浮かび上がった。
「我に逆らうとは何事だ!身の程知らずも大概にしろ!」
ヴィクティマはアオイを指さした。
「行け我が下僕!あの女を捕まえろ!」
ヴィクティマが感情を爆発させてそう叫ぶ。ゴブリン達はそれに呼応するように雄叫びを上げ、一斉にアオイに襲いかかった。
彼らの手には斧や鎌が握られている。
「ギシャアアア……!!」
誰もが腰を抜かすであろう絶望的な状況の中、アオイはほぼ無表情で魔導書を開いていた。
そのまま空間を撫でるように手を揺らす。
キンッ…………。
1秒にも満たない短く静かな音。この音だけでリメイクされたゴブリン達は全て元の死体へと戻った。
いや、元の死体に戻ったというよりは、もう一度死んだと言った方が適切だ。そこに転がっているのは死体ではなく緑色の肉なのだから。
「なっ…………何だ今のは」
アオイはふうっ、と一息つきヴィクティマに近付いた。サクッサクッと草を踏む音の中にグチャッグチャッと肉を踏みつける音も混ざっていた。
「貴様それ以上近付くな!リメイクはあれだけじゃない!すぐにでも呼び寄せられるんだぞ!」
アオイはその忠告を無視し、ヴィクティマに近付く。額から汗が流れるヴィクティマだったが………………
その表情が笑みに変わった。
バコォン!
ちょうどアオイの真後ろから飛び出るようにゴブリンが現れた。その手にはさっきのゴブリン達より巨大な鎌があった。
ヴィクティマは最初からこれを狙っていたのだ。
アオイもこれは予想外だった。まさかこれほどまでのスピードでリメイクを地中から呼び出せるとは思わなかった。
その驚きの表情を見たヴィクティマはアオイの首が鎌に刈られる姿を想像した。
が、アオイにとってこれは予想外であっただけ。
予想外の出来事が起きることと死ぬことはイコールで結ばれない。
アオイは瞬時に振り返り、右手を突き出した。
「ホープス」
キンッ……ドォォオン!
今度は派手な爆発音を立てながら強い光が放たれた。その光に飲み込まれるようにゴブリンは消滅した。今回は肉片すら残らなかった。
あたかも最初から何も無かったかのように、そこには虚無だけが留まった。
「面白いビックリ箱ですね」
口ではそう言いながらも、顔は心底つまらなそうだ。彼女はチラッと腕時計を確認する。日の出まであと30分あるかどうかの時間だった。
「…………貴様ァ!」
自分に目もくれず時計を確認しているアオイが気に入らなかった。
だが、辛うじて理性はまだ残っていた。アオイと対面している今自分が何をすべきか、どうすればアオイに勝てるか、それを考える頭はあった。
その先に導かれた答えはこうだ。
ヴィクティマは魔導書を開き、手をそこに置いたまま呟いた。
「サイレント」
瞬間、アオイの体に電撃が走った。
試しに魔法を撃ってみようとするが、案の定幻素は手に集まらなかった。
「最強の魔法使い・アオイ…………確かにその実力は本物だ。だが知ってるか?魔法使いが魔法を封じられたら何も残らない!貴様の死は確定した!」
アオイは手を握ったり開いたりしている。
「我に逆らった罰はしっかり受けてもらうぞ」
地面から手が生えた。




