4章12話『噛み付く翼』
噴水は2人を意に介さず水を流し続けている。日光が僅かに飛び散った水滴に反射してうっすらと虹を作った。
そんな優しい光とは裏腹に、互いに武器を持って睨み合う2人の女。両者は凍ったように動かない。
が、ディエスミルが一足早く解凍した。
ディエスミルは女の頭をよく狙い、引き金にかかった人差し指を引く。重いトリガーを押し込み、銃弾を発砲する。弾丸は女の頭のど真ん中を捉えており、普通の人間ならこの時点で死が決定している。
だがこの女は普通の人間ではないようだ。
女は頭をフッとずらし、銃撃を回避する。そのまま流れるようにライトニングを放った。ライトニングは女の胸の辺りからディエスミルに向かって一直線に、数本細く枝分かれしながら閃光を生み出した。
ディエスミルは体を後ろに反ってその攻撃を回避する。顔の真上を通る魔法攻撃の熱さが皮膚を伝って感じ取れた。
ディエスミルは今度はスコープを覗かず、腰に当てたスナイパーライフルをノールックで女に撃った。この位置なら命中すれば足に当たるはずだ。致命傷にはならずとも移動は困難になるだろう。
女はそれに気づき、小さめの雷魔法で弾丸を相殺した。カラン……と鉛の落ちる衝撃が静かに空気を揺らした。
だが、女はその攻撃に気を取られすぎてしまった。
ディエスミルはすぐに体勢を立て直し改めてスナイパーライフルを構えた。スコープの中の十字架の中心に女の頭がある。当の女は直前までディエスミルの2発目に気づく素振りも見せなかった。
「しまっ――――」
そう呟いた頃には既にディエスミルの弾丸は女の頭のすぐそばまで迫っていた。女は雷幻素を蓄積した魔導書を顔の前に持ってきて、それで弾丸を受け止めた。
本の中心に挟まれて止まった弾丸を摘んで投げ捨てた女は魔導書を開いたまま前に向けた。
キィィイイイン!
瞬間、眩い程の閃光が周囲を埋め尽くした。ディエスミルはスコープを覗いていたが故にその光をもろに喰らってしまい、視界が揺らいだ。
女は雷魔法を使って爆発的な光を生み出し、目くらましを行ったのだ。
そしてそうなれば、次の行動は必然的に決まってくる。
ちょうど閃光が切れる瞬間、ディエスミルの目の前にライトニングが現れた。桁外れの電撃がディエスミルの腹を突き破ろうと鋭く尖っていた。
ディエスミルはさっきと同じように銃身でそれを受け止め、ダメージを最小限に抑えた。
「…………この連撃を防げたのはあなたが初めてですよ」
女の額から汗が垂れる。
が、ディエスミルはそんなこと眼中にも入れず、またスコープを覗いた。
「……ところであなた、《ビエンベニードス》のギルドマスター・ディエスミルさんですよね?」
「わらわのことを知っているのか」
「えぇ。幼い見た目をしながらも切れる頭と銃の腕前を併せ持った実力派の冒険者、と噂になってますよ」
ディエスミルはほとんど聞き逃している状態だった。敵が自分を油断させてその隙を突いて殺しにくる可能性が高かったからだ。
「申し遅れました…………私の名前はヴィクティマ。人探しをしています」
「人探しとな?」
「えぇ。どうしても会いたい人がいるのです。その方もきっとこのニグラスにいると風の噂で聞いたのです」
心底どうでもよかった。敵が誰を探していようが自分には無関係だ。どうせ自分が協力して彼女にその人物を明け渡してもロクな結果にならない。分かりきったことだった。
だが、どうやらディエスミルにも関係のある話だったようだ。次の一言でそれがハッキリする。
「ご存知ありませんか?『グレン』という名前の男魔法使いの事…………」
ディエスミルの眉がピクッと動いた。
この女……ヴィクティマとか言ったな。コイツ、グレンを探しているのか?何のために?
なんにせよ、彼女の答えは決まっていた。
「知らぬ」
彼女は迷う時間すら設けず、即答した。ディエスミルの肌は砂漠のようにサラサラと乾燥している。彼女の皮膚に汗は一滴たりともなかった。
ヴィクティマはディエスミルの堂々たる態度を見て、彼女が嘘を言っているとは思えない。と、判断した。
「そうですか、残念です」
ヴィクティマは右手を天に掲げ、パチンッと鳴らした。しばらくすると、周りにあるありとあらゆる道の影から男女問わず数多の人間が死んだような表情で飛び出してきた。
「これは…………」
ざっと数えただけでも10や20は下らない。
それに、一人ひとりのLvも50〜60が平均。高いと80なんてのもいた。
ディエスミルのLvは5であることから、数字だけを見ても圧倒的な能力差が見て取れる。
「さっきの閃光……ただの目くらましじゃないんですよ。私のお手伝いをしてくれるお人形さん達に集まってもらうための魔法なんです」
ヴィクティマの後ろに人間がズラッと並んだ。軍隊のように横一列になっている人間達は皆虚ろな目をしてディエスミルを睨んでいる。
「やはり民間人に手出ししていたか」
ディエスミルは銃を下ろし、呆れたように笑った。
「手出しなんて物騒なものじゃありませんよ。本当にただ、私のお手伝いをしてもらうだけです」
ヴィクティマはビッと人差し指をディエスミルの方に向けた。それ以外は何もしていない。ましてや声を出して指示を出すようなことなど完璧にやっていない。
にも関わらず、ヴィクティマの後ろの人間達はディエスミルに襲いかかった。
最初に仕向けられた5人の人間はナイフや包丁、バット等の武器を振り回してディエスミルに襲いかかった。
「…………!!」
ディエスミルはスナイパーライフルをしまってハンドガンを取り出し、目の前の敵の頭に弾丸を撃ち込む。
が、人間達は倒れる様子がない。それどころか痛みすら感じているのか怪しいくらいだ。
「…………まるでゾンビみたいな奴らじゃの」
ディエスミルはこの時点ではまだカダベルによる不死能力だと予想していた。それが否定されるのは数日後の話だ。
ディエスミルは攻撃を繰り返しながらも、標的とは別の敵に攻撃を受け、全身傷だらけ打撲だらけになってしまった。
血は溢れ、傷口は開き、骨も数本折れているだろう。40あったHPも今では2まで削られてしまっている。瀕死と言って差し支えない状態だった。
ディエスミルは経験したことのない早さで王冠に手を突っ込み、閃光弾を投げた。ヴィクティマの魔法と違い正真正銘目くらましのためだけの武器だが、案外有効だったようだ。
ヴィクティマを含むゾンビ達はディエスミルを見失った。
「…………一体どこへ……?」
ヴィクティマが辺りを360度見渡しても、ディエスミルの姿はどこにもなかった。体が小さいから隠れるのは容易だとしても、あの一瞬で自分達の目の前から姿を消すとは…………。
そんなことを思っていた矢先、こう聞こえた。
「どこを見ておる」
その方向は上だった。
ヴィクティマが咄嗟に上を向くと、ビルの屋上に腰掛けて膝を立てているディエスミルの姿がそこにはあった。
「この一瞬でどうやって――――」
言い終わる前に気づいた。
彼女の背中に黒い翼が生えている事に。
堕天使、悪魔、邪竜…………黒色の翼を持つ者は相当数いる。
が、ディエスミルの翼はどれでもない。強いて言うなら堕天使に近いような柔らかい羽だが、先端は邪竜のように尖っていて、大きさはさながら悪魔の翼だ。
ディエスミルの翼は、『ディエスミルの翼』としか言いようがない。
「無駄な時間を過ごしてしまったようじゃ」
ヴィクティマが首を傾げる。
「わらわにはPOWもMPもない……じゃが、そんなことわらわには関係なかったのじゃ」
なぜなら、POWとMPを要するのは『紅蓮の太陽』の詠唱時のみ。『ネクロノミコン』の《最終項》とは詠唱条件が異なっている。
その条件とは、現在HPが最大HPの5%以下になること。ディエスミルだけが持つ、唯一の詠唱条件だ。
「わらわの代わりなど誰にも務まるものか。継承者なんぞ要らぬ。わらわの歴史はわらわが語り継いでいくのじゃ」
ディエスミルの持つ『ネクロノミコン』は黒紫色に光っていた。その光は着々とディエスミルの体内に吸い込まれていく。
『夕闇の女帝』。それが『ネクロノミコン』に記される最後の魔法だ。




