4章1話『試験クエスト』
ナイアーラトテップとの戦いから2ヶ月が経とうとしていた。マスターズギルドの尽力もあって、ナイアーラトテップの襲来は市民にバレることなく通り過ぎて行った。
かと言って犠牲者が出ていない訳では無い。《ブエノスディアス》の現地人十数名と《ビエンベニードス》の現地人が数名。
そして《アスタ・ラ・ビスタ》からも1人、帰らぬ人となった。
街は平穏を保ったまま静かに前へ進んでいる。だがその影には自ら未来を繋ぐ橋となった者の存在がある。にも関わらずそれを知っている者は少ない。
あの日俺達の帰りを迎えてくれたギルドメンバーにこう聞かれた。
「タルデはどこへ行ったのか」、と。
俺はまだその問いに答えていない。
その現実と向き合うのが怖かったから。
俺達はその悲しみをごまかすようにクエストに明け暮れた。いつしかLvも3桁に差し掛かろうとしていたし、俺達の技術力も上がってきていると実感していた。
もう最弱の魔法使いなんて呼ばれない。
俺は弱い自分に決別した。
そう信じていた。
ある朝、俺達はラピセロさんに呼ばれて《アスタ・ラ・ビスタ》の本部に向かうこととなった。いつもと違いオフィスに直接向かうのではなく小さめの白い部屋に案内された。
「資料を持ってくるから座って待っていてくれ」
ラピセロさんは急いでどこかへ消えた。
俺達は椅子に腰掛けて彼を待った。妙な緊張感を3人で共有している。一体何が話されるんだろう?
しばらくして戻ってきたラピセロさんは3枚の紙の入ったクリアファイルと1冊の大きな冊子を抱えてきた。
「待たせたね」と言って紙を1枚1枚俺達の目の前に配ると彼も対面側の椅子に座った。
俺達はおもむろにその紙を手に取って眺める。
それはどうやらマスターズギルドからの手紙のようだった。
そこに書いてあった内容を要約するとこうだ。
『貴殿の今日の活躍を受け、貴殿に上級職就職の試験クエストの受注を許可する』
そう、俺達がついに上級職へと上がれるようになったのだ。
「これって…………」
「むしろ遅かったくらいだ。ベルダーの撃退、『アンティゴ研究会』の一件、それについこの間のナイアーラトテップ戦…………。これらの功績は上級職への就職を許可するには十分だ。
なんなら、最上級職だって就職できてもおかしくないはずなんだがな」
マスターズギルドはナイアーラトテップ戦の後処理に追われて最近忙しかったと聞く。それがやっと落ち着いてきたんだろう。
「それで、試験クエストっていうのは?」
俺がそう聞くとラピセロさんは大きな冊子をパラパラと捲り、その1ページを俺達に見せた。
そこに描かれていたのは朱色をしたトカゲのようなモンスター。鱗は湿り気を帯びて光っている。手のひらも大きく、しっぽも長かった。
「今回討伐対象となっているのはこのモンスター。ニュートだ」
ニュート。
前述の通りトカゲ型のモンスターだ。
群れを形成するモンスターで、主に石や木の枝の投擲によって攻撃してくる。
しかし特筆すべきは皮膚から分泌される毒液だ。ラピセロさんが見せてくれた本にはこう書いてあった。
『毒液に触れると6時間の間猛烈な痒み、8時間の間腫れや炎症、それを乗り越えるとその部位が溶解する』
「溶解…………」
息を呑んだ。
俺達はふと自分の手を見つめてしまう。そして同時にその手が溶解していく様を想像してしまった。自分のSANが若干ながら減少していくのが分かった。
「ニュートの毒は非常に危険だ。ニュートの毒で溶解した部位は教会で復活しても後遺症が残るという報告も多い」
幸い、毒を投擲物に塗って投げるようなことはしてこないらしい。それをされたらたまったもんじゃないがな。
「場所はアトランティス大陸南東の森だ。ニュートの群れがその周辺の木々を荒らしているとの報告が出た」
ニュートの毒は植物にも影響するらしい。
木の実を取ろうとしたり、木の上の虫を食べようとした際に皮膚が木に触れて溶解してしまうとの事だ。
そんなのが群れになっているのだから厄介なのだ。
「それで、こちらからマスターズギルドに申請すれば《魔術師》と《舞踏戦士》と《司祭》…………つまり、君達全員の試験クエストを1つにまとめることが出来る。その場合3人で同じクエストに挑んで貰うことになるが、どうする?」
「もちろん、お願いします」
ラピセロさんはうむと頷いて内ポケットから取り出したメモ帳にそれをメモした。
ボールペンのカチッという音が部屋に反響すると、ラピセロさんは「よし」と立ち上がる。
「それじゃ、後で皆の電子職業手帳にクエストの概要を送っておく。今日はこれで終わりだ」
そう言ってラピセロさんが退室するのを追うように俺達も立ち上がり、礼をして部屋を出た。
去り際、ラピセロさんの腕の中のクリアファイルにもう1枚紙が入っているのを見た。
それも上級職就職クエストの許可通知。だが、そこに書いてあった名前はできるだけ見たくなかった。
ダメだな、まだ引きずってる。
「よいしょっと」
ゼロが軽快なステップで船から降りる。
「久しぶりだな、アトランティス」
俺達は早くも翌日、試験クエストを受けにアトランティス大陸に上陸していた。
レムリアにもムーにもない天然の大自然が俺達を歓迎しているように揺れた。
「今は午前9時。夜までには帰りたいところだね」
ティリタは手帳の時計を見てそう呟く。
ゼロは既に弾丸を込め始めていた。かく言う俺も手袋をギュッとはめる。
ニュートの群れはここからそう遠くない所に居座っているらしい。歩いても10分かからない程の場所だ。舗装されていない道を歩くことにはなるが、そこまで苦にならないだろう。
道中、ティリタが言った。
「ニュートは土属性のモンスター。有効な属性は風だ。近づいたら毒液に触れてしまうっていうのもあるし、今回は風属性でノックバックも見込めるストームに頼ることになりそうだね」
ストームか。
得意な属性ではないが撃てない訳では無い。俺が『プリズム』で良かった。
「ま、どちらにせよ全員頭撃って殺せばいいんでしょ?」
ゼロが楽しそうに銃をぐるぐると回す。
「極論を言えばそうだけど、敵は大群だ。気を抜かないように」
「そうだぞ、いくらお前とはいえ毒液に触れたらシャレになんねぇからな」
俺達がそういう風に注意喚起すると、彼女はふふっと笑った。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私が負けるわけないでしょ」
と、いつものように左髪をサラァッと揺らす。
こいつの自信はどっから湧いて出るんだ。
しばらく森を進んでいると、またもティリタが言った。
「2人とも、この木を見てくれ」
ティリタが指さした木は、皮がボロボロになって薄い茶色に変色していて、ただれたような焦げ茶色の物体が地面に向かって垂れていた。
「この木…………溶解しているのか」
ティリタが頷いた。
「てことは、この辺りにいるってことね」
「恐らく」
俺は改めて手袋をギュッと押し込み、木々の影から周囲を見渡した。
が、それは案外簡単に見つかった。
赤い鱗は日光を浴びて輝き、長いしっぽは独立した生物かのようにうねっている。
鋭い目とスレンダーな体型は美しさすら感じさせるが、口から出る細い舌がそれをかき消した。
「あれが……ニュート…………」




