3章39話『手折られた火種』
目の前の風景が一瞬で変化した。
と言っても、大きく変わった訳では無い。転移前から大差ない曇り空がまず目に入り、次に足に絡む粘液に気を取られる。
「到着しました」
アオイさんそう言うと魔導書を閉じた。
既に南東部隊は到着している。ディエスミルさんがこちらに手を振っていた。
アオイさんは空を眺めて立ち尽くしているアルマドゥラさんの隣に並ぶ。
「アオイか……」
「アルマドゥラさん……ナイアーラトテップはどこへ?」
そう聞くと、彼は静かに空を指さした。
彼が指した先の雲は一部分が黒くなっていて、雷が鳴り響いていた。一瞬だけ光る一筋の稲妻が俺達に不穏な空気を伝える。
「あれって…………」
タルデが黒い雲の中心に何かを見つけたようだ。俺もタルデに詳しい場所を聞き、やっとそれの姿を捉えることができた。
黒色のローブに身を包み、深くフードを被る男。その表情はここからだと全く見えない。
彼はローブの端を風で揺らしながらこちらにゆっくり近づいてくる。その様子をじっと見ていて気がついた。コイツは、俺達の体長の何倍もある巨体だ。
と、同時にもうひとつ気づいたことがある。
「あれが……ナイアーラトテップの真の姿…………」
これこそがナイアーラトテップの最終形態。
「我をここまで追い詰めた事は褒めてやろう。だが、この姿はこの星の終焉を語っている。もはや貴様らに勝ち目はない」
俺達は過去のデータから、Lv2が最終形態だとばかり思っていた。だが、それは違った。
「ナイアーラトテップLv3…………私もまだ見た事のない姿です」
アオイさんは冷静にそう答えた。だが彼女の声の震え方から、相当な焦りと恐怖があることを悟った。彼女の持つ『イステの歌』は小刻みに震えている。
「エルスケルクのチャージはまだ終わっていません」
カスコさんがエルスケルクの裏側をいじりながらそう言ったのを聞いたティリタが顎に手を当ててこう言う。
「チャージが終わる頃には僕達は消し炭となっているでしょうね…………」
ティリタのその一言で場の空気が重くなった。
が、それをアオイさんが覆した。
「なら、消し炭になる前に消し炭にしてやればいいのです」
彼女はそう言って魔導書を手に取り、開いたページに手を置いた。彼女の周りに淡い光が集まり、光の粒がアオイさんの白い手に吸い込まれた。
「マルヴァ・ブランカ」
アオイさんが放った渾身の光魔法はギリギリナイアーラトテップに命中し、ヤツの体にダメージを与えた。
「Lv3だろうと何だろうとやることは同じです。平和を脅かす邪神には退場願います」
そう言って彼女は次の魔法の準備を開始した。
ナイアーラトテップは依然俺達に接近してきている。が、今ここには今回動員された全ての冒険者が集結している。
そう簡単に負ける訳には行かない。
「いくぞ、みんな!」
俺は後ろを振り返らず3人に声をかけ、即座に魔導書を取り出した。
「愚かな人間だ。なぜそうまでして死に急ぐ?」
「テメェに喋る義理はねぇ。とっとと帰れ」
俺は右手に全神経を集中させ、バーニングを放った。さらにその後畳み掛けるようにバーニングを連発し、それら全てを『セラエノ断章』で操作した。
ナイアーラトテップを倒す、その決意に燃えている俺のPOWは今まで体験したことの無い数値まで跳ね上がっている。
その数値は130。いくらLv51とはいえ、この数字は並大抵の精神力じゃ出ない。今この場限りなら、俺は最弱の魔法使いとは呼ばれないだろう。
しかし、
「その程度か?」
ナイアーラトテップは粘液を飛ばし、盾のように展開した。俺のバーニングは盾に衝突して音もなく消滅した。粘液の盾はその形を全く変えず、まるでバーニングを無かったことにしたかのようにすら感じた。
俺が怯んでいると、アオイさんが俺の前に出た。
彼女の手に握られている『イステの歌』は既に最高出力を出している。
「マルヴァ・ブランカ!」
アオイさんはもう一度魔法を放った。今度は彼女の詠唱に力が入っていることが分かった。実際、アオイさんが放った魔法は先程より強力だった。
にも関わらず、ナイアーラトテップはそれすら粘液の盾で防いだ。それも一瞬で。
「嘘…………アオイさんですらヤツには通用しないの…………?」
ゼロが口元を手で隠しながら目を見開いた。
「最終形態となった我に人間が使う魔法など通用しない」
ナイアーラトテップは右腕を横に突き出し、しばらく静止する。俺達は警戒しつつも見てることしか出来なかった。
次の瞬間、ナイアーラトテップは腕を前に伸ばした。するとヤツの手のひらに緑色の閃光が生み出された。光は渦をまくようにどんどん大きくなっていく。
ナイアーラトテップは腕を少し引いた後、もう一度腕を突き出す。発射された閃光はアオイさんを捉え、彼女を殺めんとする。
アオイさんは光魔法を撃ってそれを相殺しようとする。
が、緑色の閃光はアオイさんの体をズズズ…………と押し続けている。
最終的に勝ったのはナイアーラトテップだった。
押し負けたアオイさんはヤツの魔法をモロに食らい、後ろへ強く吹き飛ばされた。転移魔法を使用して後方の岩へ衝突することは避けられたが、彼女のHPは大幅に削られた。
「テメェ…………やりやがったな!」
俺は怒りを顕にしてナイアーラトテップに向かって怒鳴る。
その見えない表情は俺の方へ向いた。
「貴様は確かクトゥグアの契約者だったな…………。なら」
ナイアーラトテップはもう一度あの閃光を生み出した。
「貴様にはここで死んでもらおう」
ドンッ!
放たれた閃光がみるみる俺に近づいてくる。アオイさんのように魔法で相殺することも考えたがそれはもう間に合わない。ただただ目の前の光に絶望するしかなかった。
その時。
「うぉぉぉおおおらぁ!!!」
タルデが滑り込むように俺の前に立った。
彼の剣と緑色の閃光が衝突し、爆発音が鳴る。が、魔法はタルデの剣の前で停止している。彼が俺を庇ってくれたのだ。
「タルデ!!」
俺が叫んでもタルデは反応を示さない。彼の視線は剣に集中していた。
「まだだ…………。まだ耐えられる……!!」
タルデの筋肉が異様なまでに膨張する。血管が浮き上がり、顔も赤く染まり、目も充血している。
だが、それも長くは続かなかった。
ピキィンッ!!
タルデの剣が折れた。
それと同時に魔法も綺麗に相殺されたが、タルデは後ろに倒れた。俺は咄嗟に彼を受け止め、顔を覗き込む。
「タルデ……大丈夫か!!?」
「グレン…………」
タルデは俺の名を呼びながら一通の手紙を懐から取り出した。それは俺にも見覚えのある封筒だった。
「閻魔大王からの手紙…………」
そういえば、俺はタルデのデメリットを知らない。背中を伝う不安を押し退け、俺は封筒の中身を取り出した。
そこに書かれていた内容はこうだ。
『剣が折れた時、120秒後に死亡する。その場合、復活できない』
言葉を失った。
確認するように改めてタルデの剣を見るが、彼の剣は真っ二つに折れてしまっている。それは彼の死を意味していた。
この死は、俺や他の冒険者のものとは違う。
そんな軽い死じゃない。
「グレン…………俺、ちょっとは役に立てたか?」
「バカヤロウ…………!お前、自分が何したか分かってんのか!?」
自然と涙が溢れた。
目の前で大切な人が、それも自分のせいで死んでいく。二度と味わいたくなかった気分だ。
「俺はさ…………お前になりたかったんだ。お前みたいに、クールで、頭が切れて、それでいて熱い心を持っている男になりたかったんだ…………」
タルデの体が末端から灰に変わっていく。
「でもやっぱり……お前にはなれなかった。俺は俺であって、それ以上何も出来なくて…………」
「おい…………死ぬなよ!死んだら許さねぇぞ!!」
「グレン……俺に出来ることは全部やったよ。あとは…………お前に託す」
タルデは俺の手に1つ、剣の欠片を手渡した。
「お前なら出来るさ…………俺に出来なかったことが」
「タルデ…………!タルデ!」
タルデはほとんどタルデじゃなくなっていた。
彼の灰は曇り空と同じ色をしていた。
「じゃあな……グレン。お前に会えて楽しかったよ――――――」
そう言ってタルデは死んだ。俺の目の前で灰になって消えた。最後の最後まで、あの眩しいくらいの笑顔を見せて。
手に残ったのはタルデが渡してくれた剣の欠片。タルデの命の欠片。タルデが求めた未来への切符。
手のひらから溢れ出る血が地面に垂れる。剣の欠片を強く握りしめたら、心に抑えきれない涙が血となって流れ出した。
「フン、人の子1人死んだだけで大騒ぎするな。どうせ貴様ら全員我の前に灰と化すのだから」
俺はゆっくり立ち上がる。俺の身体に付着した灰がサァ…………と優しい音を立てて落ちた。
「…………………………許すかよ」
ナイアーラトテップは首を傾げ、俺を煽るように見る。
俺はそれに対し、強く強く睨み返した。
「テメェだけは、許すかよ!!!」




