3章38話『浮遊』
ナイアーラトテップは全身の触手をうねらせる。その光景は威嚇とも取れた。
ナイアーラトテップはアルマドゥラの実力を認めると共に、無意味なプライドを捨てて本気でぶつかる事を決意した。そうしなければ、この人間は支配できない。
「いいだろう、貴様には手加減など不要。2度と立ち上がれないように叩きのめしてやる」
「悪いが私は転生者だ。何度叩きのめされようとも、何度でも立ち上がってやる」
両者睨み合い続けること十数秒。先に仕掛けたのはナイアーラトテップだった。
空中に漂っていた彼は強い衝撃波と共に地上に降臨し、砂埃が舞う。アルマドゥラは目を肘で覆い、振り払うように手を外にやった。ナイアーラトテップは既に触手をアルマドゥラに向けていた。
アルマドゥラは身軽なステップでそれを回避し、同時に剣を上に振り上げて触手を斬る。
が、ナイアーラトテップも馬鹿ではない。腕が斬られる事を読んでその一帯だけ硬質化させていた。
アルマドゥラが加えたダメージの全ては振動となってアルマドゥラ本人に帰ってきた。腕の痺れが尋常ではない。
そのまま立て続けに、ナイアーラトテップは腕を横に振り払ってきた。アルマドゥラはそれを剣で受け止める。硬質化した触手と鋼でできた剣が衝突音を出す。
そのまま6秒お互いにお互いを押し合い、その後弾き飛ばした。両者の距離は20m程開いた。
「すごい…………あのナイアーラトテップとほぼ互角だ」
ラピセロはノートに2人の戦いを目まぐるしい速さで書き記しながら、感動するように言った。
それに対しエスクードがこう返す。
「いいえ……そうとも限りませんよ」
「というと?」
「ナイアーラトテップから切り離された粘液はヤツの身体に戻ることなく地面に広がったまま。なのにヤツの触手は瞬時に再生している………………。
多分、ナイアーラトテップはリアルタイムで虚数空間から土幻素を取り出し、それを触手に利用しているのかと」
「つまり、ヤツを倒すにはヤツが再生を行えない速さ…………つまりほぼ一撃でヤツを消し飛ばす必要がある……」
そう考えた上で、改めてアルマドゥラとナイアーラトテップの戦いを見た。
アルマドゥラの剣の技術は本物だ。剣を使わせて右に出るものはいない。現にナイアーラトテップの触手は凄い速さで切断と再生を繰り返している。
が、ラピセロが言ったようにそれではナイアーラトテップは倒せない。小さい攻撃を連続して出しているうちはナイアーラトテップは殺せない。
何か強力な一手が必要だ。
そしてそれはアルマドゥラもそろそろ感づき始めている頃だろう。
「人間にしては強い方だ。誇っていいぞ」
ナイアーラトテップがそう煽る。
「俺が自分を誇れるのはお前を追い返した時だ」
アルマドゥラは重い鎧を着ているにも関わらず素早く動きつつ、静と動をしっかり使い分けてナイアーラトテップを翻弄していた。
「そもそも、何故我を追い返そうとする?」
ナイアーラトテップは触手を振り回しながら素朴な疑問をぶつけた。
アルマドゥラは顔をしかめて首を傾げた。
「元々この星には我の住処があったのだ。それを焼き払って追い出したのは貴様らではないのか?」
彼が言っていることは真実だ。ナイアーラトテップはかつてニグラスにあるンガイの森に住んでいたが、その森をクトゥグアに焼き尽くされた故に宇宙空間に出た。
それを取り戻そうとしているだけなら、正当な理由に聞こえる。
アルマドゥラは全てを理解している。
だからこそ、こう返した。
「黙れ」
そう言い放ったアルマドゥラの剣撃は他のそれよりも重かった。
「お前の目的がンガイの森の奪還ならまだ分かる。だが、お前が目指しているのはニグラスの支配だろう。違うか?」
ナイアーラトテップは何も言い返さなかった。
「綺麗事を抜かすな。2億年もの間ニグラスを脅かしてきた貴様に今更慈悲など与えん」
アルマドゥラは目の前に飛来した触手を何度も斬り付け、細かくして叩き落とした。
ナイアーラトテップはネチャネチャと音を立てて再生を繰り返す。アルマドゥラはその様子を観察し、気づいた。
「そろそろ逃げたくなってきた頃だろう?」
ナイアーラトテップがあからさまに不自然な反応を示した。アルマドゥラはその一瞬の隙をついて畳み掛けるようにナイアーラトテップの触手を斬り落とす。既に足元はドロドロの粘液で満ちていて、彼が歩く度にパシャパシャと水音が鳴り響いた。
触手は斬られる度に再生を繰り返し続けている。だが、ラピセロは気づいた。
「最初に腕が再生した時、腕が完全に再生するまで4.63秒…………でも今再生している時は7.15秒。明らかに再生の速度が落ちている。これは一体どういう…………」
ラピセロは今まで書いてきたナイアーラトテップの情報を全て見返したが、答えが見つからない。なぜヤツの再生は遅くなっているのか。彼には検討もつかなかった。
だが、答えはシンプルだ。
いくら旧支配者とはいえ、宇宙普遍の理には抗えない。
エスクードがハッと気づく。
「もしかして…………MP切れ?」
ラピセロもその発言で全てを理解した。
ナイアーラトテップは虚数空間から直接土幻素を手に入れて触手を再生している。つまり触手の再生は魔法の一種。
アルマドゥラ程の剣の実力者を相手しているならば、触手はとめどなく斬り落とされていく。
その度に再生し、また斬られ、また再生し…………そんな事を過剰に繰り返していれば、いくら旧支配者とは言えどもMPが尽きないわけが無い。
プライドを捨てたが故に精神力も落ち、それに伴ってMPも減っているなら尚更だ。
「…………貴様」
ナイアーラトテップの腕の再生スピードがあからさまに落ちている。1本を再生するのに1分近くかかっている。
そしてその腕は再生前より明らかに短かった。
「終わりだ」
ナイアーラトテップのMPは既に底を突いた。もし残ってたとしても、ここから逃げる分しか残っていないだろう。
その分のMPを使ってまで触手を再生してアルマドゥラに挑むことは、賢いナイアーラトテップならしないだろう。
そう考えたアルマドゥラはすぐに行動を起こした。
ナイアーラトテップの目の前にいたアルマドゥラの姿が一瞬乱れた。が、彼の表情は一つも変わっておらず、見間違いかと疑った。
次の瞬間、今度はアルマドゥラが大きく上にずれた。アルマドゥラだけではない。ナイアーラトテップ以外の世界全てが上に移動した。
いや、違う。ナイアーラトテップが下に落ちたのだ。
慌てて自分の足元を見るナイアーラトテップ。が、彼には足がなかった。足だったはずの場所は綺麗な断面になっていて、ナイアーラトテップが地面に落ちると緑色の粘液が飛翔した。
「まさか…………あの一瞬で我の四肢を切断したのか!?」
ナイアーラトテップはあまりに現実味のない光景に驚きを隠せなかった。
アルマドゥラは動けなくなって仰向けで寝ているナイアーラトテップの胸の辺りに剣を突き立て、トントンと叩いた。
「死ね」
グチャァアアッ!!!
アルマドゥラが剣を突き刺すと粘液が爆発して辺りを覆った。雨のように降り注ぐ粘液が彼らの身体に付着した。
「勝った………………」
エスクードはそう呟いた。
アルマドゥラがナイアーラトテップを貫き殺した。それがこの瞬間だ。
そう、誰もが思っていた。




