3章36話『Lv2』
カスコさんはとても冷静にそれを伝えた。
だが、俺達はそれを冷静に受け止めることは出来なかった。激しい興奮と緊張が頭の中を駆け巡る。
俺達は急いでエルスケルクに駆け寄った。エルスケルクの中の紅い液体は色を濃くしていた。薄いピンク色だった液体は完全に真っ赤に染まっていたが、それでも中心の円盤の様子は分かった。円盤はさっき見た時よりも何倍も速く回転しており、白く発光している。
そっとガラスに触れてみると、突き刺すような熱さが俺の指先を襲った。内部の温度はゆうに1000度を超えているらしい。このガラスでほとんどの熱を遮断してるとの事だが、それでも油を入れて熱したフライパン程の熱さがあった。
エルスケルクの仕組みは魔道具の派生。虚数空間に直接接続して幻素を取り込み、それを液体中に蓄積している。その時、クトゥグアの火幻素を抽出して蓄えているのだ。
『セラエノ断章』から生み出した火幻素を分析して引き寄せるシステムを《ビエンベニードス》と《ブエンプロペチョ》は3日かからずに完成させた。
旧支配者の力すら容易く操ってしまうこの2ギルドは一体何者なのか。
「エルスケルク、発射準備完了しました」
カスコさんが耳に手帳を当てて誰かと通話をしている。おそらく他の場所の代表者だ。
カスコさんは何度か相槌を打った後、エルスケルクの裏に回った。そして手のジェスチャーで『エルスケルクから離れろ』と伝えると、彼女はエルスケルクの底から伸びる太い紐の輪っかを掴んだ。
懐から取り出したサバイバルナイフを輪っかに引っ掛ける。少しずつ刃がくい込んでいくのが離れた場所からでも分かった。
もう分かっているとは思うが、あれがエルスケルクのトリガーなのだろう。あの紐の中のコードやケーブルを断ち切る事で制御装置が停止し、溜められた火幻素がエネルギー砲として放たれる。
心臓の鼓動が早まる。その場にいた冒険者達は全員固唾を飲んでエルスケルクを見守っていた。
「エルスケルク発動10秒前」
カスコさんがそう言うと、俺達はより一層彼女の手元に注目した。彼女のナイフを握る手も震えている。ここを失敗したらナイアーラトテップを倒す術はない。
この責任は1人で背負うには重すぎる。
それでもカスコさんは右手に力を入れ、震えを止める。自分が怖気付いている場合ではない。アオイさんが不在の今、この仕事をしなくちゃいけないのは自分だ。
彼女の冷たくも熱い目がその言葉を代弁していた。
「3…………2…………1…………」
カウントダウンが終了した瞬間、カスコさんはナイフをフッと上に振った。バチッと小さな電撃音が流れたかと思えば、エルスケルクはゴォォォオオオオオ…………と大きな音を出して起動を始めた。
中心の円盤はさっきの何倍もの速さで回転している。残像が重なって1つの鉄球があるようにすら見えた。
鉄球の周りから溢れていた淡い光は回転を続ける度にどんどん強くなっていく。逆に液体中の紅色はみるみるうちに薄くなっていく。
キィィィイイイイイン…………………………。
起動音とは別の高音が響き、俺達の耳に微弱ながらダメージを与える。その頃にはもう光は小さな太陽と化していた。
絶対的な熱と光、その中核を担うのはクトゥグアの炎。弱いわけが無い。
キンッ……………………。
その一瞬の音で俺は全てを察し、目元を隠した。
ちょうど0コンマ何秒か後にエルスケルクから爆発的な光が発生した。
目を覆えなかった冒険者達はその光を見て反射的にそれを避けようとする。予め目を隠していた俺は腕の隙間からエルスケルクの様子を見た。
エルスケルクの中心の太陽から、赤い光が斜め上の上空を狙って放たれていた。
一直線に伸びた光線の先にはナイアーラトテップがいる。しかも同じことをここ以外にも2箇所、合計3箇所から行っている。
まるで天に架かる炎の橋のようなその光線に当たれば、どんなに強力なモンスターでも一撃で消し飛ぶだろう。
マスターズギルドの結界があるから街への被害は全くないが、もし結界がなかったらと考えるとエルスケルクはナイアーラトテップより恐ろしいものになっていたかも知れない。
「ぐっ…………!この炎は…………ッ!」
ナイアーラトテップはあまりの高火力に身動き一つ取れない。炎に焼かれ続けるナイアーラトテップは俺達の脳に悲鳴を直接叩き込む。
奥歯を噛み締めながらエルスケルクとナイアーラトテップの2つの騒音に耐え忍び、事が終わるのを待った。
これで死んでくれればどれほど楽だろうか。
いや、この攻撃を喰らえばさすがのナイアーラトテップでも耐えられないんじゃないか。
頭は希望を求めて逃げの思考を繰り返す。
だが現実はそんなに甘くない。
キイイイイィィィィィィィ………………。
3分程エネルギー砲を撃ち続けたエルスケルクは活動を停止した。コードを断ち切ってしまった為もう一度チャージする事は出来ない。
俺は空を見た。曇り空の中には緑色の煙がモクモクと立ち込めている。
――――――いや、あれは雲ではない。
結論が出る少し前にヤツは姿を現した。
緑色の煙幕が晴れた先にいたのは、異型だった。足はタコのように吸盤がついていて、何本も増えている。腹は内蔵を剥き出しにしたようにグロテスクで、腕には蛇のような触手が無数に巻きついている。それは背中からも出ていた。
頭の後ろからも1本、他とは比べ物にならないような巨大な1本が生えていた。
「あれが…………」
ティリタが刮目してそれを見ている。
ゼロは弾丸を拳銃に詰め、タルデは額を叩いて気合を入れている。
俺も、唾をゴクリと飲み手袋を深くはめ直した。
ナイアーラトテップ・Lv2。
人間に近い姿だったLv1とは違い、完全に化け物のような姿になっている。
これがナイアーラトテップの真の姿。裏を返せば、これがナイアーラトテップの決戦装備。
コイツを殺せば、世界は救われる。
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「ついにここまで来たか」
天空に仁王立ちするナイアーラトテップを見て、ラピセロはメガネを直す。
「もう少しの辛抱…………ですよね?」
隣で物資箱に腰掛けてながら金髪をたなびかせているのはエスクード。彼女は鉄の球をポンポンと投げては取り投げては取りを繰り返している。
「ここが正念場だ。気を引き締めていくぞ」
ナイアーラトテップと対峙するように立ち剣を構えるのはアルマドゥラ。《ブエノスディアス》のギルドマスターだ。
この3名は全員北の拠点に配属されている。
「問題はここからどう動くか、だ」
他の冒険者達はさっきまでと同じようにロングレンジライフルでナイアーラトテップを撃ち続ける。彼らの銃撃は決して無駄ではないが、決して有効とは言えない。
何か一発逆転の秘策が欲しいところだ。
アルマドゥラがそう思って頭を抱えていた頃だった。
ナイアーラトテップの視線が彼らに向いた。
悪魔が飛んでくる。そう身構えて武器に手をかけた彼らだったが、ナイアーラトテップはそれを嘲笑するかのように拠点に突っ込んできた。
「なるほど…………。1つずつ確実に潰そうって言うわけね〜……」
エスクードはそう言って立ち上がり、球を天高く投げた。
「迎え撃つぞ」
アルマドゥラが剣をナイアーラトテップに向けて指示した。




