3章33話『騙り』
「アオイから連絡があった。彼女はきっとここに来るだろう」
ディエスミルが手帳をポケットにしまいながら言った。その一言で周りの空気がガラッと変わった。
「つまり、アオイさんがここに来るまで僕達はエルスケルクを守らなくちゃいけない、と」
「うむ」
ディエスミルは頷いた。
それを聞いたカスコは目を閉じたまま手を後ろにやった。
「なるほど、そう難しいことではありませんね」
彼女の両手にナイフが4本ずつ挟まれた。
扇子を広げるように手を横に出し、手をくるっと90度回転させる。そして体を大きく回転させ、遠心力を使ってナイフを飛ばした。心地よい空を切る音が緊張感のある現状に違和感をもたらした。
しかし悪魔も馬鹿ではない。投げナイフを1度見た悪魔はそのナイフを回避し、弾き飛ばす。
結果、ナイフは明後日の方向へ飛んでいき、悪魔には傷1つ付かなかった。
「同じ手は二度喰わないってわけか…………」
ティリタが悔しそうに拳を握る。
ディエスミルはおもむろに『ネクロノミコン』を開き、ページとページの間から何かを引き上げるように手を上に動かした。
その動きに合わせて黒紫色のオーラが浮遊し、ディエスミルの手の周りに集まった。
「ディスペアー!」
ディエスミルは悪魔に向かって手を伸ばし、闇魔法を撃つ。鈍い爆発音と共に悪魔は少し吹き飛んだが、すぐに反撃を開始した。悪魔は口を広げた状態でディエスミルに急接近する。
ディエスミルは転がるように横に回避し、瞬時に牽制の魔法を撃った。
「ディエスミルさん!ソイツはナイアーラトテップの従者…………土属性です!」
土属性…………となれば、あっちを使った方が良さそうだ。
ディエスミルは『ネクロノミコン』を閉じ、その表紙を撫でる。それだけで『ネクロノミコン』は闇属性特化の魔導書ではなく、幻素と使用者とを仲介する魔道具としての役目を果たした。
彼女の手の周りには、今度は緑色の光が集まり始めた。
「サイクロン!」
放ったのは風属性の最上級魔法。放った緑色の球は悪魔に着弾すると同時に広がり、竜巻のように緑色の風を吹き荒らした。悪魔の体もその動きに合わせて揺れる。翼で空を飛んでいるなら尚更だ。
悪魔は上に飛ぶことでその竜巻から抜け出し、遥か彼方からディエスミル達を見下ろした。
「やっぱり土属性には風魔法が有効なんだ!例え宇宙から来た旧支配者の遣いでも、属性相性には抗えない!」
ティリタは若干興奮しながらそう叫ぶ。
だが、今ので攻略法が見えた。これでアオイが到着するまでの時間は稼げるだろう。
「風魔法を撃てるものはアイツに撃て!それ以外のヤツは出来るだけ銃での攻撃を優先するがよい!」
ディエスミルは背後の冒険者達にそう指示する。ディエスミル程の実力者ならともかく、普通の冒険者が撃った風以外の魔法など何の効果も現れない。
ならまだ銃の固定ダメージを稼いだ方がいい。
本来ならディエスミルもそうするべきなのだ。彼女はデメリットのせいでLvが5に固定されてしまうのだから。
だが、ここではそうもいかない。確かにLvは5になったままだがそれでも経験と実力から『ネクロノミコン』を操れる程の力はある。
もしそうなら、銃の固定ダメージなんかに頼るよりよっぽど強い。敵が旧支配者の遣いなら尚更だ。
風魔法が一斉に飛び交う。
数発の風の球と無数の弾丸が一斉に悪魔に向かって飛んでいく。当たるものもあれば、当たらないものもあった。
ディエスミルは更に畳み掛けるようにサイクロンを連発する。2〜3発撃ってはMPポーションを飲み、また撃ってはポーションを飲み…………を延々と繰り返す。これが1番の有効打だとは分かっていても、やはり体に負担がかかる戦い方だ。
「ダメです!このままじゃディエスミルさんが持たない!」
ティリタは必死にディエスミルに警告する。が、ディエスミルはポーションの瓶を投げ捨て、口元を拭いた。
「わらわの事なんぞ知らぬ。アオイが来るまではここを守り抜かなくてはならぬのじゃ!」
ディエスミルは『ネクロノミコン』を開き、ページをグルグルと渦を巻くように撫でた。その手のすぐ上に闇幻素の球が生成される。
それは次第に形を変え、花の蕾のような見た目になった。
「ローザ・ネグラ!」
ディエスミルは押し出すように右手を前に突き出し、ローザ・ネグラを放つ。ディスペアーを遥かに上回る高火力の闇魔法。
黒い薔薇が開花すると同時に爆発を発生させ、相手に多大な絶望を叩き込む。それが『ネクロノミコン』を持つ者にのみ許される最強の闇魔法。
この魔法は非常に美しく見える。が、綺麗な薔薇には棘があるのは世の常だ。
棘なんて生ぬるいものでは無い鋭い痛覚と精神へのダメージが悪魔を襲った。
「グギャァァァアアアアアア!!!」
悪魔は叫び声を上げて翼をばたつかせる。体の一部が点々と溶け始めていた。
だが、ここで予想外のことが起きる。
「グルル……グルルルルァァアアアアア!!!」
悪魔の様子がおかしい。先程まではまだ知性を保っていたが、今では知性の欠片もない怪物になっている。悪魔は目に入った全てに噛みつき、破壊する。巨木や岩でさえいとも容易く噛み砕く姿はこの上なく恐ろしかった。
「まさか…………コイツ、発狂しているのか!?」
そう、悪魔は発狂してしまったのだ。
ローザ・ネグラは対象のトラウマを蘇らせる効果がある。この悪魔が知性を持っていたからこそ、ローザ・ネグラの効果が働き悪魔のSANを削り、発狂させてしまったのだ。
ディエスミルがそれに気付いたとほぼ同時に、悪魔はディエスミル達に目をつけた。いや、正確に言うなら、運悪くその奥にあるエルスケルクに目をつけられてしまった。
「まずい…………エルスケルクが破壊される!」
ティリタは急いでエルスケルクに近付き、防御魔法を発動させた。カスコもエルスケルクの前に陣取り、ナイフを指に挟む。
ディエスミルは悪魔を撃ち落とそうと幻素を蓄積させるが、ギリギリ間に合わない。
恐るべき速さで突進してくる悪魔を対策する術はなかった。
そのまま無惨にシールドも破られ、ティリタとカスコも吹き飛ばされる。大きく背中を打った2人は立ち上がることも出来ず、他の冒険者も間に合わず、結果悪魔がエルスケルクの前に大口を開けてしまった。
その口が一気に閉じられようとしたその時、
ガチンッ!
悪魔の口はエルスケルクを通り抜けた。
困惑する悪魔を後目に、エルスケルクは粒子となって消滅した。いや、エルスケルクだけでは無い。ティリタ、カスコ、他の冒険者達…………。ディエスミルを除く全員が消えた。
「まんまと騙されたようじゃの」
唯一残されたディエスミルは『ネクロノミコン』を閉じ、魔法を解除した。
「わらわ以外の全ては『ネクロノミコン』の幻じゃ」
悪魔が襲来する直前、ディエスミルは『ネクロノミコン』で自分以外の全てを作り上げ、悪魔と対峙した。
ディエスミル以外のメンバーはエルスケルクを運び続けている。ディエスミルは囮として悪魔を引き付けたのだ。
しかし悪魔の発狂が治った訳では無い。悪魔はもう一度口を開き、残ったディエスミルを食らいつくそうとする。
だが、ついにはそれも叶わなかった。
悪魔の裏に、一筋の光が到着したからだ。




