3章32話『運び屋』
「今の叫び声って…………」
ティリタはアーカムへの道を馬車で走りながら、隣のディエスミルに問う。
「あぁ。ナイアーラトテップの叫び声で間違いないだろうのぅ」
ディエスミルがそう言って頭の王冠を整えると、周囲に緊張が走った。ついにナイアーラトテップが襲来した。その衝撃は予想を遥かに上回るものだった。
「急ぎましょう。他の部隊の方々が待っています」
カスコが機械のように淡々とそう言った。
ティリタは後ろを振り返り、『それ』に異常がないかを確認する。目の前のそれは輸送を開始する前から少しも変わっていなかった。
Elsquelc。
それが彼らが運んでいる兵器の名前だ。
グレンの持つ『セラエノ断章』から生じる特殊な火幻素を虚数空間から蓄積し、それを無幻素で補助、増強して開発したエネルギー砲。《ビエンベニードス》と《ブエンプロペチョ》の共同開発だ。
その語源は『El sol quema el caos』。太陽は混沌を焦がす。
例え混沌が空を覆ったとしても、太陽は毎朝地平線の向こうから登る。陽の光は夜を焼き付くし、人々に明日を提供する。
ナイアーラトテップを倒すのは冒険者でもクトゥグアでもない。未来への願いだ。
「わらわ達が目指すべきは南西の拠点。ここから最も離れた場所じゃ」
ティリタ達以外にももう2班、エルスケルクを輸送している。3つある部隊にそれぞれ1つずつ配備するためだ。
「南西、か…………」
ティリタの頭によぎるのは3人の顔だった。
グレン、ゼロ、タルデ。前線に立っている彼ら3人の事が心配で仕方なかった。
なぜ自分だけ輸送部隊に配属されたのか、ティリタは知らなかったし考えもしなかった。どこに配属されようが自分のするべきことを全うするだけ。そう頭に叩き込んで動いている。
だが、やはり心の隅に心配はある。
もし彼らがナイアーラトテップに殺されてしまっていたら…………想像しただけで泣きそうになる。
ティリタはそれをぐっと堪えて、進行方向をじっと見つめた。
「目標地点まではかなり距離があります。周辺警戒を怠らないようにお願いしますね」
カスコさんが後続の冒険者達にそう声をかける。冒険者達はキレのいい返事をして、より勇ましい表情になった。
ティリタがふと空を見上げると、その先には緑色の人型があった。距離が距離だから細かい形までは分からないが、ティリタにはそれが何かすぐに分かった。
「あれがナイアーラトテップですか?」
ディエスミルとカスコにそう問うと、
「おそらくそうじゃろうな。この状況で空中にいる緑の巨体など、ナイアーラトテップ以外にありえん」
「…………間違いありません。今、激しい頭痛を感じました」
カスコのデメリットは『敵を5秒間凝視するとSANが0になる』だ。発動直前の5秒間は強い頭痛に襲われる。
一見すると不便なデメリットだが、彼女はそれを逆手に取って視界に入った相手が敵か否かを瞬時に判別できる。
カスコはすぐに目を逸らし、逆にディエスミルとティリタはナイアーラトテップを凝視した。
ヤツがどんな動きをしているのか、ヤツが誰を狙っているのか。何とか把握できた。
「まずい…………」
ティリタはそう呟いた。
ディエスミルも同時にそれに感づき、周囲にその事を伝えた。
「上空の飛行体を見よ。ヤツこそがナイアーラトテップであり、わらわ達の最終目標じゃ。が、少し厄介なことが起きた」
ナイアーラトテップは腕を突き出し、手のひらから悪魔を生み出していた。
「今からわらわ達は襲撃される」
ディエスミルがそう言うと、冒険者達はどよめき始めた。それはティリタ、カスコも同じである。
「今から作戦を伝える。わらわの言う通りに動け」
天空から近付く悪魔は恐ろしい形相をしていた。はばたく音が響くキングスポート郊外の道のど真ん中。冒険者達は真っ直ぐに道の先を見つめ、馬を走らせる。
「ゴルシャァァアアア!!」
悪魔の叫び声が辺りを震わす。ビリビリと伝わる声は音だけでなく動きと化したのだ。
ディエスミルは改めて悪魔をよく観察する。
その化け物に目と鼻はない。口だけが大きく開かれている。地上の人間を捕食するためだけに生まれたような姿をしていた。
屈強な翼は腕と一体化している。足は貧弱そうに見えて硬い筋肉で覆われている。緑色の体は空気に触れて濃く鈍くなっていき、ほとんど黒に近い色になっていた。
悪魔はティリタ達と一気に距離を詰める。しかしその狙いはどうやら冒険者達ではないようだ。
悪魔は一直線にエルスケルクを狙う。あたかもそれがナイアーラトテップを撃退する切札だと分かっているかのように。
ディエスミルは周囲に指示し、馬を降りた。
そして悪魔を指さし、こう言った。
「エルスケルクは触らせぬぞ」
エルスケルクはまだ鉄製の箱に収納されたままだ。これが破壊されない限りエルスケルクに傷がつくことはない。
だが、逆に言えばこの鉄の箱が壊されてしまったらエルスケルクは悪魔の前に晒される。
それだけは何としてでも避けなければならない。
カスコはポケットからサバイバルナイフを取り出し、ティリタは杖を展開した。その他の冒険者達も皆各々の武器を準備する。
そしてディエスミルも『ネクロノミコン』を手に持った。闇幻素が漂う魔導書は不穏な空気と絶対的な力を同時に見せてくれる。
「行くぞよ」
そう号令をかけるとディエスミルは悪魔に接近した。悪魔もディエスミルを喰らおうと大きな口を開けて迎え撃つ。
ディエスミルは途中でグルッと一回転し、魔導書を背中に隠した。そして予め懐に忍ばせておいたハンドガンを突きつけ、3発撃ち込む。
ディエスミルは数歩後ろに下がる。今度はカスコが彼女を飛び越えるように現れた。彼女は悪魔を見ないように目をつぶったまま攻撃を仕掛けた。もし見てしまえば発狂する。そうなればエルスケルクの安全は保証できない。
彼女が手を後ろに持っていきそれを戻すと、何も無かった左手には投げナイフが3本、指の間に挟まっていた。
腕を振ってそれを投げ、ナイフを追うようにカスコは駆け出す。目を閉じているにも関わらず綺麗に命中するナイフ達は冒険者達に感動を与えた。
カスコは跳びながら踊るようにナイフを振るう。しかしそれは乱舞ではない。完全に、シナリオ通りに踊っている。まるで舞台の演目の1つを演じているかのように。
「ディエスミルさん!マジックアップとスピードアップは完了しました!」
ティリタはそう叫ぶ。彼は後ろの方で杖でのサポートに徹していた。彼がいるかいないかで勝敗は大きく揺さぶられる。
そんな中、ディエスミルの手帳が鳴った。電話がかかってきたのだ。
電話の発信者はアオイだった。
「わらわじゃ」
「ディエスミルさん、座標を教えてください」
なるほど、悪魔が放たれる瞬間を見てここが狙われていることを察し、自分達を援護しようとしているわけか。
仕事ができる女は違う。
「東経115度、南緯21度の地点じゃ」
「分かりました」
そう言うとアオイは電話を切った。
恐らくアオイは転移魔法を使ってここに来る。なら、自分達のやる事は1つ。
アオイが到着するまで、エルスケルクを守ることだ。




