3章26話『天に向かう』
「この先が最上階のようだ」
ティリタは目の前の階段を指さして言った。
ゼロは腕に付いた返り血や塵を払い、タルデは剣をよく布で拭き、俺は手袋を深くはめた。
それらはいつも何気なく行っている行為だが、そこには少しの恐怖とそれを遥かに上回る覚悟があった。
ここに来るまでかなり敵を殺してきたし、他の仲間が殺したであろう死体も無数に見た。
ここにいる『血塗られた舌』が壊滅するのは時間の問題だ。そう思ってもいいだろう。
あとは、この先にいるであろう『血塗られた舌』の長のみだ。
「行くぞ。この殺し合いを終わらせに」
俺は振り返らず、まっすぐ階段を見た。だから後ろの仲間達が頷いたかどうかは分からない。
しかしそれはすぐにはっきりする問題だった。
俺に少し遅れて響く3つの足音は頼もしく、そして不思議と安心感があった。
階段を登った先には1つの扉があった。
開けられた形跡がないことから、他の仲間はこの先にたどり着いていないようだ。
目撃したメンバー達を全滅させてから登っていく作戦なのだが、俺達の担当の方角はたまたま敵の警備が薄かったらしい。そのためいち早くここに着いたのだ。
「じゃあ、開けるよ…………」
ティリタが鉄製の扉に手のひらをつけ、ぐっと足を踏ん張る。鈍い音を立てることもなく、扉の重さが若干厄介なだけだった。
だが、眼前に広がる空間は更なる面倒を公開した。
「これ…………ハシゴよね」
ゼロがツカツカと3畳程の空間に入り、目の前のハシゴを触る。彼女曰く、傷んでいる様子も罠が仕掛けられている様子もない、ただのハシゴのようだ。
俺達も中に入り、ハシゴを観察した。
「そうだね…………確かに《ブエンプロペチョ》で市販されているものだ。同じタイプを店で何度も見たことがある」
ハシゴには問題がない…………か。だとしたら、問題はこれだろうな。
俺は天井にある小さな扉を見て言った。
「行くしかないよな…………」
俺は今回も振り向かず、ハシゴに手をかけて登り始めた。一刻も早く敵を始末するために。
ガコッガコッガコッ………………。
案外高いところにあったその扉に手をかけ、思い切り手前に引く。外の冷たい風が俺の頬を通り抜け、血なまぐさい臭いが残った鼻を浄化した。
ハシゴの上は屋上だった。
直径50m程の広さの円形をしたレンガ造りの床は暖かい印象を与えるが、それでも寒空の空気は俺達を凍えさせる。
しかし、そんなこと気にならない。
目の前にいる、縁に座った男を見れば。
「遅かったじゃ〜ん、待ちくたびれたよ」
明るい緑色の髪を垂らした男は俺達を見て笑う。耳にはピアスが輝き、金色のネックレスをジャラジャラと鳴らしている。邪神とはいえ、とても神を崇めている者とは思えない身なりだ。
だが、俺には分かる。
男から放たれる威圧感や風格…………アオイさんやアルマドゥラさん、ディエスミルさんのそれと似て非なる感覚。
ベルダーやペルディダから感じたような、波を打つように伝わってくる恐怖。
そして何より、砦跡の頂点にただ一人いるという事実。
間違いない。コイツが『血塗られた舌』の長だ。
両手を広げて高く声を上げるその姿は腹立たしかったが、不思議とイラつきは芽生えなかった。
「ここに来るまでの間、俺達はテメェらの仲間を皆殺しにした。それこそ数え切れないほどにな」
「へぇ〜ウチの子と遊んでくれたんだぁ!助かるわ〜」
「あぁ、遊んでやったさ…………。現在進行形でな」
男は静かに首を傾げる。
「俺達の仲間が中でまだ惨殺を続けている。当たり前だよな、今までお前らもやってきたんだから」
「惨殺…………」
さすがに男の表情が変わり始めた。
「確かにまだ生きてる奴もいるし、転生者の奴は死なない。制圧が完了していない支部もある。…………だが、あえて俺は宣言する」
俺は男を指さして言った。
「あとはお前だけだ」
俺が威圧をかけているにも関わらず、男はそっぽを向いて耳をほじっている。
「…………あぁ、キミの言う通りだ。だけどねぇ」
男はダルダルになった服の下から1枚の紙を取り出した。紙には複雑な魔法陣が描かれている。
「俺が負けるとは限らないよねぇ〜……」
男は魔法陣を破り捨てた。ビリッビリッ!と何度か音を立てた後、紙くずは男の手から離れた。
その次の瞬間、俺達は急激な揺れに襲われる。
「なっ……なんだ!?」
これは自然災害によるものではない。人工的な揺れだろう。
そんな予想をしている間にも、揺れはどんどん大きくなっていく。
「みんな!姿勢を低くして!」
ティリタはそう言ってお手本を見せるように地面に這いつくばった。俺達もほぼ何も考えず身を低くして揺れを耐える。
そんな中、タルデが縁から外を覗く。外の様子を見てここ以外にも地震が発生しているか否かを知りたかったようだ。
そのタルデは恐怖と好奇心が混ざった叫び声を上げた。
「おい!見ろよ!この砦……上に伸びてるぞ!」
「嘘!?」
ゼロが急いで外を見る。それに続いて俺とティリタも下を覗き込んでみた。
確かにタルデの言う通り、地上がだんだんと離れていく。砂埃すら立てず天に向かって伸び続ける砦。
男はその状況下でニヤニヤと笑っていた。俺達の反応を見て楽しんでいるようだった。
「この日のために屋上を砦から隔離して塔にする仕組みを作っておいたんだ!地下に柱を作る重労働だったから大変だったらしいぜ〜」
らしい、ってことは自分は作っていないのか。
俺は身を低くしながらもバーニングを放ち、『セラエノ断章』の力で塔の裏から炎を回りこませ、いつでも男を殺せる状態にしておいた。
今すぐに殺すことはしない。コイツに聞きたいことがいくつかあるからな。
「そう言えば、まだ名前言ってなかったな。俺ははファナティコ。『血塗られた舌』の長だ」
相手が自分からいくつかの質問のうちの1つを答えてくれた。俺は自分の名前を名乗り、今度は自分から質問を繰り出そうとする。
が、それは叶わなかった。
「さっきグレン君さぁ〜…………ウチらの仲間を惨殺したって言ってたよね?」
ファナティコがそう言うと、また塔が揺れ始めた。さっきほど大きな揺れでこそなかったが、それでも俺達は身を低く構えた。
「それ、かなりありがたい」
何だと…………?
そう思うとほぼ同時に、背後からティリタの声がした。彼はガラにもなく下を指さしながら取り乱している。
「見てくれ!あそこから何か出てきていないか!?」
俺達はティリタの指差す場所を見る。確かに緑色の何かが地面からこっちに、円柱形の塔を長い体で巻くように近付いてくる。
「キミ達が殺したウチの仲間は…………全て粘液に還元されて地下に溜まる。そして俺がその粘液を動かせば…………」
そこまで言うとファナティコ本人の体もカリアドの粘液へ変わっていく。
彼の体が完全にジェル状になった瞬間、塔を巻いていた存在が彼の背後に突然現れた。
「見せてやるよ…………俺の力を…………災厄の龍と呼ばれたこの力を!」
塔を巻いていた存在は急に輪郭をハッキリと保ち始めた。その姿はさっきファナティコが言ったように龍そのものだった。
その龍には眼球がなかった。それでも龍は的確にファナティコのいる場所に大口を開き、ファナティコを取り込む。
次の瞬間、今までなかった眼球が唐突に現れ、ギロリと俺達を睨みつけた。
ガァアァアァァァアアァアッッッ!!!
耳を抑えたくなるほどの雄叫びが上がる。
これが『血塗られた舌』の長。
災厄の龍・ファナティコ。




