シンとアイリス。家族の距離でーー
シン視点
いつもより、2時間ほど早い時間ではあったが、さすがにあんな事があった後に寝ようとは思わず、シンは起きる事にした。
アイリスも、起きるとの事で、昨晩のシチューの残りを温め、二人一緒に朝食を摂った。
そして、現在。
朝食を食べ終わったシンは、台所で使った食器を洗っていた。
「…………ほい」
「はーい」
隣にはアイリスが居て、シンが洗った食器を拭いて、食器棚に仕舞っていってくれている。
(本当、明るくなったよな)
隣で鼻歌を口ずさみながら、食器を拭いているアイリスを見て、思う。
昨日までとはうってかわって、アイリスはシンにいろいろな表情を見せてくれるようになった。
(昨夜、アイリスを部屋に案内するまでは、暗く沈んだ表情をしてたんだけどなぁ…………)
それなのに、朝起きてからは、恥ずかしそうに頬を染めたり、シンが自分を卑下にする言葉を口にすると、途中で遮って、必死になって否定してくれたり。そしてーー昨日の時点では、いつになるかも分からなかった、笑顔を見せてくれた。
そもそも、アイリスがシンのベッドに、半ば無断で潜り込んでいたのも、シンにとっては驚きだった。
アイリスは寂しかったからと言っていたが、昨日のアイリスの様子を見るかぎり、いくら寂しかろうとも、1人で耐えていたと思う。それぐらい、昨日のアイリスはシンに対して遠慮していた。
(俺の知らない間に、心境の変化でもあったのかな?)
シンは知らなかったーー
夕べ、フィリアが投げかけた言葉が、躊躇するアイリスの背中を後押ししたことを。
そしてーーシンの優しさが、シンの温もりが、どれだけアイリスの不安や寂しさを拭ってくれたかを。
(まあ、良い変化なんだし、細かい事は良いか)
それに、シン自身もまた嬉しかったのだ。
アイリスは言ってくれた。シンの事を、信頼できる大人の人だと思っていると。
「? シンさん、どうかしました?」
「ん? 何が?」
「何って、シンさん、笑ってますよ」
アイリスに指摘され、自分が笑っていたことに気付く。どうやら、考え事をしているうちに、無意識に笑みを浮かべていたらしい。
「いや、さっきの事を思い出して、ついね」
「さっきの事、ですか?」
「ほら。アイリス、言ってくれたでしょ。俺の事を、信頼できる大人の人だと思っているって。そう言ってもらえて、本当に嬉しくってーー」
「もうっ! 恥ずかしいんだから、蒸し返さないで下さいよ!」
頬を染め、シンの言葉を遮るように大声を上げる、アイリス。
本人は怒っているつもりなのだろうが、頬を染め、シンを見上げるアイリスに、シンは小動物のような可愛らしさを感じる。
(……………………ふむ)
アイリスのそんな様子を見ていると、シンの心にムクムクと悪戯心が湧いてくる。
「『ダメな保護者だなんて思っていません! 頼りないなんて思っていません! ……確かに、最初は知らない男の人と一緒に暮らすことに、困惑の気持ちがあったと思います。でも!ーー」
「シーンーさーん!」
先のアイリスの言葉を一字一句違わす、しかも感情まで込めて繰り返すシンに、アイリスは語気を強める。
「あはは。ごめん、ごめん」
「ーーもうっ! 知りません!」
シンの心の込もっていない謝罪に、アイリスはそっぽを向くが、本気で怒ってはいないようで、その口元には笑みが浮かんでいる。
(ははっ。これじゃあ、まるで本当の親子みたいだな)
二人一緒に並んで、家事をしたり、ふざけあったり。
年齢差こそ10歳だが、180以上の高身長のシンと、同世代と比べても小柄なアイリス。そんな二人が、近い距離感で話している姿は、確かに第三者が見ると、親子に見えるかもしれない。
(…………とはいえ、楽観視ばかりもしていられないが)
確かに、アイリスの様子は、昨日よりも明るくなった。
だが、その心から、完全に闇が払われた訳ではない。
彼女の心を救うにはーー
(『血染めの髑髏』を倒し、復讐を遂げる、か…………。そのために、俺がすべきことはーー)
「シンさん。手が止まってますよ」
「ああ、ごめん、ごめん。…………はい、これで最後」
「はーい」
チラッと、時計を見る。
いつもより早く起きたおかげで、まだまだ時間はたっぷりある。
(…………どれ、ちょっとは師匠らしい事をしますかね)
「シンさん。わたしも終わりました」
最後の食器を食器棚に仕舞うと、アイリスはそう言って、何かをねだる様な目で、シンを上目遣いに見上げてくる。
その様子は、飼い主に褒めてもらうのを待っている子犬みたいだ。
「ありがとね。手伝ってくれて、助かったよ」
「いえいえー。どういたしましてー」
お礼の言葉と共に、シンはアイリスの頭を撫でる。すると、アイリスは目を細めて、嬉しそうな声を上げる。一瞬、シンの目にフリフリと揺れるしっぽが見えた気がした。
(喜んでる所、水を差すようで悪いけど…………)
そう思いながらも、シンは頭を撫でていた手を止め、口を開く。
「アイリス。早速、修行を始めようと思うんだけど、大丈夫かい?」
「ーー! はい! 大丈夫です!」
シンの言葉を受け、先ほどまでの笑顔から一転、真剣な表情を浮かべる、アイリス。
その瞳には、強い意思の光が宿っている。
(そんな顔、本来なら12歳の女の子が浮かべる顔じゃないはずなんだが…………)
そう思いながらも、シンは今から始める修行の内容を口にする。
「よし。それじゃあ、まずは魔法について教えるよーー」