4月ーーシン。新しい日常(中編1)
シン視点
朝食のキッシュ風を食べ終わった後ーー
俺とアイリスはそれぞれ、寝間着を着替えたり、身だしなみを整えたりといった、朝の準備を始めた。
(まあ、アイリスは朝食前にほとんど終わらせてて、後は歯磨きだけだったんだけどね)
どうやら、アイリスは毎朝起きてすぐに、寝間着を着替えたり、髪や顔をキレイにしているようなのだが…………こういう所は、幼くてもアイリスもやっぱり女の子なんだなと、毎回感心させられる。
(男の俺は、そういうのを後回しにして、だらしない格好のまま朝食の準備を始めちゃうからな)
まあ、男云々は関係なく、俺が特別ズボラなだけかもしれないが…………と、とにかくだ!
そうして、お互いに朝の準備を終え、俺とアイリスは一緒に家を出た。
朝食の席でも話したが、最低でもギルドで売れ残り依頼が無いか確認するまでは、俺とアイリスは一緒だ。
いつものように、2人手を繋いで、王都の大通りを並んで歩く。
「ふんふんふーん」
ご機嫌な様子で鼻歌を口ずさみながら、俺と繋いだ手を大きく前後に振る、アイリス。
俺も、アイリスの動きに合わせて、腕を前へ後ろへ振っていく。
ーーザワザワ
そんな俺とアイリスの姿を見て、道行く冒険者達がヒソヒソと噂話を始める。
残念ながら、この光景もまた、いつもの事なのだが…………それでも、以前に比べたら、落ち着いてきた気がする。
(まあ、俺とアイリスが一緒に暮らし始めてから、1ヶ月近い時間が経っているしな)
俺の故郷には、『人の噂も75日』なんて諺があるが…………既に、その半分近い時間が経っているのだ。
少しずつ、噂も薄れていっているのだろう。
(それに、俺を少女趣味だの、アイリスを奴隷だのといった、根も葉もない悪質な噂も、最近は少なくなってきたしな)
これに関しては、エドさんやヴィヴィさん、フィリアさんといった、俺とアイリスの事情を知る人達が、正しい情報を他の冒険者達に知らせてくれているかららしい。
そのおかげもあり、今では王都に拠点を構える冒険者のほとんどに、俺とアイリスの関係が正しく認知されていた。
(本当に、ありがたいよ。フィリアさん達には、また改めてお礼を言っておかないとな)
…………と、そんな事を考えている内に、冒険者ギルドに辿り着いたな。
俺は、ギルドの扉を開くと、まず先にアイリスに入ってもらう。
幼いとはいえ、アイリスも女の子だからな。レディーファーストというやつだ。
「…………えへへ。ありがとう、お父さん…………」
女の子扱いしてもらえて、嬉しいのかな?
アイリスは照れくさそうに頬を染めると、上目遣いで俺を見つめ、恥ずかしそうに小さな声でお礼を伝えてきた。
そしてーー
「おはようございます! フィリアさん!」
「あら。おはよう、アイリスちゃん」
アイリスはギルドの中へと入ると、まるで恥ずかしさを誤魔化すように、ギルドカウンターの内側で書類仕事をしていたフィリアさんの元へと駆けて行った。
お互いに、笑顔で朝の挨拶を交わす、アイリスとフィリアさん。そんな2人の姿を眺めつつ、俺は密かに顔を赤くしていた。
(…………まったく。今のアイリスの表情は反則だろう…………)
そういう趣味が無い俺でさえ、今のアイリスの表情にはドキッとするものがあった。
(アイリスは今13歳。あと2年で成人だし…………そこから更に5年もすれば、さぞかし美人になって、無意識に沢山の男達を魅力するようになるんだろうな…………)
そんな風に、やがて訪れるであろう将来の心配をしつつ、俺もまたギルドへと足を踏み入れる。
「おはようございます、フィリアさん」
「おはようございます、シンさん」
フィリアさんと朝の挨拶を交わした後、俺はその足で依頼が貼られたクエストボードへと向かう。
…………ちなみに、俺がクエストボードで売れ残り依頼が無いか確認している時間、アイリスはいつも、フィリアさんと楽しそうにおしゃべりをしている。
アイリスとフィリアさん。以前から気の合う様子の2人であったが、今や実の姉妹のようにさえ感じられる程、仲良しなっている。
(銀髪の美少女のアイリスに、金髪の美女のフィリアさん。モテモテ姉妹の誕生だな)
ただ、1つ気になるのはーー
「それでそれで、お父さん今日の朝ご飯はキッシュを作ってくれたんですけど、ただ美味しいだけじゃなくて、わたしが食べやすいようにお肉を軟らかくしてくれたり、ほうれん草の栄養をより引き出す為に食材の組み合わせを考えてくれたりしてくれてーー」
「…………ふふふっ。あらあら。シンさんは相変わらず、アイリスちゃんに甘々なんだから」
「…………………………………………」
アイリスとフィリアさんの会話風景を、俺は何とも言えない表情で見守る。
(つーかあれ、傍目にはアイリスがフィリアさんに惚気話をしているように見えるよな…………)
こういう話を、アイリスは毎日、フィリアさんにしているのだ。
俺がこんな風に、気恥ずかしいやら居たたまれないやらで、何とも言えない表情になってしまうのも、仕方がないだろう。
(…………はぁー。まあ、いいや。とりあえず、売れ残り依頼の確認をしよう)
いつまでも2人の会話を聞いていても、気が滅入るだけだ。
俺は気を取り直して、クエストボードの前へと向かい、売れ残り依頼を確認していく。
(えーと…………。1…………2…………)
大国の王都にあるだけあり、このギルドには大量の依頼が持ち込まれる。必然的に、クエストボードは巨大な物となる。
俺は、横に5メートルはあるであろうクエストボードを、端から端へとゆっくり歩きながら、売れ残り依頼の数や詳細を確認していく。
(…………3…………4…………。…………うん。今日の売れ残り依頼は、4件だな)
それにしても、相変わらず面倒な依頼が残っているな。
4件全部受けたら、家に帰るのは深夜になってしまうぞ…………。
(ここ1週間、売れ残り依頼はあっても1件か2件だったから、夕方には帰れてたんだけど…………。さて、どうしようかな…………)
俺が『血染めの髑髏』を全滅させて以降、アイリスは自分の部屋で1人で寝るなど、俺に引っ付いている時間が大分減っていたのだが…………それでも、深夜まで1人で過ごすのは、さすがに寂しいだろう。
(まあアイリスなら、俺を安心させる為に、笑顔で「大丈夫」って健気な事を言ってくれるたろうけど…………それでも、かわいい娘を1人で留守番させて、深夜まで家を空けるのは、俺もいろいろ不安だし…………まっ、仕方ないか)
今の俺は、この国唯一のSランク冒険者である以前に、1人の父親なのだからーー
(とりあえず、緊急性が高いのは…………これと、これだな。この2件だけなら、夕方の6時には家に帰れるだろう。残りの2件は、申し訳ないけど、後日に回させてもらおう)
俺はそう決めると、クエストボードに貼られた4件の依頼書の内、緊急性が高い2枚だけを剥がして、依頼受理の手続きした為、フィリアさんの元へと向かう。
するとすぐに、俺が戻って来た事に気付いたアイリスが、声をかけてきた。
「ーーあっ。おかえりなさい、お父さん。どう? 売れ残り依頼は、あった?」
「ああ、あったよ」
「…………そっか…………。それじゃあ、今日はお父さんから修行をつけてもらえないのか…………。早く、お父さんみたいな立派な冒険者になりたいのになぁ…………」
「まあまあ。アイリスは、『探求者』と呼ばれる俺の弟子なんだ。学校で知識を学ぶのだって、修行の1つだよ。…………という訳でフィリアさん。この2件の受理手続きをお願いします」
俺は、落ち込んだアイリスを慰めつつ、フィリアさんに2枚の依頼書を手渡す。
「はい。2件ですね。……………………えっ!?」
最初は、普通に2枚の依頼書を受け取ってくれたフィリアさんだったが…………1拍の間の後に、驚いた表情を俺に向けてきた。
(フィリアさんは、このギルドのギルドマスターだからな。売れ残り依頼の数は、ちゃんと把握しているんだろうな)
俺がSランク冒険者になってから1年、売れ残っていた依頼は、その日の内に全て消化してきた。
そんな俺が、初めて売れ残り依頼を放置したのだ。フィリアさんの驚きようも、頷ける。
とはいえ、俺が売れ残り依頼を消化しているのは、あくまで自主的なものであって、強制されている訳では無い。
だが、依頼が残ってしまうのは、ギルドマスターのフィリアさんにとっては、いろいろと困る事なのだろう。
(…………どうしよう。もしかしたら、何かお小言を言われちゃうかな?)
そんな不安が頭を過る。
だがーー
「そ、そうですか! 分かりました! それでは、依頼受理の手続きをいたしますね!」
フィリアさんは、特に何も言う事なく、依頼受理の手続きを始めてくれた。
(それは別に良かったんだけ…………どうしてフィリアさんは、そんなに嬉しそうなんだろう?)
ニコニコと笑顔を浮かべながら、依頼受理の手続きを進める、フィリアさん。
そんなフィリアさんを見て、俺は首を傾げてしまう。
「? お父さん。何だか、フィリアさんが凄く嬉しそうにしてるんだけど、どうしてだろ?」
「…………さあ?」
アイリスも、俺と同じく不思議に思っているんだろう。
そう尋ねかけられたが…………その理由は、俺が知りたいぐらいだ。
「ーーお待たせしました! それでは、よろしくお願いいたします、シンさん!」
「は、はい。分かりました…………」
そうして、俺とアイリスが親子で首を傾げている間に、フィリアさんの依頼受理の手続きは終わった。
俺は戸惑いつつも、フィリアさんからギルドのハンコが押された依頼書を受け取り、『収納』に仕舞う。
「-ーよし! それじゃあ、出発しようか、アイリス!」
「うん!」
結局、フィリアさんがご機嫌な理由は分からなかったが…………いつまでもこうしていても仕方がないので、俺はアイリスを促して、ギルドを出る事にした。
「それでは、失礼しますね、フィリアさん」
「さようならー、フィリアさん!」
「さようなら、アイリスちゃん。……………………」
「……………………」
お互いに別れの挨拶をして、手を振り合う、アイリスとフィリアさん。
そしてその後に、2人して意味ありげな視線を俺に向けてきたのだが…………わ、分かったよ! 俺も手を振ればいいんだろう!?
「…………さ、さようなら~、フィリアさん…………」
「はい! さよなら、シンさん!」
「えへへ~!」
俺が恥ずかしながらも手を振ると、フィリアさんとアイリスの表情に笑顔が浮かぶ。
(毎度の事だけど、2人はどうして、そんなに嬉しそうなんだろう?)
そんな疑問を感じつつ、俺はアイリスを連れだって、ギルドを出るのだったーー




