4月ーーシン。新しい日常(前編1)
シン視点
ーーピピピッ、ピピピッ、ピピピッ
(…………ん…………。朝、か…………)
枕元に置いていた目覚まし時計のアラームで、俺は目を覚ます。
ーータンッ
アラームを止めた俺は、そのまま時計を手に取って時間を確認する。
(7時…………うん。いつも通りだな)
以前は、朝の8時に起きていた俺だったが、アイリスと一緒に暮らし始めてからは、この時間に起きるようになった。
(アイリスの分の朝食も作らないといけない事を考えたら、この時間に起きないと、ギルドに着くのが遅れちゃうからな…………)
1人で暮らしていた時のように、簡単な朝食で済ますのなら、1時間も早く起きる必要は無い。
だが、今は大切な愛娘であるアイリスが一緒なんだ。
(アイリスには、栄養のバランスの取れた、少しでも美味しい料理を食べさせてあげたいからな…………)
その為にも、こうして1時間早く起きる事にしたのだ。
その分、朝がツラいかとも思ったのだが…………その心配は、杞憂だった。
というのも、俺は1週間ほど前までアイリスと一緒に眠っていた為、幼いあの娘に合わせて、就寝時間が1~2時間ほど早くなっていたのだ。
(まあ、今はもうアイリスと一緒に眠ってないんだけどね…………)
だが、それまではずっと、俺はアイリスと一緒に眠っていたのだ。
俺の体内時計はすっかり、アイリスに合わせた物に変わってしまったようだ。
(…………だからこそ、アイリスと再び一緒に暮らし始めた日の翌日に、あの娘の口から「お父さん。わたし、今日からは自分の部屋で、1人で寝るね」って言われた時は、自他共に認める親バカの俺にとって、やっぱりショックだったよな…………)
とはいえ、よくよく考えれば、それも当然なのかもしれない。
顔つきが幼く、体型も小柄なため忘れがちになってしまうが、アイリスはもう13歳だ。
今までがイレギュラーだっただけで、本来なら男親と一緒に寝るような年齢では無いのだ。
少しだけ寂しいけれど、我慢しないとな。
「…………さて! いつまでもボーッとしてないで、早く朝食の準備を始めないとな!」
ふと時計を見ると、いつの間にか10分近い時間が経ってしまっていた。
俺は、気合いを入れる為とーー少しだけ心に湧いてしまった寂しい気持ちを紛らわす為に、大きな声を上げる。
そして、急いでベッドから出ると、寝間着のジャージのまま部屋を出て、真っ直ぐにキッチンへと向かった。
(…………さて。今日の朝食のメニューは、何にしようかな?)
キッチンへと辿り着いた俺は、まずは冷蔵庫を開けて、中に入っている食材をチェックする。
(えーと…………卵に牛乳、チーズにバター、ベーコンにほうれん草、あとはマイタケ、か)
続いて、俺は冷凍庫の方をチェックする。
(…………おっ! パイシートが入っているな。このラインナップなら、キッシュがつくれるぞ!)
キッシュなら、1品で肉や野菜、乳製品にキノコまで摂れる。栄養のバランスは、まさに申し分ない。
ただ、1つ問題があるとすればーー
(キッシュを作るには、事前準備に結構な時間がかかるんだよな…………)
例えば、冷凍していたパイシートは常温で解凍しなければならないし、オーブンも事前に温めておく必要がある。
(いつも通りなら、アイリスが起きてくるまで、あと30分位。残念だけど、キッシュを作る時間は無いな。と、なるとーー)
続いて、俺は戸棚の中をチェックする。
(…………おっ! やっぱり、食パンがあるな。これなら、パイシートの代わりに食パンを使って、キッシュ風の料理が作れるぞ!)
食パンなら、冷凍されていたパイシートと違って解凍する必要は無いし、オーブンを使わずにフライパンで調理出来る。
(本格的なキッシュは、また時間がある時に作ってあげるとして、今日はキッシュ風な料理を作るとするか!)
そう決めた俺は、早速作業に取りかかる。
(まずは、ほうれん草とベーコンとマイタケ。それと、タマネギを1口大に切って~、と)
そして、フライパンにバターを敷いたら、火が通りにくいベーコンとマイタケ、タマネギを先に炒めていく。
その間に、ほうれん草はサッと下茹して、アクを取り除く。
ただ、茹ですぎは厳禁だ。アクだけで無く、栄養まで抜けてしまうからな。
(アクが多い根元の部分を1分。それ以外の部分は30秒~、と)
下茹が終わったら、ほうれん草の水気を切って、フライパンの中へと投入。
そうして、全ての食材に充分な火が通ったら、一旦フライパンの中身を別の容器に移して、次の作業に取りかかる。
(次は卵~、と)
俺は、ボウルの中に卵を割り入れると、塩と胡椒で味付け。更に、隠し味としてマヨネーズも加える。
(マヨネーズを加えれば、味に深みが出るからね~)
ただ、1つ注意しないといけないのは、マヨネーズには多量の油や添加物が含まれている事だ。
だが、このマヨネーズは市販物では無く、俺の手作り。油は最小限の量しか入っていないし、添加物に関しては一切使っていない。
その分、消費期限が市販物に比べて、圧倒的に短くなっているので気を付けないといけないが…………まあ、このマヨネーズは数日前に作ったばかりなので、問題ないだろう。
(とはいえ、キッシュの材料にはバターやチーズも使っているし、マヨネーズの量は、ほんのちょこっとにしておくか)
俺は、極少量のマヨネーズを加えると、ボウルの中の卵をかき混ぜていく。
そして、別の容器に移していたフライパンの中身をボウルの中に入れると、軽くかき混ぜて、食材全体に卵を馴染ませる。
(さて、次は…………ん?)
そうして、俺が次の作業に取りかかろうとした瞬間ーーふとキッチンの入り口の方で人の気配を感じた為、そちらへ視線を向ける。
すると、ちょうどキッチンへ入って来ようとしているアイリスと目が合った。
瞬間、アイリスの表情が、眩いばかりの笑顔へと変わる。
「おはよう! お父さん!」
「ああ。おはよう、アイリス!」
俺の視線に気付いたアイリスは、表情に満面の笑みを浮かべながら、元気良く朝の挨拶をしてくれる。
俺は、一旦調理の手を止めると…………ガラじゃないと思いつつも、アイリスに負けないよう、精一杯の笑顔と元気で、挨拶を返した。
「えへへ~! お父さん、今日の朝ごはんは何?」
俺の挨拶を受けて、白い歯を見せながら、心底嬉しそうに微笑む、アイリス。
そして、アイリスは小走りで俺の元まで駆け寄ると、朝食のメニューを尋ねてきた。
「今日の朝ごはんは、キッシュ…………風の料理だよ」
「? 風?」
俺の返答を聞いて、不思議そうに小首を傾げる、アイリス。
(相変わらず、仕草の1つ1つが可愛い娘だな)
いつものように、そんな親バカな感想を抱きつつ、俺はアイリスの疑問に答えを返す。
「ああ。パイシートの代わりに、食パンを使ってるんだ。だから『風』だよ」
「なるほど! お父さん。わたし、何か手伝う事ある?」
「んー…………いや、あとは焼くだけだから、大丈夫だよ」
「そう? なら、わたしは朝ごはんの準備をしてるね」
そう言って、食器棚の中からフォークやナイフ、コップなどの食器を2つずつ手に取って、リビングのダイニングテーブルへと持って行ってくれる、アイリス。
そんなアイリスの後ろ姿を眺めながら、改めて思う。
(ホント、変わったよな、アイリス)
以前から、よく笑う明るい性格の女の子だったけど、ここ最近はそれがより顕著になった。
どこがどう変わったか、具体的に説明するのは難しいけれど…………強いて言うなら、表情や声音から僅かに感じられていた暗い陰が、取り払われたように感じられる。
(きっと、『血染めの髑髏』が全滅した事で、あの娘の中の負の感情に、一区切りがついたのだろうな…………)
とはいえ、大切な人達を殺された悲しみが全て癒えたとは、もちろん思っていないが…………それに関してはもう、時間が解決してくれるのを待つしかないだろう。
(…………まあ、だからといって、このまま何もせずにボーッとしているつもりは、俺には無いけどさ…………)
今の俺に出来る事ーーそれは、アイリスの新しい父親として、悲しい出来事を思い出す暇も無い程に、あの娘にたっぷりの愛情を注いであげる事だ。
(アイリスも少しずつ、俺を新しい父親だと認めてくれているしね)
その証拠に、再び一緒に暮らし始めてから、俺の呼び名が『シンさん』から『お父さん』に変わったし…………以前は敬語だった口調も、大分砕けたものになった。
(…………しかしまあ、こうなってくると、俺も少しずつでも変わっていかないとな…………)
俺と親しい1部の人達ーーフィリアさんやセンドリックさん、エドさんやヴィヴィさん。
彼ら彼女らが、俺の事を悪い意味で『探求者』と呼んでいる事は、知っている。
1人で生きてきた以前なら、それでも良いって思っていたけど…………今は、自分にとって何よりも大切な存在である愛娘ーーアイリスが一緒なんだ。
(アイリスにとって誇れる父親である為にも、自分を見つめ直して、悪い意味で『探求者』と呼ばれる原因ーー人間味が薄い1面を、少しずつでも直していこう!)
そんな風に、内心で決意を新たにする、俺。
とはいえ、今は朝食を作っている最中だ。
具体的に、どこをどう直していくかは後で考えるとして、今はアイリスの為に美味しい朝食を作る事に集中するのだったーー




